好き勝手

好き勝手に書いてはおりますが!今回は意識的に

自分勝手につらつらつらつら書く。

とにかくとりとめもないことを、一所懸命、やっているようにおもう。今日、すごくいい日だなとおもえた。そんな今日がずっと続けばいいけれど、そうはいかない、悪い日も嫌な日も、ある。ダメな日も。
でもそんな悪くて嫌でダメな日も、あっていいのだ。と、今は特に思う。


なぜなら、生きているからである。生きている者は、もしかしたら全て、植物も虫も、動物も人間も。ミジンコだってw
「いつも、何かを想って」いる。それが生きている証だ。って、今日実感した笑おそいよね笑
想えない時もある。身を守ろうと、がんばっちゃって、なんにもない、空虚な時もある。そのまま、いなくなっちゃう者もいるだろう。
でも。みんな、生きている。死んじゃったって、誰かの胸に生きている人だって、いる。つらい、とか、寂しい、とか、悲しい、苦しい、死にたいよ!とか。全部、生きている者の、証だ。

どうだっていいって、思っちゃう時もある。全部、人生ごとどうでもいい、なんて思っちゃう人もいる。自分のことなのに、自分のことじゃないように、生きてしまう私が、居た。
でも、気づいた。まだ全然、生まれたてかよってくらい幼い。まだ全然、全部気づいたなんて言えない。おもしろいことに、空想はとまらない。おもしろいことに、何も変わらない。
だけど人はいつだって、気づける。変われる、たぶん笑 好き勝手にかいて、ごめんなさい。でもこれが、今の答え。

どうでもいい人なんていない。私も、君も、誰でもみんな、どうでもよくなんてない。どうでもいいって思っちゃったら、「どうであっても」良い、って思うことにする。どんな風でも、良い。


だからって何をしても良い、わけじゃない。それがまた、難しいところだな。慣れていくんだろうか。生きることに、慣れて行けるんだろか笑なにいってんだか。


私は、良いと好い方なら、好きな方へ歩きたい。そういう性分なんだろな。
それは、誰かに歩けといわれるまま歩く方向ではない。私が決めて歩かねば行けない場所がある。

私とは何かと思った。私とは誰かと思った。

ここ、数日…考えていた。正体が、少しずつ見えてくる。私とは、私である、としかいいようがないが。ああ、語彙力、身に着けたいな笑

私がたとえ、どんな風に生きても、私は私で居ようと思う。それは私が私でしかいられないから、私を愛すことが、人を愛することならば。必要にかられて、愛するなんて変かな?
私は、それでもいい。どんな風な私であっても、ま、たぶんそんなに大したことはしでかさないし笑 それに、私が信じる私をたとえ裏切ってみたって、きっと私ってそんな自分が好きになるだろうから。

そう、私ってナルシストなんだ。ナルシストなの、隠して生きるのって、疲れるよね。でも、自己愛が強いなんて、悪いことじゃない。
いいじゃないか。自分が大事なんだよ、それってさあ、他者を好きになる理由にも、なるじゃんか。
人である私は、人が好きなんだとおもう。

凄く嫌なやつも、いるけどね。でも、いなくなっちゃえばいい!って思いたくはない。できれば、居ていいんだよって、言わせて欲しいし、言いたい。
そんなに現実は簡単じゃないけどさ。君は、どう思うのかな。何を想うのかな。想像すれば、容易く否定する君の姿がみえる笑 それ、過去の君かな。今は?

ダサいよね。くだらないよね。どうだって、いいよね。でも、そういう言葉ってなんであるんだろって思う。誰かを傷つけるために生まれて来た言葉って、なんであるんだろって思う。
それが、人が人であるおもしろさなのかもしれない。綺麗ごとすぎる?ごめん。私、綺麗なものが好きなんだ。開き直ってる?いいでしょ、べつに笑

人間なんてそんなに綺麗にできてない。愚かなことをする。人を傷つけたくもなる。人を嫌いにだってなる。自分のことすら守れなかったりする。
愛することなんて語れるほどエライ人間なんて、居ないと私は思う。でも、語ろうとする。私も、愚かだよねえ笑

こんなこと、ふつう、10代のうちにやるんだろうか。

ちょっと、長すぎたなあ。青春が。疲れちゃうくらい、長かったなあ。終わっていないのかもしれないけど笑 空想、おわんないかな。おわらせないとなあ。
一日中、暇すぎるのかなー、やっぱ。
好き勝手にさせてはくれている家族だけど、もう少し欲をいえば、もっと好き勝手にしたいのである。わがままか~。
いいや、わがままで。嫌いになるなら、勝手になれ!