聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇59) 〜トビアスの冒険
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
この「トビアスの物語」は、カトリックと正教会では旧約聖書の続編であるけれど、プロテスタントでは聖書としてではなく「文学」として扱われている。ユダヤ教では外典だ。
つまりわりと脇役的扱いのエピソードだし、少年が旅をして結婚して戻ってくる、という特になんてことないエピソードなんだけど、絵は多いのだ。
なぜかというと、「借金回収」のお話なんだな。
で、ルネサンス期にヨーロッパ1の金融都市だったフィレンツェの豪商たちが、画家たちに「トビアスの話を描いて〜!」ってたくさん注文したわけ。
当時、借金の回収は危険な仕事だったらしく(回収自体も、道中も危険)、大天使ラファエルが道中を守るというこのエピソードの絵は、豪商たちにとってお守りみたいなものだったらしい。
なるほどねー。
日本の商家が招き猫を置いたり恵比寿様飾ったりするのと同じ位置づけなエピソードというわけね。
さて、これも北・イスラエル王国のお話だ。
この回で書いたように、北・イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされた。
そしてイスラエルの民の多くは首都ニネベに連れて行かれた。
ニネベ、覚えてますか?
そう、あの「魚に呑まれたヨナ」がブツブツ文句を言いながら預言を授けに行った町だ。
もう一度見てみると、ここ(↓)に首都ニネベがある。地図の赤字のところ(地図だとニネヴェ)。チグリス川流域の町だ。
※図はサイト「世界史の窓」の「アッシリア帝国」のページより引用。
で、そのニネベに連れて行かれた人たちの中にトビトという善行の男がいたんだけど、彼は雀のフンが目に入り失明してしまい、それを悲観して死を願うようになっていた。
同じ頃、エクバタナ(上の地図のニネヴェの右下の太字の町)に住むサラという女性も、悪魔アスモダイのせいで7回結婚して7回とも夫が初夜に死んでしまったことに絶望し、死を願うようになっていた。
2人の嘆きを聞いた神は、大天使ラファエルに「ちょいと行って来い」と命令し、わざわざラファエルを遣わすんだな。
で、一石二鳥で彼らを救う、というお話だ(例によって神の依怙贔屓が炸裂するw)。
ある日、トビトは息子のトビアスにこう言う。
「エクバタナに住んでいる人にお金を貸している。それを回収してきてくれや」
で、まだ少年の面影が残るトビアスは、犬をお供に、はるばるおつかいに行くわけだ。
このとき、旅の道連れとして「あ、そちら方面なら私くわしいですよ。ご同行しましょう」って、途中でいきなり名乗り出たのが(あとで分かるのだけど)大天使ラファエルだ。
そのときはアザリアという名を名乗る普通の青年。
絵みたいに羽も生えていない(絵の青年は記号として羽を生やしている。そして最後のほうで「実はわたしは・・・」とネタばらしする)。
こうしてトビアスは、行きも帰りも大天使に守られて旅をするんだな。
この「人類史上最高に安全な借金回収の旅」が豪商たちに好かれて、発注が乱れ飛んだということだ。
ここで今日の1枚。
ボッティチェリの『三人の大天使とトビアス』。
いや、これ、他の絵を見るとわかるけど、お話としては「道連れはラファエルのみ」なんだな。なのに、大天使が3人も守っているわけ。
いやぁ、豪商がねだったんだろうなぁw
「いやいやボッティチェリさん、大天使ラファエルだけじゃなくて、ガブリエルとかミカエルとかも描いてくれないかなぁ〜。頼むよぉ〜。他の商人のヤツらのよりご霊験あらたかなお守りにしたいんじゃ〜。負けたくないんじゃ〜。ほれ、お礼は奮発するって。お願いだ〜。ほれ。お礼奮発。ほれ!ほれほれ!!」
で、ボッティチェリが金に目がくらんで、いやもとい、大サービスして描いたんじゃないかなぁ。知らんけど。
でも、なんかそう想像するとやけに可笑しいので、今日の1枚にした。
ちなみに、中央が道連れの大天使ラファエル。そのとなりの少年がトビアス。右は大天使ガブリエル、左が大天使ミカエル。ミカエルのモデルはボッティチェリの弟弟子のレオナルド・ダ・ヴィンチだと言われているらしいよ。
ちなみに、この絵のトビアスの衣装は、当時のフィレンツェの裕福な商人の最新ファッションそのままだとか。つまりやっぱりそういう「お守り用途」の絵なんだね。
さて、絵を見ながらストーリーを追っていこう。
ヴェロッキオのこの絵(↓)が実はこのエピソードでは一番有名かもしれない。
上のボッティチェリの絵と同じような格好で同じような構図だね。どちらも1470年ころに描かれているので、両者ともに影響しあったのかもしれない(もしくはどっちかがどっちかの模写)。
ちなみに、魚と犬の絵は、ヴェロッキオの弟子レオナルド・ダ・ヴィンチが担当した、と言われている。(なぜ魚がどの絵にも出てくるかは後述する。犬はスピッツかな)。
フィリッピーノ・リッピから2枚。
紛らわしいけどフィリッポ・リッピの息子だ。これは1480年ころの絵なので、ボッティチェリかヴェロッキオのに影響された作品かも。
トビアスも頭が光って聖人風。犬はこれ、何犬だろう?
これもフィリッピーノ・リッピ。
「今日の1枚」とほぼ同じ構図の絵。まねっこしたのかもねー。
ラファエロの師匠ペルジーノ。
かなり子どもなトビアス。これ、このあと旅先ですぐ結婚するんだけど、少年すぎない?
ジョヴァンニ・サンティ。
天使は中性なのだけど、このラファエルはかなり女性寄りだね。そして羽が珍しい色のグラデーションになっている。へー、美しいけどあまり見たことがないパターン。
というか、これもトビアスが少年すぎ! このあと結婚するんだってば!
ティツィアーノ。
いや、だからトビアス子どもすぎやて! このあとすぐ結婚するんやで? これじゃ幼児レイプになっちまうって!
ポライオーロ。
これが1460年作と言われているので、このたぐいの絵としてはボクが探した限りでは一番古いかな・・・。他の画家たちはこれを原型にしたのかも。
聖書の挿絵だろう。
道中の絵。すごい引きの絵だなぁ。なんとなく当時の風景が想像できて興味深い絵。
さて、お話を進めよう。
途中、チグリス川で足を洗ったとき、大きな魚がトビアスに食いついてきた。するとラファエルがこう言う。
「その魚の胆嚢は目の薬になるので、持っていってお父さまの目につけてあげるといいですよ」と。
で、トビアスが魚を捕まえるわけだ。
上の絵でトビアスが魚を持っていたのはそういうこと。
※この魚、ワニだったという説もある。
ラストマン。
他の画家に比べて一番巨大な魚だ。
というか、このトビアスは今度はおっさんすぎ!
ちなみに犬も一番大きい。セントバーナードっぽいな。
アンドレア・ヴァッカロ。
全体に暗い色調の絵。こんな暗い服来た天使は初めてだ。紺かぁ。なぜ紺?
トビアスはちょうどいい感じの青年になっている。
ギュスターヴ・ドレさん。
「その胆嚢は目の薬になりますよ」って言ってるとこ。ドレさんは羽も描かず、ちゃんと道連れの青年になっている。風景が美しい。
ジョヴァンニ・サヴォルド。
「お父さまの目につけてさしあげるといいですよ」って言ってる感じ。
Juan Rodríguez Jiménez。
ぬるぬるして、えらいキモい魚だなぁ・・・。
Jacopo Vignali。
大天使ラファエルの袖のあたりとかがおしゃれすぎて目を奪われる。
ゴヤ(ゴヤ! めずらしい)。
まだ「わたしは天使っす」って告白してないんだけど、えらく輝いているなぁ。これも「借金回収道中を守った天使」というお守りの絵なのだろう。
クロード・ロラン。
例によって風景がの中の登場人物。でかい魚(ちょっとワニっぽい)を捕まえたところ。遠景が実に美しい。
ジョバンニ・フランチェスコ・グリマルディ。
魚を捕まえているところ。後ろの人達はなんだろう・・・。
さて、無事に目的地に着いたふたりと一匹。
貸したお金を受け取ったトビアスは、ラファエルの勧めもあってトビアスの親戚の家に泊まることにする。
で、ラファエルはその家の娘サラ(上の方で書いた、死を望んでいる不幸な女性)と結婚するといいよ、とトビアスに言う。
でも、親戚が反対するわけ。
「この娘は7回結婚して7回とも夫が初夜に死んでしまった。縁起が悪いからとてもじゃないけど勧められない」
でもトビアスはサラに惚れてしまい(ラファエルがなにかの魔法で惚れさせる)、サラを望む。
で、初めての夜。
親戚たちはトビアスが死んでしまうと予想して墓穴まで掘って準備する。まぁ7人が7人死んじゃったからな・・・。
でも、ふたりには大天使ラファエルがついている。
ラファエルの導きで、トビアスは捕まえた魚の肝を焚き、神に祈る。
悪魔アスモダイは、その匂いで逃げ出してしまう。
ここに来て、位の高い大天使であるラファエルがついていた理由がわかる。そう悪魔を退けるためだったのだな。
ヤン・ステーン。
大天使ラファエルが自ら心臓と肝臓をつかみだそうとしている。
トビアスとサラは祈りを捧げている。
うしろでは赤子の天使たちが飛び交ってる。
ちなみに、魚じゃないw
たぶんこれ、ワニのつもりなのだろうと思う(いや、ワニには見えないけどw)。
当時ワニの心臓や肝臓は悪魔除けに使われていた、ということで、このエピソードの魚は「実はワニ」という説が確かにあるのだ。
まぁなんつうか、きもいクリーチャーだけどw
Nicolaus Knüpfer。
これはラファエルが肝を焚いている絵。なんか天使が振りかけているね。なんだろう。
で、ふたりは「初夜の呪い」を乗り越えて、めでたく結婚の宴を催すわけだ(当時は初夜のあとに婚礼だったのかな)。
ヤン・ステーン「トビアスとサラの結婚」から2枚。
みんなの格好は聖書のころのものではなく、オランダの、画家が生きた当時(17世紀)の格好らしいけど。
書類を見ているのは、たぶん借用書かなにかをチェックしているところだろう。あくまでもこの話は「借金回収の話」なのだ。
この2枚めのも、借金系の書類を見ているね。ビジネスのオフィスの壁とかに掛けられた絵なんだなきっと。借金も回収して、結婚もして、実にめでたい縁起のいい絵なんだろうと思う。
新妻サラも新たに加わり、ラファエルと一匹と一緒に家に戻ったトビアスは、父トビトの目に、あの魚(ワニ?)の胆嚢を塗る。
そうしたら効き目一発、トビトの目が見えるようになる(マジか)。
ベルナルド・スロッツィ。
目に塗っているところ。左はトビトの年老いた奥さん(つまりトビアスの母親)だろう。犬も心配そう(今回の中ではこの犬が一番好き。かわいいじゃん?)。
この右端も怪物は、その魚かなw ずぅ〜〜っと持ち歩いたのかよ。臭すぎるよ。
で、見事治ったものだから、トビトたちは道連れの青年にお礼を渡そうとする。
Niccolo Cecconi。
「もう感謝してもしきれません。どうかお礼を受け取ってくだせー」
「いや、私は受け取れない。実は私はアザリアではない。私の名はラファエル。神に使える7人の御使いのひとりである。私にではなく神に感謝をすることです」
ラストマン。
贈り物が足もとにある。
いやいや、私は天使よーん、って言ってるんだけど、ふたりがいまひとつ驚いていない。ちなみにラストマン、この構図多いな。
最後は巨匠レンブラント。
こちらは驚いている。
ええええええええええええええええええ!
「ふ。驚いた? じゃね!」と去るラファエル。さすが巨匠、メリハリ効いてていい絵。
・・・と、そういう物語だ。
一般的には「善行を重ねていれば、神は必ず報いてくれる」という教訓ストーリーらしいのだけど、トビト、サラ、トビアスたちの善行が特に強く描かれているわけではない。
ボクとしては「豪商がオフィスに掛けた縁起のいい絵」という印象が強い。たぶん、豪商たちが画家に発注しまくらなければここまで有名にならない、小さな小さなエピソードだったんだろうな、と思う。
さて、最後はワンコ大会で〆たいと思う。
聖書の数あるエピソードの中で、犬が人間の友人として扱われている絵はこれだけらしいよ。
そういう意味で、犬好きは注目すべきエピソード。
上に取り上げた絵から犬だけ抜き出して並べてみた。
では、どうぞ。
ということで、今回もオシマイ。
次回は南・ユダ王国に舞台を移して、バビロン捕囚と預言者たちのお話だ。
※
このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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