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言葉のことばかり【元を取る】

ラーメン博物館って

テレビで久しぶりに「ラ博」を見て、
正直、まだやってんだと思った。
そしてちょっと行きたくなった。

新横浜のラーメン博物館ね。
できた当初はよく行きました。
いつもすごい人だった…。

ラーメン屋を集めて
ラーメン代とは別に入場料をとる。
などという傍若無人な発想、
当たるはずがないと思ってたが
ちゃんと当たっている。
日本人は本当にココロが広い。

一カ所にラーメン屋が集まっている、
ということに対してお金を払うのだとしたら、
少なくとも2軒は行かないとモトは取れない。

1軒だけ行くんだったら、最初から
「その店」へ行けばいいわけだもんね。
確かにもともとが九州や北海道の店で、
カンタンには行けないところもあるが、
「九州には行けないから、ここに来ている」
とも思えない。

しかしそもそもラーメンって
一日、いや一度に何杯も喰うもんなのか。
しかし人は行く。そして
すごい行列にみんな文句も言わずに並んでる。
ディズニーランドもそうだが、
日本人は本当にココロが広い。

で思う。
…ちょっと待てよ。ひょっとして
「並ぶところだから」来ているんじゃないの?

行列という評価基準

自分で何がいいのかを判断できないから、
「並ぶのだからいいものに違いない」
と思ってるだけなんじゃないのか?

単純に「その列に加わらないと損をする
ような気がしている」だけなんじゃないか?
だとしたら、話は逆だ。
日本人は本当にココロが狭い…。

昔行ったとき、その日のラーメン屋の中で
一番の行列は確か待ち時間120分。

その店の前を通りかかったとき、
そこから出てきた男がポツリと、
「120分待つ味でもなかったな…」
と言ったのが聞こえた。

待ち時間が「味の単位」になってるのが
すごくおもしろかった。

待つ人は、待っている自分がかわいくて、
それに対して正当な報酬がえられなかったこと
に怒っているんである。トホホである。

逆に待ち時間5分の店だと
「5分にしてはうまいじゃん」
と言われてるのかもしれない。

いろんな店があるから比べられる。
まあこれがラーメンを博物館にしてる
価値みたいなもんだ。

そうなったときに、優劣を比べる単位が
「待ち時間」になってる。
行列が評価の基準になっている。

ひょっとしたら味は関係ない。
そもそも人は自分の味覚に
言うほど自信を持ってないのかもしれない。
だから行列の長さで判断する。

んで、それが非常にわかりやすいわけだ。

最近はやはり外国人のお客さんが多いらしい。
さて外国の方はココロが広いのか?
あの行列を価値として認めるのだろうか。

まあ大勢いらっしゃってるわけなので
それも含めて楽しんでるってことかな。

レトロな街並みを模した内装とか
場所自体の価値もあるしね。
ああ、それこそ博物館か。
一回りして納得してしまった。

僕がこれから行くとして、
入場料が大人450円。
新横浜ウチから遠いから交通費。
新幹線で行けば早いけど東京から1360円。
まだラーメン食べてないのに…。

やっぱりラーメン屋ではなくて
博物館だと思わないと無理だなあ。

次回の言葉は「裏目」です。

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