思ってたのと違うという誤差
出だしは転校生気分
小説を読んでいると
前半の3分の1くらいはなかなかその情景を
アタマの中に作り出すことができない。
その原因はたぶん
登場人物にそのとき始めて出会うからで
(あたりまえだが・・・)
最初のうちは知らない人だらけのパーティーに
いきなり来ちゃった転校生のような気分になる。
顔と名前がなかなか一致しない。
だからアタマの中に絵がなかなか浮かばない。
映画(特に洋画)でもその傾向はあって、
主役はともかく脇役になると、
どいつもこいつもおんなじ顔に見えて
なかなか入り込めない。
しかし逆に一度アタマの中に
キャラクターが出来上がってしまえれば
その先、ずっと楽しむことができる。
与えられたモノではなく
自分自身で作り上げた像なので
愛着もすごく湧く。
ここが見たまんまのコミックとは違うところ。
気に入った小説がシリーズ化されたりすると
続編も転校生気分を味わうことなく
いきなり入っていくことができる。
知ってるから
ややこしくなることもある
映画でもなじみの俳優の方が感情移入しやすい。
ただその人はその映画の中の「役」なので
一度変換しなきゃいけない。
別の役の印象が強いと修正が難しかったりする。
寅さんが金田一耕助やる違和感みたいに。
知ってる人の親近感を感じつつ、
違ったひととして登場してくる。
それが逆におもしろいのかもしれない。
個人の感想に正解はない
人がその役、キャラクターに感じる印象は
受け手のこっちが勝手に決めたもんである。
それが醍醐味だし楽しさなんだけど
そしてこの個人的感覚って
世界共通だと勘違いしがちだったりする。
ほとんどの場合誤差だから
概ね誰に聞いても寅さんのキャラはブレない。
だけど人によって、キャラによっては、
その誤差が許せないって人がいるんだよね。
それほどそのキャラクターを
愛してるってことだとは思うけど。
それが顕著に出るのが「実写化」。
自分のイメージと違う、というのは勝手だが
それは間違いというものではないはず。
なのにそれが許せないと思ってしまう。
許せないと思うのも勝手ではあるんだが、
それを人に言っちゃいけない。
自分だけで思ってればいい。
ややこしいのが、
同じとこに違和感を持つ人がいることで、
100人いたら80人違うと思うケースもある。
じゃあそれが正解なのかと言うと
やっぱりそんなことはない。
いくら多数派でも正解だと認めてしまうと
残りの20人が間違いってことになってしまう。
話がわかりにくくて
すいません
別に実写化だけの話じゃなくて
何にでも自分のが思う正解はあるけど
それはどこまで行っても自分の正解で
それを人に強要することはできないってこと。
自分はすっごくおかしいと思っても
ハタから見たらたぶん誤差レベルで
滑稽だったりするんだよね。
そう言ってる自分も違和感持つことは多いけど
人には言わないです。
自分の中で怒っている。それも楽しみの一つ。
正しいと思う人が多いイコール正解ではない。
だから選挙って納得いかないんだよね。
次回の言葉は「ご馳走」です。
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