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有機農業ってなに?に安易に答えられない理由
有機農業ってなに?
スーパーのすみの方にひっそりとたたずむ有機野菜の棚。
そんな有機野菜はよく「意識高い」という雑なカテゴリーでくくられてしまう。
有機(オーガニック)という言葉にアレルギーをもっている方は一定数いるようで、そんな方から金持ちの道楽なんて罵声をあびることさえある。
ではそういった方もふくめて、いま一度問いたいことがある。
有機農業ってなに?
有機農業とネガティブリスト
実は有機農業とはネガティブリストとして規定されている。
つまり禁止されていることが明確になっているが、それ以外は自由なのだ。
例えば有機農業者を100人集めたら、100人全てが化成肥料を使ってないことは確かである。
では化成肥料と対になる(有機JAS認定されている)有機肥料を100人全員が使っているかといえば、それは微妙なのだ。
肥料を使わない人なんていないでしょう!と思われるかもしれないが、そういった肥料を使わない農法も存在している。
有機農業の範囲の広さ
この有機農業という「やること」ではなく「やらないこと」で規定されている世界がいかに多様なことか。
ボールを使うスポーツと言われればいくつか思い浮かぶが、ボールを使わないスポーツと言われればマイナーなものを含めれば無限にある気がする。
ネガティブリストで規定するとはそういうことだ。
では有機農業という言葉ににどれくらい幅があるのだろうか。
それを考えるには農業というものの本質から考えないといけない。
農業をしたことのない一般人からすると農業=自然という図式がそれなりに違和感なく受け止められるだろう。
しかし農業の本質とは人為的に作物が大量に育つようにコントロールすることなのだ。
農業=人為的に作物が大量に育つようにコントロールすること
農業と自然は対義語のようにさえ思える。
人類は農耕を始める前には狩猟採取を行っていた。
狩猟採取とは自然のままにあるものを、人間が手にいれる行為である。
この時代は確かに自然と向き合った生き方だったように思える。
そして人間は数万年続いた狩猟採取生活から農耕生活にシフトしていった。
農耕とは人間が食べるに適した作物の種を、土をつくり、水を引いて整備した畑にまき、収穫していく行為である。
この考えの根本には人間が自然をコントロールするという思想がある。
人間は長らく食べ物を得ることをコントロールできなかったのだ。
それは狩猟採取という自然からのおこぼれをもらうという手段に甘んじていたからである。
しかし農耕という武器は自然を超え、人間に圧倒的な力をもたらした。
そして農耕により食料を過剰に生産し、余剰食料を保存することで私的所有が生まれ、それは貧富の差を生み、階級ができた。
人類はそのように歴史を刻んできた。とサピエンス全史で習った気がする。
そのように農耕の本質とは自然との訣別なのだ。
そして現在の農業。
種は基本的に種苗会社から仕入れる。
それは人間が食べやすく、生育が活発で、虫に強く、暑さや寒さに耐性のある、育てやすい種なのだ。
そして現在F1種と呼ばれている、かけあわせた親同士のいいところどりができる種が主流となっている。
この種は基本的に育てた作物から種取りはできない。
それでも毎年種は種屋から安定供給されているから、問題なく世界はまわっている。
めでたしめでたし。
とならない人たちもいる。
自家採取するひとたち
野菜は基本的に種から育つ。
その種を、育てた野菜から採り続ければ無限に野菜を育てることができる。
また自家採取した種は、自然とその土地にあったものになっていくといわれている。
そして種苗会社の都合に振り回されることもなくなる。
なんて自然で素晴らしいことだろう。
しかし、現在自家採取している農家にであうことは「非常に困難」と「無理」のあいだくらいだろう。
断りを述べさせていただくが、ここでいう農家とはいわゆる職業としての農家のことである。
家庭菜園やその延長で農を楽しんでいる方で自家採取を楽しんでいる方は一定数いるだろう。
しかし、それを生業としたときに自家採取して回していくことは非常に困難だ。
それでも自家採取して農業を営んでいる方もたしかにいる。
農家それぞれの考えがある
ここで言いたいことは、農業とはそもそも自然と訣別した行為である。
そのなかでもどれくらい自然と訣別しているかは農家によりグラデーションがある。
その片鱗を農家の種に対する考え方ひとつとっても千差万別だということから察していただきたい。
ちなみに有機JASの規定では有機種苗を使用することと記載されている。
有機種苗とは簡単にいえば「遺伝子組み換え」ではなく「種子に化学合成された薬品による消毒等がされていない」ものになる。
遺伝子組み換えについては、現在日本では使用されていないので問題はない。
ただし「種子に化学合成された薬品による消毒等がされていない」ものとなると話が変わってくる。
たとえば現代の農業ではコーティング種子を使うことは当たり前となっている。
本来種は非常に小さく、形もバラバラであるため扱いが難しい。
そこで種子コーティングをすることで、BB弾のように均一の丸い形になる。
このコーティング種子の最大のメリットは播種のしやすさである。
ある程度の規模の農家であれば播種を機械化しているが、多くの播種機はコーティング種子のみに対応している。
すなわちコーティング種子を使わないということは規模を大きくすることを非常に困難にするということだ。
しかしコーティング種子は有機JASの規格には入らないため本来使用できない。
では有機農家は播種機を使わずに手で種を蒔いているのか?
否、ここには苦しい言い訳で回避している部分がある。
有機農家は有機JASの規格の有機種苗を使うことを基本としている。
しかしその種が入手困難であったり、災害、病害虫等で植え付ける苗等がないなどの理由があれば、どんな種でも使えることになっている。
結局なんだかんだ理由をつければ、コーティング種子も使えるのだが、果たして災害や病害虫が原因でコーティング種子を使うだろうか?
コーティング種子をつかういちばんの理由は作業の効率化であり、それ以外の効果はおまけ程度だろう。
しかし作業の効率化なしに農業なんて営めない。
ましてや、ただでさえ手間のかかる有機農業において播種機を使わないなど現実的に考えられない。
このように種についても農家それぞれのスタンスや考え方があって、どの意見も合理的であり、正解なのだ。
有機農業ってなに?に安易に答えられない理由
このように種の話題だけでもこれだけ白熱してしまうのだから、そのほか肥料、堆肥、耕起、、、etcなど多くの変数があることに気がついてもらえれば幸いである。
「農業」とはこのような多くの変数を捨象して抽象化した概念なのである。
ということで、有機農業とはなにか?と聞かれたらなんと答えるか?
とりあえず「化成肥料」と「化学農薬等」を使わない(けど部分的に使うこともある)ことにより有機JASの認定を受けた農産物を生産するが、育て方は自由な農業。というわけのわからない答えになってしまう。
それは農業というガラパゴス化された特殊な世界においてのみ起こり得る、奇跡的な多様性の表れなのかもしれない。
まぁそれを多様性ととることもできれば、非効率的ととることだってできるのだが。
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