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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇9) 〜幼児虐殺とエジプト逃避

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
旧約聖書篇は全65回で完結しました。こちらをどうぞ。

いまは新約聖書をやってます。ログはこちらにまとめていきます。
このあと、ギリシャ神話。もしかしたらダンテ『神曲』も。


東方三博士がイエスを拝みに来たのは前々回に紹介したが、彼ら三博士がイエスを拝む前にヘロデ王に拝謁したのは覚えているだろうか?

復習しよう。
簡単なストーリーだから読んでください。

占星術の三博士が「星」を読み、「新しいユダヤの王様が生まれたようですが、どこにいらっしゃいますか?」と、まずエルサレムに住むヘロデ王を訪ねる。

当時、パレスチナ周辺は遠くローマに支配されていて、元「南・ユダ王国」の統治を任されていたのはヘロデという王だったのだ。

ヘロデ王はびっくらこくと共に「もしそれが本当なら、その赤ん坊、生かしておくわけにはいかんな」と殺意を覚えるわけ。

そりゃそうだよね。自分の地位を脅かす。
というか、すでに救世主待望論が盛り上がっていて、ヘロデはちょっとビビっていたのだ。

で、「いや、そんな話は聞いたことがない。でも、もし本当なら、見つかったらすぐわしに教えてくれ。わしも拝みたいからな」と三博士にウソを言う。

で、三博士は「そうですか。わかりました。昔の預言によれば、その子はベツレヘムにいるでしょう。さっそく探しに行ってきますね」と答えるんだけど、イエスを見つけて拝んだ後、そのままあっさり国に帰ってしまう。たぶんヘロデの言葉に不穏なものを感じたんだろうね。

で、ヘロデは逆上する。

うぬぬぬぬ! なんと、帰っただと!
くそ〜! その赤ん坊はいったいどこにいるのだ! いっそベツレヘム中の2歳以下の幼児を全員殺してしまえー! すぐ殺れ〜! 救世主などいらんわ〜! ぐわっはっは〜!


イエス大ピンチ!

でも、イエスには天使がついている。

天使が三博士が帰った夜に父親ヨセフの夢に現れて、こう伝える。

「ヨセフよヨセフ! 起きなさい! すぐエジプトに逃げなさい! さもなくばイエスが殺されてしまう!」


で、ヨセフとマリアとイエスは、ぎりぎりのところでベツレヘムを逃れ、遠くエジプトまで逃げるわけだ。


・・・これが今回のストーリーの全貌だ。

わりとサスペンスだね。
大悪役、大量殺人、急告、命からがらギリギリで逃げきる。
うん、映画化可能。


ということで、ストーリー順に絵を見ていこう。

まずはレンブラント
実はここから紹介する4枚は、「イエスの誕生」の回で「ヨセフへの天使の告知」の絵として紹介したもの。
今回のエピソードを調べているうちに「あ、この4枚はエジプト逃避のエピソードの絵だったんだ!」と気がついて、こちらに移動した。両方ともヨセフへのお告げなので、ややこしいのだ。

この絵は、東方三博士の礼拝のあとで、ふたりとも寝こけているところに天使が現れて「逃げなさい!」と言ってるとこ。

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というか、天使はマリアに言うんじゃなくて、ヨセフに言うんだね。まぁ基本的には聖書は男尊女卑だからな。


ベルナルド・カヴァリーノ
このマリア、美しくて好き。なんかリアリティある。

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なんかよくない? このマリア。

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フランチェスコ・ソリメーナ
マリアはもう起きて祈っている。予感がしたのかもしれない。

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シャンパーニュ
このマリアももう不安で目を覚ましているね。
天使は「逃げなさい!」とヨセフに告げている。美しい絵だな。

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で、父ヨセフ、母マリア、子イエスの3人はベツレヘムを出るわけだけど、出てすぐに、ベツレヘム中の二歳以下の幼児が虐殺される。

英語で言うと「Massacre of the Innocents」。

名だたる画家たちがすごい迫力で「幼児虐殺」の絵を描いている。


ルーベンス
いやもう、すごい迫力だ。ぜひクリックして大きくして見てください。
超怖い。怖すぎる。ルーベンス、すごいな。

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ルーベンスからもう1枚。
これは前回の「聖母子」の項でも取り上げた絵。題して「罪なき子供たちに囲まれた聖母子」。周りにいるのは殺された幼児たちだ。

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ピーテル・ブリューゲル
有名な1枚。例によってブリューゲルはフランドル地方の風景の中に置き換えて幼児虐殺を表現している。クリスマスだから12月に雪降ってるし。
令が下っていまから虐殺が始まるという混乱前な感じだろうか。軍隊が来ている。

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ジョット
上にいるのはヘロデ王だね。母親たちがすごい顔で反抗している中、画面中央したには幼児達の死体の山だ。

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ティントレット
これもすごい迫力だ。劇的な演出。

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グイド・レーニ
この絵は一説には旧約聖書での「エジプトの幼児虐殺」を描いたものとも言われているけど(そして「モーセの誕生」の回で取り上げたけど)、やっぱりヘロデ王の幼児虐殺だなぁ。
上の天使たちが持っている麦は、殺された子たちが天国に行けるための「通行手形」みたいなものらしい(そんなことするヒマがあるなら超常的な力で助けてやれよ天使さん!)。

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プッサン
群衆の大虐殺の絵も怖いけど、ひとりにクローズアップするのも怖すぎるよプッサン!

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コルネリス・ファン・ハールレム
左の母親たちの逆襲の図が印象的な絵。いや、画面の隅々までよく描き込まれている。というか、画面中央にふたつのお尻がドンッという珍しい絵。

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マッテオ・ディ・ジョバンニ
これは宮廷だな。ヘロデ王が描かれてる。どう描いてあろうが、幼児の死んだ絵は生理的にきっついな。

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・・・ということで、他にもあるけど、子どもが殺される絵を紹介するのもうイヤだな。「幼児虐殺」の絵はこのくらいにして次に行こう。


で、イエスたちは闇に乗じてひそかにベツレヘムを抜け出す。

まぁギリギリだったわけですね。

その辺の絵をいくつか。
名画が多いよ。


まずは「今日の1枚」。

レンブラント

暗闇の中をこっそり出発し、逃げ出していく感じがよく出ている絵だ。いろいろ不安に思いながら静かに逃亡していく聖家族。このエピソードを象徴するいい絵だと思う。
貧乏くさいハダシのヨセフに、これまた粗末なショールを羽織ったマリア。イエスは後光が差している。

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レンブラントからもう1枚。エッチング。
これも暗闇。サスペンス映画の一場面のようだ。深い闇の描写が実にいい。

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ルーベンス
の版画。
これも不安な道行きだけど、天使たちが導いてくれている。

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これもルーベンス
上の版画の構図の裏焼きみたいな描き方。天使がついてくれているとはいえ、心細く不安な感じがよく出ているいい絵。なんか妖怪が出てきそうな森だよねえ。

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旧約聖書篇からの準常連、ウィリアム・ブレイクさん。
さすがな恐ろしさ。大天使やプットがついているとはいえ、マリアの心細い感じがとても出ている。表情がいい。

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アダム・エルスハイマー
中央ではロバに乗っての逃避行。左側ではキャンプして休んでいる様子が同時に描かれている。旅のリアリティを出すためにカメラが引いた構図になっている。美しいなぁ。

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アブラハム・ペサー
これも引き絵。聖家族はぼんやりとしか見えず、主役は月と水面の輝きだ。

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この2枚を見てもわかるけど、このエピソードは結果的に「風景画」というジャンルの成立に大きく寄与したらしい。

つまり、「エジプト逃避」という「旅」のリアルさを出すために風景を描写した絵が増え、それが美術史的なイノベーションを起こした、ということのようだ。

下の方にもいろいろと風景画があるので、お楽しみに。


ジョット
ちょっと説明的ではあるけれど、ゴシック期の絵だからなぁ。
バランスのとれたいい絵。光輪があるのが聖家族と天使たち。左のふたりは誰だろうな。

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ロレンツォ・モナコ
ここにもふたり従者がいる。調べが付いたら追記します。

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ミゲル・カブレラ
こういう「旅のお供をする天使」を見ると、トビアスの冒険を思い出すね。つまりこの天使はラファエルじゃないかな。旅の守護天使だし。
顔だけ天使(上級天使)も上空から見守っている。

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アドリアーン・バン・デル・ヴェルフ
不安な逃避行のリアルさが出たいい絵だなぁ。マリアの足もとに水が見えるので、水辺を渡るためにハダシになったというところか(ナイル川?)。
ちなみにヨセフはかなりの老人説なので、ハゲててもおかしくはないw

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ヤン・アセリン
風景画。徹夜して歩いてきて、朝日が上がってきたところかな。あぁ美しい。

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ウジェーヌ・ジラルデ
エジプトの風景(ピラミッド)が見えてきている。砂漠だ。過酷な旅の感じがロバの疲弊具合にもよく出ている。

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旧約聖書篇の常連、ギュスターブ・ドレさん。
これも砂漠。後ろを振り返り追っ手を確認しながら逃げ続ける聖家族。

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これまた常連、ジェームズ・ティソさん。
砂漠の逃避行の過酷さを動物の骨で描いている。
まぁモーセが40年かけた道を一気に行くわけだから、かなりの過酷さだ。

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常連が続く、マルク・シャガールさん。
例によってシャガールさんはたくさん描いているんだけど、その中の1枚。不思議に明るい筆致。

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アルベルト・カイプ
朝日の中の逃避行。ちょっと希望を感じさせるいい絵だね。レンブラントが描いた闇とはずいぶん違う。

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バルトロメオ・カードゥッチ
美しいけど、ちょっと切迫感がなさすぎる気もする。いや、命からがらなはず!

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ジョージ・ヒッチコック
いや、美しい道行きだ。いい絵だけどなぁ。。。ただ、これもちょっと美しすぎるかな。すごく印象的な絵ではある。

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クロード・ロラン

風景画の巨匠。空気感がとてもいい分、ちょっとのんびり感が出過ぎな気がする。気持ちのいい旅路に見えてしまう。

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アンニーバレ・カラッチ
渡し船に乗って川を渡ったところだろうか。美しいいい絵。その分この絵ものんびりしちゃうね。

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ターナー
あぁなんかターナーっぽいw 
美しいんだけど、橋が霧で霞んでいたり、左下に蛇(=悪魔)がいたり、旅の過酷さも暗示させている感じ。

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ティントレット
全体に南国に入ってきた感がある。もうエジプトは近いのだろうか。

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ヤン・ブリューゲル (父)
街道のようなところを行き交う人々を描いているのがユニークな1枚。東海道中膝栗毛感あり。

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アードリアン・イーゼンブラント
なんか遠くの丘の上に軍隊が見えるな。追っ手が迫ってきている、という設定だろう。ちょっとヨセフが急いでいる感じが出てる。

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バッサーノ
天使が急げ急げ!とあたふたしてて、ヨセフは衣服の裾を上げて走ってる。従者たちも水を飲みながら急いでる。このスピード感が他の絵と違っててとてもいい。逃避行はこうでなくっちゃ!

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ヴィットーレ・カルパッチョ
全体に青が美しい絵。これも急いでいる感じが出ているね。

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ジョバンニ・フランチェスコ・グリマルディ
対岸はエジプトかな(ピラミッドが描かれてるし)。渡し船に乗るためにロバからイエスを降ろしている。あと少しでエジプト!

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ルカ・ジョルダーノ
渡し船に乗った聖家族。ナイル川を渡るのかな。プット(赤ん坊天使)や顔だけ天使(上級天使)が見守っている。

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ドメニキーノ
左端に船頭がいるので、船で渡り終えてエジプト側に着いたところか。

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さて、ここからは、「エジプト逃避途上の休息」という画題になる。
上は「エジプト逃避」の旅路を描いたもので、ここからは休息を描いたものになる。

風景と聖母子・聖家族、ということで、描きやすいモチーフなのだろう、たくさん描かれている。

ある程度厳選して紹介するね。


クロード・ロラン
いい絵なんだけど、風景主役だからやっぱりピクニックっぽく見えてしまうなぁ。

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ヴァン・ダイク
この絵の全体に疲れた感じやマリアの憂いの顔がわりと好き。お乳を飲んでいる間に眠ってしまったイエス。いい絵。

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アールト・デ・ヘルデル

これも授乳。旅の途上で休息をとりながらお乳をやるマリア。

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オラッツィオ・ジェンティレスキ
これも授乳だ。旅の途中で疲れ果てた老人ヨハネがすっかり寝入ってしまっている。いい絵だ。彼は同じ構図でいくつか描いている。

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ファン・ヘームスケルク
イエスが「お乳くれや」って胸に手を入れようとしてるw
つか、なんだか記号がいっぱいな絵だなぁと思う。イエスは蝶を掴んでいるけど、これは復活の暗示。左の木の洞とか意味深だ。右奥のヨセフは裸でなにしとる?

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ヘラルト・ダヴィト
落ち着いた美しい絵。葡萄も記号で、生まれたばかりのイエスの命を象徴したもの。ヨセフは果実をとろうと木を叩いているのだろう。

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ラストマン
ヨセフが果実をとってきて「おい、食べようぜ」って言っているのが原罪の象徴であるリンゴなのもなかなか乙。

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クエンティン・マサイス
ヨセフがなんかの食べ物をあげようとしていて(すももか何かかなぁ)、イエスがそれを受け取ろうとしている。いや、生まれたばかりなんですけどねw というか、ヨセフの面倒臭そうな表情w

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アンドレア・ソラーリ
これも食べ物を与えているね。ヨセフの表情がいいな。

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ジョバンニ・マリア・モランディ
おお、これは明らかにサクランボ? 天使たちが収穫してくれている。イエスが可愛いな。

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プッサン
プット(赤ん坊天使)が大量に現れて木の実をとってくれている。

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チャールズ・ポアソン
天使がイエスに食べ物を与えている。マリアはちょっと消耗気味。

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クラナッハ
天使大量w イエスは天使たちと遊びたくて仕方がない感じ。
北方ルネサンスの画家だし、冬設定なので寒い設定で描いている(とはいえエジプトなんだけどw)。

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グエルチーノ
天使が子守歌を弾き、イエスが眠っている。天使が寝かしつけてくれるなんて最強だな。

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カラヴァッジョ

もうなんつうか、ヨセフさんが楽譜台に!
天使は天使で楽譜がないと弾けないのかね。疲れ果てたマリアとイエスはすでに夢の中。
カラヴァッジョだけに劇的な絵だけど、どことなく笑えるw

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ということで、エジプト到着〜!

リュック=オリヴィエ・メルソン
休息は休息だけど、なんとスフィンクスの腕の中!
そしてヨセフは独り寝!

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最後の一枚はプッサンから。
賑やかなエジプトまで無事に逃げおおせて、にこやかなマリア。
エジプトにはヘロデ王が死んで危険が去るまで滞在するんだけど、わりと短かったみたいである。

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今回はこれでオシマイ。

天使が知らせる → 幼児虐殺 → エジプトへの逃避行 → 途上の休息 → エジプト到着

と、ストーリーを追う形で絵をたくさん紹介した。
まぁこのエピソードでの「絵のモチーフ」はだいたい理解できたかな、と思う。旅の途中で描かれている聖母子はたいていこの「エジプト逃避」だね。


次回は、イエスを「神殿奉献」するエピソードだ。

この辺、マタイ伝とルカ伝で取り上げるエピソードが違うので、それを整理しつつご紹介する。



この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら

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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。

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