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お金大好き!達成感大好き!な私のキャリアデザイン(自己紹介②)

こんにちは。
ゲーム開発会社で広報的な仕事をしているサトウです。

ざっくりいうと
1社目(リテール業界)3年半:販売→人事
2社目(人材業界)5年強:人事
3社目(ゲーム業界):人事→今
というキャリアの話(自己紹介)です。

ゲームプログラミングもできなければ、
学生時代に何か専門的な資格をとったわけでもないので
「コツコツやっていけば好きな仕事に近づけるかも?」
ということが伝わればいいなと思っています。

自伝なので影響を受けた作品名などをそのまま出しますが
会社の広報としてではなく、個人的な趣味主観です。

■就職氷河期に新卒で拾ってくれた会社

幼少期からエンタメが大好きだったので、
TV・ラジオ局、番組制作会社、ゲームのパブリッシャーなどの
採用試験を受けました。
当時はゲームというとパブリッシャーのイメージしかなく
超有名大手ばかり受けた気がします。
(ソニー!任天堂!バンナム!スクエニ!みたいな笑)

大手しか受けなかった背景には、
リーマンショックの影響の不況もあります。
雇用の影響は今年もあるでしょうね……。

落ち続けていくうちに、「東京にある初任給が高い企業」に
どんどん幅が広がりました。
(お金さえ貯めれば色々なことができる!と思っていました)

結果、お金大好き星人で買い物も大好きなので、
好きな店の仕入れやディスプレイを担当できたら楽しいんじゃないかということで、
毎日のように通っていた小売り店を経営している会社に
拾ってもらいました。

その後、9年近く続けることになる人事の仕事に出会ったのも
この会社ですし、夫も新卒入社の同期なので笑
本当に運命の会社です。
仕事に打ち込む達成感」を教えてくれたのもここでした。

■新人の毎日は飛ぶように過ぎた

入社して1年ほど、店頭に立っていました。

女性アイドルの物販部隊に加わって、
ツアーで一緒に回らせてもらったことも印象深いです。
自分もライブグッズを個数制限上限まで買うようなタイプなので笑

まあ、正直言うと
新人だし要領もいい方ではないので、毎日泣いていました。
怒られるし、できない自分に腹も立つし。
特に、ひとつの物事に集中してしまうことが多く
時間内に複数の作業を終わらせられないことが一番つらかったです。

店頭でテキパキ色々な作業を同時にこなす店員さんってすごい……
特に熟練のアルバイトさんの仕事は神がかっていました。

■転機①人事への異動

新卒入社2年目になるタイミングで人事担当に異動しました。

接客賞みたいなのをもらった後だったので
「本社へ栄転だ!」とウキウキもしていましたが、
今考えるとクルクル色々なことを同時進行しないといけない
店頭の仕事が向いていないと判断されたのかもしれません……。

「採用は天職だ」と思えるまでにその後熱中することになるので
結果オーライということで。

年間200名規模で全国の新卒採用をしていましたので
それはもう忙しくて。

採用活動解禁時期なんかは、合同説明会に飛び回って
記憶がないくらいでした。

北海道から沖縄まであちこち出張に行って
しかも一日中大声でしゃべって笑顔でいるので
だんだんフラフラしてくるんですよね笑
(「人事あるある」だと思います)

採用担当の仕事は、学生と話したりその後の成長を見るのも
(もちろん)やりがいなのですが、
シミュレーションしながら計画を立てて実行していくのも楽しかったです。
採用ツールを作るのも好きでした。

学生にキャリアアップをイメージしてもらうために、
色々な階層の社員にインタビューをしたりとか。
リテール業界のイメージを正しく伝えるために親御さん向けの
パンフレットをつくったりもしました。

若手だからといって任せてくれない社風ではなかったので
色々チャレンジさせてもらいました。

↑色々な業界の新人と切磋琢磨する機会もいただきました……。
二期生です。ありがたや~。。

■一度目の転職

新卒入社して約3年半で一度目の転職をしました。

新卒採用を担当する人事の方には共感いただけると思いますが
3月~6月くらいは
>①新入社員研修をしながら
>②次の代に内定出しをして、
>③その次の代のインターンシップを準備するという
3代重なる地獄の繁忙期です。

そして、そこを切り抜けると若干の思考の余裕が生まれます。
3回そこを切り抜けたときに、
ふとこの先どうなるんだろうかと考えました。
※今回振り返ってわかったことですが、私の場合だいたい3年間同じ環境にいると思考整理イベントが発生します。

細かく職位が仕切られている会社だったので
運良くトントンと昇給していたのですが、
その次のテーブルに行くには数年かかることが想像できました。

26歳になる年です。
景気も上向きになってきていましたし、転職市場において
おいしいタイミングであることも仕事柄わかっていたので
採用の仕事をもっと極めようと「人材業界」への転職を決意しました。
(社長が変わったり、大きな人事異動があったりと他の要因もあります)

相変わらずお金大好き星人だったので、
「給料が同レベル以上にあがるところ」と偉そうに条件をつけて
転職エージェントのお世話になりました。

何社受けたかもう覚えていないのですが、拾ってくれたのが
某日本最大級の就職ナビサイトを運営する求人広告の会社です。
Rの方じゃなくてMの方です笑

新卒採用の担当として入社しました。

■経験者として転職する洗礼

人材採用のプロみたいな会社なので、やはり環境は整っていまして。

まず、採用予算とか採用人数とか、規模が違う!笑
採用拠点も複数(転職当時は東京・大阪・名古屋・福岡)あって
圧倒されたのを覚えています。

これも「人事あるある」だと思いますが、
自社のことを頭に叩き込んで説明会の練習をして
模擬説明会をするんですよ。デビュー前後に。

採用担当がゾロっと揃っている前に出て、
入社間もない中途新人が会社を語るワケです。
容赦なくダメ出しされるし、今でも思い出すと汗が……。
一応経験者として入社しているので見る目が厳しい。

採用手法なども多岐に及んでいて、
転職して1年くらいはがむしゃらに業務にあたっていました。

思い出①
転職して数日で部長に「お前暗いねん!採用として華がない」と言われ、
次の日派手な服で出勤し笑われる

思い出②
プレッシャーに耐え切れず3か月で胃を痛めてプチ入院する
「もう戻ってこないと思っていた」と笑われる

こうやって文字にするといじめられていたみたいですが、
根暗な変なヤツとしていじってもらって助かっていた側面が大きいです。

中途入社したときに先輩社員として教育してくださった
女性の先輩が2人いるのですが、
今でも、かっこいいなと尊敬する人リストに入っています。

入社したときには2人は課長でもなかったのに、
5年経って私が退職するときには2人とも部長になっていました。

教育担当に恵まれたのは本当に幸運でした。


■転機②地方転勤

転職して1年ちょっと経ったある日、
仕事帰りに少し飲んでいたときに
仙台と広島どっちが好き?」と上司に聞かれました。

私はお金と同じくらいお酒も大好きでして。
酔っぱらっていたので、何も考えずに「仙台」と答えたんです。

しばらくして、東北エリアに採用拠点を立ち上げるため
宮城県への転勤
が決まってしまいました。
(ちょうど転職して1年半。社会人になって5年。
つ、つ、ついに東京を離れることに~~~~!!!)

同タイミングで中四国拠点も立ち上がりましたので
もしかすると、広島と答えていたら広島だったかもしれません。
といっても、
前職で東北エリアを担当していた期間が長かったこともあり、
転職してからも東北をもつことが多くて。
東北の支社長と「東北の採用を強化しましょう!」なんて話すことも
ままあったので、仙台で良かったです。(広島も嫌いじゃないです)

まあ27歳。
そろそろ結婚とか考えなきゃなあと思っていたのに。

入社式の準備だなんだで仕事もド繁忙期の中、
バタバタと単身で引っ越しました。

■部署ひとり、友達ゼロ人からのスタート

立ち上げとして転勤したので、部署は私一人ぼっち。
中途採用はやったことがなかったので、何度か東京に出張して
基本を教えてもらいました。

他の営業部門の島にデスクを間借りして
実に細々と東北ライフは幕を開けました(´・ω・)寂

人事は、学生、学校、紹介会社、求職者、研修会社、社内各所と
とにかく電話が多い部署です。
東北採用拠点として電話番号を公開してから入電ラッシュ!
私は面接やら説明会やらで席を外していることも多くて、
周囲の部署の皆が電話対応をしてくれてありがたかったことを
覚えています。

ゆかりのない土地なので、
リア友(オンラインの住人なのであえて区別)がいないのを
不憫に思ったであろう優しい会社のみんなが
休日も色々誘ってくれました。
仙台といえば、楽天イーグルス・ベガルタ仙台!
スポーツ観戦とか、この機会がなければ一生行かなかっただろうなあ。

身にまとうオタクオーラを察したのか
一緒にアニソンバーに行くようなオタク友達もできました笑

■チームができた

4月に着任しましたが、7月頃には1人では無理!となり
派遣会社から事務担当に来てもらうことにしました。
初めての仲間~~~~~!

そして、学校や紹介会社を少しずつ開拓していって、
なんとなく採用拠点っぽくなってきたので
相棒の社員の募集も開始しました。
(社内で人が足りていなくて採用拠点を作ったので
社内異動では人をもらえなかった)

私が設定した採用基準は「自分とは反対の属性」の人。
私だと訴求しにくい層を採用するためと、
私が嫌いな仕事をやってもらうためです笑
(人前に出るとか、初対面の人と仲良くするとか)

何人か面接して、2月に新メンバーが加わりました。
地元出身の大手総合商社の敏腕営業man(陽キャ)」です!
見事に真反対ですが、私の初めての部下で、とてもイイヤツ
(「地球防衛軍やって」と言ったらすぐやってくれた)です。

実は彼も現在は東京に出てきていまして
最近までしょっちゅう飲みにも行っていましたが
ご時世が変わってしまって悲しいねと話しているところ。

少人数のチームを作るとき、どうしても仕事がやりやすい
自分と似たタイプの人を選びがちですが
意思決定の基準が偏りやすい(その分話は進みやすい)ので
真反対の人や自分のもっていない・理解できない特性の
人と組むことはオススメ
できると感じました。
現にたくさんの学びや気づき、また助けられるシーンも
多かったです。

私が仙台で暮らしたのは丸3年。
3人でチームを組んでいたのは実質丸2年くらいなのですが
初めての自分のチームなので思い入れがあります。

社内表彰でチーム賞もいただきました。
この3年間は走り切った感があります。

■二度目の転職

・30歳の誕生日をゆかりのない仙台で迎えたこと
・魔の数字、3年が経つこと

そのため、強制イベントのように思考整理期間に入りました。

東北は今でも大好きですが、
ライフイベントのことなどを考えると3年だなと思っていたので、
そろそろ東京に戻りたいと希望を出していました。

希望を叶えてもらって東京に転勤してきたのですが。

会社が急成長していたタイミングだったので、
3年も経つと景色ががらっと変わっていました。

全国の採用メンバーの中では長老クラスになっていて
採用というよりは労務寄りの入社手続き(退職も…)関連の
チームの課長として戻ってくることになったのです。

怒られることもほとんどなくなり。

メンバーには恵まれたのですが、
気質が下っ端なので、指示を出すのが得意ではないし
メンバーの意見をどーんと上にぶつけることも苦手。

自分の手でせこせこ仕事している方が性分なんでしょう。
居心地はあまりよくなく、達成感を感じられない日々でした。

●気づき●
【若さの特権】
忙殺されていれば勝手に学べ、勝手に成長でき、勝手に達成感を得られる。

フェーズが変わったことを感じました。
お金も貯まってきたので昇給にも魅力を感じられなくなってしまい
お金大好き星人も老化が進んできました。


■ようやく「やりたいこと」に気持ちが戻ってきた

ぼんやりと転職を考えながら、
「やりたいこと<金を稼ぐ、成長する、達成感」に振り切ったベクトルが
だんだん「やりたいことをやりたい」に戻ってきたんだなと感じました。

曲がりなりにも目の前の仕事は一生懸命やってきたつもりです。

気づいたら、人事としてのキャリアも8年近くになっていました。
履歴書・職務経歴書も「転勤」や「立ち上げ」、「マネジメント」の文字を
書けるようになりました。
同時に新しいフィールドに下っ端として入るのはそろそろ期限が近いと
思うようになりました。

そういえば橋本元大阪府知事が何かのTV番組で
「新しいことにチャレンジすることは35歳がライン」とお話し
していましたが、まさにラインの近くに来ていて納得感があります。


■やりたいことに向き合ってゲーム業界への転職

前回のテキストで書いたのですが
エンタメを仕事にすることがひとつずっとやりたかったことです。

今ならもう1回、キャリアを武器に挑戦できるのではないかと考え
昔から大好きだったゲームの世界にチャレンジ中です!


長くなったので、なぜゲーム業界なのか、なぜ開発会社なのかは
別の機会に棚卸ししようと思います。

好きな本に「働くひとのためのキャリア・デザイン」(↓)があるのですが
環境に流されるキャリア・ドリフトと
意思を持ったキャリア・デザインを見事に繰り返していますね。
むむ、未来を読まれていたかのようだ。

皆さんのキャリアもぜひ知りたいです。
仕事についてつい熱く語っちゃう方、ぜひお話ししましょう。

#自己紹介 #私の仕事 #note初心者

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