聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇60) 〜バビロン捕囚とエゼキエルの幻視
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
この旧約聖書のシリーズもいよいよ終盤。あとたった5つのエピソードだ。
今回は、ソロモン王の死後、北と南に分かれてしまったイスラエル王国の、南・ユダ王国の話に入っていく。
前回までの4回は「北・イスラエル王国」でのエピソードをやったわけですね。
南はダビデの血筋だし、エルサレムに帰還するのも南の人々だし、このあとイエスが南から出るし、なんとなく北より南の方が主役っぽい。
預言者にしても、四大預言者は全部南。北は全然入っていない。
うーん、北のエリヤとかもすごい預言者なんだけどなぁ。。。
で、今回の南・ユダ王国には、四大預言者として、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、そしてダニエルがいる(ダニエルはユダヤ教では預言者と呼ばれていないのだが)。
そして、北はアッシリア帝国にやられて滅亡するが、南は新バビロニア王国に征服されてバビロン捕囚の目に遭ってしまう。
というか、バビロン捕囚って何?っていうのを先にざっと説明しよう。
捕囚とは「とらわれること」だ。
つまり、バビロン捕囚とは「バビロンに捕虜として連行されて移住させられた」ということ。
もうちょい身近な言葉で言うと、強制連行、ですかね。
エルサレムを首都に、カナンの地に住んでいたイスラエル民族は、新バビロニア王国に攻め込まれ敗戦。みな新バビロニア王国の首都バビロンに捕囚されていく、というお話だ。
想像してみよう。
たとえば、第二次世界大戦に負けた日本人が全員、強制的に日本から「ある国」に連行され、捕虜として移住させられる感じ。
それが捕囚だ。
占領されるよりずっときついし、なにより民族分散の危機であり、文化崩壊の危機でもある。
とはいえラッキーなこともある。
バビロンにの川沿いの町に移住させられたらしいのだが、みんな固まって住むことが出来たらしいのだ。それも比較的自由に。
これ、不幸中の幸いだなぁ。
民族的連帯が保たれた上に、民族意識が逆に強まったのではないだろうか。
そういう時代に、神への信仰でみんなの連帯を保とうとしたのが、預言者たちである。
ジェームズ・ティソさん。
これ、バビロン捕囚の典型的な絵だと思う。炎上するエルサレムから捕囚されて出ていくイスラエルの民たち。
なんだろうな。旧約聖書をこうしてずっと読んできたこともあって、なんか同情を禁じ得ない。
最初期のアブラハムやヤコブやヨセフの苦労、モーセの苦労とかヨシュアの戦いとか、志師たちの奮闘とか、サウルやダビデやソロモンの治世とか、すべて無に帰してしまったわけだ。
いつも神に怒られてきたイスラエルの民。
それなのに、こういうときは神は潔いくらい助けない。契約の箱とかどうなったんだろう。奪われたり壊されたりしたら電撃や疫病なんかを喰らわすはずなんだけどな・・・。
ホアン・デ・ラ・コルテ。
新バビロニア王国のネブガドネザル2世の軍勢に攻め込まれるエルサレム。
ニュールンベルグ・クロニクル。
オラオラオラ、って追いやられるイスラエル民族。
Gebhard Fugel。
捕囚されていく途中での、川沿いのイスラエルの民たちだろうか。
たぶんユーフラテス川で休んでいるところ。落ちこんでいるのがとてもよくわかるけど、着ている服とかがきれいすぎるのが気になる。
竪琴が4つも見える。竪琴はダビデの象徴。このずっと後、ダビデの血筋から出る救世主イエスの到来を感じさせ、かすかな希望となっている。
アーサー・ハッカー。
これもユーフラテス川のほとりで休んでいるのかな。もしくは捕囚された地が川沿いだったようなので、そこでの情景かもしれない。
疲れ果てた親子。全体に哀しみの色合いに沈んでいて美しい絵だなぁ、と思う。いい絵。
巨匠ドラクロワ。
「バビロン捕囚」をテーマにしている絵なので、移動中なのか、捕囚後の暮らしなのか。ちょっとドラクロワっぽくない気がするんだけど。
Antonio Puccinelli。
これもバビロンへの移動中の絵だろう。
で、固まって町を与えられたイスラエルの民たち、どうも第一次捕囚あたりでは「超楽観的」だったようなんだな。
「いやー、まぁこうして強制連行されたけどさー、新バビロニア王国なんてすぐ滅亡するっしょw もうちょっとの辛抱さ」
楽観的なことは生きていく上でとてもいいことだ。
特に捕囚されているんだから、少しは希望がないとね。
ただ、楽観的すぎるのを責めた預言者たちはいる。
で、今回出てくる預言者エレミヤやエゼキエルが「いや、エルサレム神殿も破滅もするし、もう我々には戻る先がない」と否定して回る。
そして実際にエルサレムが破壊され、その楽観論も消滅したそうである。
大雑把にいうと、バビロン捕囚とはこういうことだ。
そしてその後、強大な新バビロニア王国は、たった86年後の紀元前539年に、キュロス2世率いるアケメネス朝ペルシャにあっさり敗れて滅亡するんだな。
そして、捕囚されていたイスラエルの民はエルサレム帰還を果たす。
そのことはこの回でまとめた。
では、時間を少し巻き戻して、預言者イザヤに戻り、預言者エレミヤ、そして預言者エゼキエルとその幻視(VISION)の絵を見ていこうと思う。
まず、イザヤ。
上の方の「南・ユダ王国の預言者たち」の表を見るとわかるが、イザヤはまず第十代ウジヤ王に諫言する。
なんでそんなところから始めるかというと、なぜかこのウジヤ王の肖像を巨匠レンブラントが描いていて、わりと有名だからだ。
異教の神を信じたウジヤ王。
神の怒りを買い、ライ病にされた、という絵である(ヤコブの子、ユダの肖像だという説もある)。
で、しつこく諫言したのが預言者イザヤ。
イザヤはまだユダ王国が栄えているときに、その滅亡とバビロン捕囚を預言し、とっても嫌がられた。
システィーナ礼拝堂の天井に描かれたミケランジェロのイザヤ。
さすがな名画。美しいね。
巨匠ラファエロもイザヤを描いている。
マルク・シャガールさんの「イザヤの予言」。
イザヤの預言はわりと難しいので、この絵のモチーフはまだ読めていないのだけど、中央はバビロン捕囚の預言ではないかと思う。
で、イザヤは相当嫌がられたんだろうな。なんとノコギリで切られて殉教している。
ちょっとやばい絵が多いけど、いくつか聖書の挿絵を貼っておこう。
えっと、、、、、男として痛くない順番で行きますね。
行きますよ。
いや、痛い。
痛いんだけど、きっと、下の方のより痛くないさ。
これ(↑)は、まぁ即死に近く死んじゃうので、痛い時間が短いよね。痛いけど。
(↑)うん、きっとすぐ死んじゃうし大丈夫だ。。。
いや、ちょ・・・それは・・・それはやめれー! 下からはやめれー!
あがーーー!!!
うがーーー!!!
殺せーーー!!!!
すぐ殺してくれーーー!!!!
ぎゃんぎょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
イザヤ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!
・・・いや、それにしても昔の処刑はエグそうでイヤだよなぁ。
次は預言者エレミヤ。
エレミヤは、「このまま行くとユダ王国は新バビロニア王国に滅ぼされるぞよ」と預言する。そして、「バビロン捕囚を耐え忍べば、70年で解放されるぞよ」とも預言した。
そして、攻めてきた新バビロニア王国のネブカドネザル2世に対して「お前さんこそが災いである」と言ったため、怒りを買い、地下牢に閉じ込められてしまう。
エレミヤの預言通り、エルサレムは陥落し、第一次バビロン捕囚が起こる。
巨匠レンブラント。
左奥の洞窟外には焼き払われるエルサレムが見えている。
「あんなに警告したのに・・・」とがっくり来ているエレミヤ。
巨匠ミケランジェロ。
システィーナ礼拝堂の天井絵の一枚。イザヤに比べるとえらく顔色悪く、老化しているな。
これはどこかの木版。
ボリス・シャッツ。
悩み深いエレミヤ。
何かの挿絵。
滅ぼされたエルサレムの廃墟で嘆き悲しむエレミヤ。
さて、最後に預言者エゼキエル。
エゼキエルは「幻視(VISION)」をたくさん見たことで有名な預言者だ。
まずは肖像から。
巨匠ミケランジェロ。
システィーナ礼拝堂の天井絵。
巨匠ルーベンスがまったく同じ構図で書いている。
ミケランジェロのを模写したのかもしれない。あの礼拝堂で天井を見上げながらしこしこと模写したのかなぁ。。。
ギュスターブ・ドレさん。
エゼキエルが何か預言しているところ。
ジェームズ・ティソさん。
なんか写真みたいなエゼキエル。
さて、ここからは「エゼキエルの幻視」だ。
まず、有名な「天を駆ける神の姿」。
ある日、エゼキエルはそれを見た。
巨匠ラファエロ。
堂々たる絵だ。有名。
この絵の中央にいるのはエゼキエルではなく、神である。
エゼキエルが幻視した天を翔る神の姿が描かれている。
神が乗る4つの生き物は天使、ライオン、牛、鷲。
じゃ、実際に幻視したエゼキエルはどこにいるかというと・・・
ここここ!
左下に小〜〜〜〜さくいる。
いや、神が主役とはいえ謙虚すぎるやろw
棒人間に近いw
ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルト。
同じように、天使、ライオン、牛、鷲が動力源のようだけど、こちらは山車みたいなのに乗っている。
バーナード・ピカール。
これ、不思議な絵だなぁ。車輪みたいなのには「目」がたくさんあるし、天使やライオンたちも四位一体みたいになっている。
そして神は遠くから見ている。そしてエゼキエルの元にお手紙みたいの届く。面白いなぁ。
【追記】車輪に目があるのは座天使トロノスで、智天使・人間・ライオン・鷲の4つの顔と4つの羽を持っているのは智天使ケルビムかもしれない(新約聖書「天使と悪魔」の項参照)
マテウス・メーリアン(Matthaeus Merian)。
動力と車輪(?)と神がバラバラ。これもお手紙が届くパターン。
マルク・シャガールさん。
左から、ライオンと鷲と牛と天使・・・あれ? 神はどこに行った?
下にいるのはエゼキエルだろうしなぁ。
さて、ここで「今日の1枚」。
ウィリアム・ブレイクさん。
ブレイクさん自身が「幻視の人」なんだよね。幼いときからいろいろ見えた人。つまりこの絵は、幻視の人が幻視を描いた、という絵。
なので、なんか中央の天使(?)の回りに走る車輪みたいな感じとか、顔がたくさん現れるイメージとか、なんか「幻視のリアル」がある気がする。
ライオンや牛や鷲をまるで無視しているのもいいな。
美しい絵だ。わりと飽きずに楽しめる。いいなぁ。欲しいなぁ。
さて、もうひとつ、エゼキエルの幻視から。
これは「乾ききった骨」という幻視。
骨の死体が蘇る、という幻視だ。
クエンティン・マサイス。
神が言う。「わたしは骨に肉を生じさせ、皮で覆い、息を吹き込んで生き返らそう」
そして、乾いた骨が人間として生き返る。
これ、幻視なのか、奇跡なのか、定かではない。聖書では「骨は生き返り、その足で立った」と書いてあるのみ。
局部の隠し方がナイス!だけど、肉がないのに骨だけで立つとかw
骨に肉が生じている途中の人たちも控えめに描かれている。おもろいなぁ。
フランシスコ・コリャンテス。
廃墟になったエルサレムだろうか。たくさんの骨が蘇る。
奥の方にも、上の方の遠景にも、次々と生き返っている。
どんだけ生き返らせたんだ。。。
Tobias Fendt。
この絵は労作。すごくいろいろ描き込んでいる。
右上の神の姿は、システィーナ礼拝堂の天井絵にミケランジェロが描いた神とほぼファッションが一緒だ。あの絵にオマージュしているのだな。
と思って、右のちょっと奥めの人を見ると、なんか見覚えあるポーズ!
そう、システィーナ礼拝堂のミケランジェロが描いたエバの誕生。
つまり、アダムの骨からエバが生まれているところにそっくりなポーズだ。
全体のテーマが「骨からの生き返り」なので、エバを意識したんじゃないかなぁ。知らんけど。
そう思って、エゼキエルの奥を見ると、アダムとエバっぽいふたり!(考えすぎかな)。
さて、今回のラストは、ギュスターヴ・ドレさん。
この、月をバックにした逆光のエゼキエル、超カッコいいな。
手前にまだ骨のカラダの人たちがいる(右手前には頭を探している骸骨も)。なんかこのオカルト感、ゾンビ感が実にいい絵。さすがドレさんだなぁ。名作。
ということで、今回は、「バビロン捕囚」を理解しつつ、イザヤ、エレミヤ、エゼキエルという3人の預言者を、エゼキエルの幻視を中心にして追ってみた。(ダニエルは二回後に出てきます)
次回はね、生首をもつ美女のお話。有名な「ユディト」のエピソード。
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このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。
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