のようなもの、の素敵なサムシング
バールのようなもの。
この言葉って何でこんなに魅力的なのか。
最近、宝石店の強盗がやたら増えて
バールそのものを目にする機会も多い。
防犯カメラに映っているのは
ようなもの、ではなくバールそのものである。
バールそのものは見た目にも恐ろしいので
これはこれで迫力があるのだが、
やっぱり「のようなもの」の魅力には敵わない。
バールのようなものは、
バールなのかもしれないけど、
バールじゃないのかもしれない。
なんかそこに限りない可能性を感じる。
(可能性ってなんだ?)
そもそもなぜバールなのか。
真面目な話、
なぜ「バールのようなもの」みたいな
曖昧な言い方をするのかと言うと、
たとえばなんか犯罪が起こったとして
容疑者が逮捕されて自白する際に
「カナヅチで殴りました」と答えると、
凶器が公表されていなければ
犯人でなければ知らない情報となる。
だから凶器はわざと曖昧にしている…
みたいなことがあるかららしい。
なるほど。
だけど何でバールなんだろうね…。
鈍器でもあり傷もつくからか?
万能。さすがバール…。
のようなもの情報
そう言えば昔、
「の・ようなもの」というタイトルの
映画がありましたね。森田芳光監督の。
で、このタイトルは「居酒屋」という落語で
肴はなにかできるかと問われた小僧が
「できますものは、つゆ、はしら、
タラ、こぶ、アンコウのようなもの……」
「じゃあ、『(の)ようなもの』をもらおうか」
ってとこから来てるらしい(ウィキより)
調べれば調べるほど良くわかんなくなっていく。
結局「のようなもの」には実体がない。
素敵なサムシング
英語にも似たようなのがある。
サトームセンのCMの歌詞にある
「素敵なサムシング〜🎵」
このサムシングもよくわからない。
わからないけどなんかわかる。
なんかわからないけど、そこにはなんかある。
バールのようなものに近いわからなさ。
かなり魅力的である。
このサムシングは
日常会話でもかなり使える。
「それって未来的サムシングですね」とか
なんか言ってるけど何も言ってない。
ビートルズにSomethingという歌があるが、
これも彼女の何かがよくわからん。という
歌だもんな。
この世はよくわからん「のようなもの」と
よくわからん「サムシング」でできている。
わかろうとするからつまらなくなる。
曖昧というか、適当じゃないと
世の中回んないってことだな。
だけどまあ全部これだと
小泉進次郎ぽくなっちゃうね。
これはこれで流行りかね。
次回の言葉は「文句」です。
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