聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇6) 〜「カインとアベル」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、いわゆる芸術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないとよく理解できないもの多すぎません? オマージュなんかも含めて。ついでに小説や映画なんかも含めて。
それじゃ人生つまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
今回は有名な「カインとアベル」の話。
ふたりとも、前回まで3回に渡って追ってきた「アダムとエバ」の子どもである(ログはこちら)。
2016年にはフジTV「月9」で同名のドラマにもなってるね。見てないけど。ちなみに平幹二朗の遺作。
韓国でも同名のドラマがあり、韓国版のほうが先。
舞台も内容も別物らしいけど、このタイトルをつけるからには、ストーリーの軸は両方とも「兄弟間のドロドロな嫉妬と憎悪」に違いない。
要するに、ドラマ・タイトルになるくらいは有名なエピソードだし、そうやって作りたくなるくらいは興味深い&ドロドロな物語だし、ある意味普遍的なテーマでもある、ということだ。
映画で言うと、一番有名なのはやっぱり『エデンの東』かな。
スタインベック原作エリア・カザン監督作品の古典的名作。
タイトルの『エデンの東』とは、カインが追放された地だ。
そして、主人公ジェームス・ディーンの父親の名前(役名)はアダム。なんとあからさまな!w
あとはジェフリー・アーチャーの『ケインとアベル』もこのテーマだし、小野不由美の『屍鬼』もそうだ。
ユングはこれを「カイン・コンプレックス」と呼んだ。
要するに、親の愛(神の愛)をめぐる「兄弟(姉妹)間のドロドロな葛藤や嫉妬や競争や憎悪」のことである。
今回は、このエピソードを絵画とともに知っていく回。
まずは、今日の1枚。
ウィリアム・ブレイクの『アダムとエバによって発見されたアベルの死体』。
なんかえらくモダンな絵だ(200年前に描かれている。当時としてはかなり過激だっただろう)。
「日の丸」のような太陽がとっても印象的な絵だが、手前で頭を抱えているのがカインである。
右奥で、アダムは呆然とし、エバはひたすら悲嘆している。
そして、死んで横たわっているのがアベル。
そう、カイン(兄)は、アベル(弟)を殺すのだ。
嫉妬のあまり。憎悪のあまり。
そして、エデンの東にあるノド(放浪の意)に追放される。
ストーリーをざっくり追ってみる。
ストーリー読むの面倒な人も、映画やドラマのテーマになるくらい有名なストーリーなので、ざっと読んでおくといいと思う。
前回書いたような原罪を背負ってエデンの園を追われたアダムとエバは、ふたりの男の子を生む(性の営みによって生まれた「人類初のレギュラーな人間」)。
兄のカインと弟のアベル。
「人類初の兄弟」でもある。
当たり前だが、この辺すべて「人類初」であるw
人類初の兄弟なのに、仲良くしないで殺し合ってしまうあたりが、人間のどーしよーもなさを表しているね。
ちなみに、この時点で「人類は全員で4人」。ここ、ちょっと重要。
で、カインは農夫になり、アベルは羊飼いになった。
もちろん人類初の農夫と羊飼い。
前回書いたように、アダムは神に「おまえは生涯、苦しんで地から食物をとる」って言われてエデンの園を追放されたから、たぶん痩せた土地で、額に汗して農夫をやっているのだろう。
カインは長男だけに、必然的に「苦しんで地から食物をとる」のを手伝うわけだ。痩せた土地で苦しみながら。
そこに次男アベル。
のんびりと羊飼い。ヨーロレイヒー。
そりゃミルクもウールも毛皮も肉も必要だ。
羊飼いもそれなりに大変な仕事だろう。
でも、神の罰である苦役についているカインからすると、日々「アベルの野郎、楽しやがって」って想いが増幅していくのは仕方ない(聖書にそんなこと書いてないけどね)。
ある日、ふたりは神に献げ物をした。
カインは手塩に掛けた「農作物」。
アベルはよく太った「羊の初子」。
そしたら、神はカインの供物には目もくれず、アベルの供物(羊)だけを受け取った。
カインはアベルに激しく嫉妬し、憎悪する。
ここ、カインが可哀想すぎる。
いや、だって、農作物は元から不利だ。前菜か付け合わせだ。メインを張れる羊の初子にかなうわけない。
というか、神への献げ物は「血を流した物」と相場が決まっている。
「血を流すことなしには罪の赦しはありえない」って聖書にも書いてあるらしいし。
たぶん、神はえこひいきをしたわけではなく、「血を流した方」を選んだだけだ。
でも、そんなん知らんやん!
教えてくれなわからんやん!
まぁ神もそのあとに教えようとしたのかもしれないけど、カインとしては憤懣やるかたない。
神の愛が欲しいから献げ物したのに、オレだけまったく無視。
弟のヤロウは受け取ってもらえた。
神を憎むわけにいかないから(一方的に愛しているから)、そりゃ弟に憎悪は向かうわけだ。
嗚呼、カインーー!
カインは、アベルに声を掛け、野原に着いたとき、彼を襲って殺してしまう。「人類初の殺人者」だ。
神はカインに「アベルはどこにいるのか」と尋ねるが、カインは「知りません。わたしは弟の番人でしょうか」とすっとぼける。
すべてを知っている神は怒り、「弟の血を吸った土はもうおまえに実りをもたらさない」「生涯、地上を放浪することになる」と罰を与える。
カインはすぐに後悔して「わたしの罪は重すぎて背負いきれません。追放されたら、わたしを見つけた者はみんな私を殺そうとするでしょう」と神に慈悲を訴える。
殺すところ以外は、いちいちカインに共感できる。
「わたしは弟の番人でしょうか」ってふてくされる感じとか、急に怖くなって謝ってしまう感じとか。わかるw
カインは一般に「悪党」扱いされているんだけど、なんか全体に「哀しい」よね。この辺が映画やドラマのテーマとして取り上げられるところだろうなぁ。
神はカインを憐れみ、カインに出会う者が誰もカインを殺すことのないように、カインに印をつけた(印をつけた場所は書いていない)。
この印、くわしいことは聖書には何も書かれていない。
さらっと読むと「この人を殺してはいけない」という印に読めるけど、でも、そうではないだろうと思う。
カインに会った人すべてに、何の説明なく「この人を殺してはいけない」とわかる印をカラダにつけるなんて不可能というか、いちいち神が出てきて説明でもしない限り無理。
そうではなくて、つまり、「この人はあなたを殺しかねない恐ろしい人であるから近寄るな」という印をつけたのだと思う。
一見して恐ろしい人とわかるような。
誰も近寄りたくないような。
たとえば、こんなの(たとえが古い!)
・・・こうしてカインは、みんなに怖れられ、誰も近寄ってこず、孤独に放浪を続ける運命になったのだ。
ヘルマン・ヘッセは、名作『デミアン』で「カインの印は元々彼にあったもので、それが周りを怖れさせたからこそ、あの話が後付けで生まれた」みたいなことをデミアンに語らせている。
やっぱり「人を怖れさせる印」なのだな、と思う。
ちょっとハリー・ポッターの額の傷を思い出させもするね。
こうして放浪者になったカインは、エデンの東の「ノド」(ノマドの原語:放浪の意)の地に住み、妻と知り合って、子どもエノクを授かる。
住み、と書いてあるが、ノド(放浪)なので、ずっと放浪を続けた、ということだろう。
一方、アダムとエバは、カインとアベルというふたりしかいなかった息子の両方を失うが、その後、セト(セツ)という男の子に恵まれる。
このセトの10代くらいあとの子孫が「ノアの箱舟」のノアだ。
よかった!
カインは(超恐ろしい印をつけているにも関わらず)、無事に妻と巡り会った。
そして、妻はカインを見た目で差別しなかった!
なんて素晴らしい妻!
だけども、登場人物の中でこの妻だけが名無しだ。
名前が聖書に書かれていない。
でも、カインの血を継ぐ子どもの名前はエノクとつけられている。
これはこれで意味深だ。
つまり、妻は「神が認めていない何か」ということなのかもしれない(異教徒とか、違う部族とか、もしかしたら人間ではないとか)。
というかですね。
ゼロから天地創造したあと、神はアダムとエバを造ったわけですよ。
そしてそんなに時間も経たずにカインとアベルが生まれたわけですよ。
つまり、他に異教徒も部族も存在するヒマがないわけですよ。
だって、地球が創られてまだ間もないんだから。
それどころか、アベルが死んじゃった今、人類はたった3人のはずなのだ。
なのに、カインは「わたしを見つけた者はみんな私を殺そうとするでしょう」って嘆く。この「みんな」って誰?
そしてカインは、エデンの東で妻と知り合う。この「妻」っていったい誰?
アダムとエバ以外に始祖がいるん??
このことは数多の聖職者や研究者を悩ませた。
ここでいろんな説を取り上げるのは本筋じゃないのでしない。
でも、旧約聖書って、こういう矛盾が本当に多いんだよなぁ。。。
気を取り直して、今日の1枚をもう一度見直してみよう。
上のストーリーを読めば、より深くわかると思うし、カインの表情とか、なんか泣けてくる。
嗚呼、カイン・・・(泣)
ちなみに、こうやってアップで見ると、カインの額にちょっと赤い色が見える。
これ、神(たぶんこの絵では太陽が象徴している)がつけた「印」は額につけられた、ということなんだろうなぁ、と思う。
その恐ろしい印を見て、アダムが「も、もしかして、カインが、カインがアベルを殺したのか」と気づき、呆然とする。
この表情、ブレイクの数ある絵の中でも出色かと思う。
カインは、手前にスコップがあるのでわかるように、墓を掘ってた。
心の中では悔い改めていたのだろうけど、表面上は事故死に見せかけて一緒に悲しむふりをしたのかもしれない。
でも、額に印をつけられて、それを父アダムに見られてしまい、父に気づかれてしまう。。。
いや、もしかしたら、カインが「父さん、母さん、すいません! ボクが殺ったんだ!」と告白し、スコップを放り出して逃げ出したのか・・・。
いろいろと解釈が考えられるこの絵は、見飽きずずっと見てられる。
ボクにとっては名作だ。
これを描いたウィリアム・ブレイクは、この旧約聖書シリーズの序盤ですでに3回目の登場だ。
別にすごい好きってわけではないのだけど、なんか要所要所で印象的な絵を描いてるんだよね。
奇想の画家で、噛めば噛むほどおいしくなるスルメ系。
さてと、もうすでに長いのだけど、「カインとアベル」は難しいテーマなので、どうしてもね・・・
次のにはカインは出てこない。
アベルの死を悲しんでいるアダムとエバだ。
ウィリアム・アドルフ・ブグローの『アベルの死に対する嘆き』
とても写実的で、現代人にはわかりやすい。
カインはもう去ってしまったのかもしれない。
それを含めての嘆きだろう。
エバもつらいな・・・。
楽園を追放され、産みの苦しみを罰として受け、子ども同士が殺し合い、ふたりとも失ってしまった・・・。
ふたりがまだ子どものときは、下の絵のように、きっとそれなりに幸せな生活だったのだろうと思うのだけど。
バッキアッカ『アダムとイブとカインとアベル』(遠い後ろには楽園追放が描かれている)。
このころは(追放されたとはいえ)慎ましやかで幸せそうだよね。
さて。
ちょっとストーリーを巻き戻してみる。
カインとアベルが神に献げ物をする場面の絵を探してみた。
マリオット・アルベルティネッリ『カインとアベルの犠牲』。
ふたりで供物を献げているが、なんか天から光みたいのが飛んできて、仔羊を焼き、煙が天に向かっている。
神に届いたというサインなのかな。
カインが「う、なぜそっちだけ?」ってなってる。
いやホント、カインのももらってあげればいいじゃんって思うけど、上の方で書いたように、神への献げ物は『血を流した物』なのだ。
残念ながら、単なる農作物は受け取ってもらえない。
ギュスターヴ・ドレの版画『献げ物をするカインとアベル』
上の絵とこの版画の2枚で、「神が受け取ってくれなかった、ということを一般的に煙のたなびき方で表現したんだな」ってわかる。
カインが「なによ、あっちだけ」って、なよっとしてるw
シシリアのモンレアーレ大聖堂のモザイク画。
これも羊のほうだけ、神が手を出している様が描かれている。
カインがかわいそうだ。
マジメに作ったのに。
これはファン・エイク兄弟の「ヘントの祭壇画」の部分。
彫刻のようだが、絵だ(この辺、ヤン・ファン・エイクの神技)。
アベルは羊を、カイン(最初から意地悪な顔で描いてあるなぁ)は農作物を献げようとしている。
カインー、それ、エノキダケ?(違
下は同じく、「ヘントの祭壇画」の別の部分(上のと対になっている。そして実は『アダムとエバの創造』の回で取り上げたファン・エイク兄弟の描いたアダムとエバの上部にある絵である)。
怒ったカインがアベルを襲っている。
左足で急所を押しつぶしているあたり、実はケンカしなれてる?
ということで、カインがアベルを殺す場面を、次々と見ていこう。
これ、画家の想像力を刺激したのか、数が多いんだよね。
その中から一部を。
まずはシャガール。
この絵、なんか飽きずに見ていられる。
雑なんだけど線が強い。いろんな感情が描かれている。
ティントレットも描いている。
このカラダのひねりはマニエリスムっぽい。
右下に献げ物にした仔羊の首が残っているということは、その場で殺した、という解釈。
ルーベンスはさすがの迫力。
ティントレットはアベルの顔を描かなかったが、ルーベンスはなんだか鬼気迫るアベルを描いている。うしろに献げ物をした祭壇が見える。
マルトロメオ・マンフレディ。
いやぁ、次の瞬間の痛みが伝わってくるような描写。野球的なスイング。パッコーンって音が聞こえてくるような・・・
これ、絶対痛い。
というか、なんかホワイトなアベル(いい者)と、ダークなカイン(悪者)がわかりやすすぎて、これまたカインに同情・・・。
ルカス・ファン・レイデンのは珍しく反撃しているアベルだ。
アベルがカインの急所を蹴っているw
カインは「痛っ」って少し変な格好になってる。
カインは動物の骨を武器にしているのかな。
ピエトロ・ノベッリのは殺したあと、神に責められているところだ。
アベルの頭から血が流れていて生々しい。
上の方でも取り上げたギュスターヴ・ドレをもう1枚。
恐ろしさ、取り替えしのつかなさ、後悔、そんなものまで描かれているいい版画。
ちょっと蛇に見える物体がカインの足もとに。
蛇かな。蛇に「殺(や)っちゃいな」ってそそのかされた可能性をちょっとだけ匂わしている感じ。
ミッシェル・コクシー。
ジェームズ・カーンみたいなカインが逃げていくが、神が逃がさない。
アベルの局所を、武器にしていた動物の骨で隠すってどうよ。
そろそろオシマイ。
ギベルティが「天国の門」に彫った『カインとアベルの物語』は、この辺のストーリーの流れを全部表現してくれている。
1. アダムとエバにふたりの子どもができ、
2. アベルは羊飼いに、
3. カインは農夫になった。
4. ふたりは献げ物をし、アベルだけ受け取られる。
5. カインはアベルを殺す。
6. カインは神から罰を受け、放浪の旅に出る。
あと、ギュスターヴ・モローもストーリー的に三部作を描いている(「人間の生」という祭壇画の一部)。
説明しない。
なんか感動的だ。ボクはとても好きな連作。
特に、アベルだけ認められたところとか、アベルを殺して夕陽に立つカインとか、泣ける。
追放されたあとのカインは意外と描いている人少ないんだけど、エマニュエル・クレセンス・リシュカ(Emanuel Krescenc Liška)の絵をひとつ。
なかなかドラマチックだ。
最後は、放浪しているカインの絵。
フェルナン・コルモン『カイン』。
もう妻に子どもができ(ふたり)、カインは部族を率いている。
というか、だから妻も部族もいったいどこから来たんだって? 異端の徒か?
神話的美化をまるでしていない、やけにリアルなカイン。
長年の放浪で年老い、皮膚もずいぶん垂れてしまっている。
カインを、その恐ろしい印がありながら、差別せず、夫にした「名無し」の妻。
彼女はどこから来て、どう愛し合い、どういう生活をし、どこへ行くのか。
絵を見ながら、いろいろ考えてしまう。
この絵も名作だと思う。
・・・余談だが。
カインは、実は「蛇(サタン)」の子だという説がある。
つまりエバは、アダム以前に、エデンの園の善悪の知識の木のとこで、サタンと交わっていたということ(うわぁ)。そして長男としてカインが生まれてきた、ということ。
だから、神から疎まれ、供物を受け入れてもらえなかったという説。
・・・もしそうだったら、そのストーリーはより哀しいなぁ。哀しすぎるよカイン。
ちなみに、カインとアベルをくわしく調べているうちに、有島武郎とか読み返したくなったのでリンクだけ貼っておきます。
ということで、今回は以上。
画家たちの想像力をかなり刺激するテーマなせいか、えらく長くなってすいません。
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このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。
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