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【おもしろいの正体:4】世の中のすべては、好き嫌いでできている。

谷崎と芥川の文学論争。

こう書くとなんかやたら高尚に見えるけど
要は谷崎潤一郎と芥川龍之介がケンカした
という話です。

別に二人は中が悪いわけでは
なかったみたいですが。

谷崎さんは
結局おもしろさはストーリーだと言ってる。
大事なのは緻密な構成だという主張。

一方で芥川さんは
んなことどうでもいいとおっしゃる。
表現こそが大切。
どう感じるかが大切とする派ですね。

なんか昔から
おんなじようなこと悩んでるというか、
まあ、そこは
答の出ない永遠のテーマみたいです。

子供はみんな
ドラマを1.5倍速で見る
という話。

友人の杉谷くんが言ってたんですが、
彼の娘さんがドラマを1.5倍速で見ると。

同級生もみんなそうらしい。
たぶんそうしないと
大量にあるコンテンツを見切れない。

これをおじさんたちが、
「今どきはな~」って言うのは簡単。
もしくは
「いやいや今どき普通でしょ」
って言うのかもしれない。

情報を得るということと
感じることの違い。

いろんなものを見る、聞く、
それをどう捉えるかということですが、
情報を得る、というふうに捉えると
無駄なものは省きたいです。

間はいらない。
行間を詰める。余白は削れる。

きっと望んでそうしてるというよりは
そうしないと見切れないってこと
なんだとは思いますが、そうなると
情報は情報だけになります。

余韻は無駄なもの。
結論、彼らにとってドラマは
その程度のものになってしまう。

いやいやひょっとすると
1.5倍でも感動できるのかもしれない。
そういう体質に進化してる可能性もある。

情報をデータとして
捉えている。

効率を考えれば、何も間違ってないです。
情報が0と1でできているとすると、
0はなくていいものかもしれない。

音楽から休むところをなくしても
曲としては成り立つのかもしれない。
だけどその曲が
人を感動させるとは思えないです。

僕の歳の感覚からすると、
たとえば「北の国から」を倍速で見たら
たぶん全くおもしろくない。

五郎さんがずっと黙ってる間とか、
アレってそういう時間が魅力。
早送りでも話はわかるけど、
ストーリーだけがおもしろさではないので。

と言っても、それは単におもしろい、の
基準が変わっただけなのかもしれないです。

物心ついた時から、
2倍速の世界が当たり前なんだとしたら、
新しいおもしろさは、
その中で考えていかなければならない。

普通の速さのものは、
ただ遅いだけのものかもしれないです。

おじさんたちだってかつては
古いものを否定して
自分が見つけた新しいものに
飛びついてきたわけで、

ただ今がすごいのは、
古いものを否定すらしていない。

古いものを新しいものの
比較対象とは考えていない。
古いものは比べる対象ではなく、
全て同列にある初めて見るものとして
受け入れられてたりする。

ぜーんぶ同列で、
その中で好きなものを選んでいる。
新しい、古い、は比較する概念ではない。

世の中のすべては、
好き嫌いでできている。

そうなってくると結局のところ、
新しかろうが古かろうが、
要はそれを見た人がどう思うかです。

それを決めるのは良い悪いではなくて、
好きなのか嫌いなのか。

その理由って説明できないし、
そもそも自分でもよくわかっていない。

で、世の中のほとんどは、
良い悪いではなくて好き嫌いで評価される。

ここで気になるのは、
みんなが「良い悪い」と「好き嫌い」を
同じもんだと思ってることです。

その人の良い悪いは、
ほとんどの場合好き嫌いなのだけれど、
本人は世界の真理だと思っている。

SNSでよく見る光景ですよね。
だいたいそこにある正義は
良い悪いではなくて好き嫌いだったりする。

素人の映画評論とかすごいのあります。

悪役が嫌いだから作品が悪い。


悪役を嫌なヤツに描けてるって、
それって出来がいい、ってことだろ。

あ、これ、自分に言ってます。
自分もそうだなあと思う。

すいません。今日はちょっと
堅苦しい話になっちゃいましたね。

僕の考える「おもしろい」は
たぶん余白と無駄でできている。

だからこの無駄を阻害するものは
敵だと思っています。

とはいえ、この余白と無駄は
仕事には「いらないもの」だったりする。

次回はこの辺の話をします。

【おもしろいの正体:5】おじさんは基本的に嫌われるが、なぜか嫌われないタレントがいる。

気が向いたら、また遊びに来てください。

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