聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(新約聖書篇16) 〜洗礼者ヨハネの処刑(サロメ)
さて、ここまで書いてきた「洗礼者ヨハネ」の話を30秒でまとめるとこうなる。
ヨハネ、このとき、30歳くらい(イエスと同い年)。
イエスはこの後、前回書いた「悪魔の誘惑」を退け、12人の弟子を従えて布教活動に入り、約3年後に十字架にかけられる。
そしてヨハネはヨハネで壮絶なる殉教をする。
首を斬られて見せしめになる。
で、特に洗礼者ヨハネの殉教が有名なのは「サロメ」という女性が登場するからだ。
サロメ。
聞いたことある人の多いだろう。
でも、オスカー・ワイルドの同名の有名な戯曲とか読んでる日本人は少ないので、信者以外ではなんとなく知ってるレベルだろうと思う。
ボクもなんとなく知っていたけど、正確には知らなかった。そうかサロメって聖書の登場人物なんだな。
いや、ごめん、この言い方もちょっと不正確だった。
実は聖書には「サロメ」なんて名前はひとつも出てこない。
ただ、サロメは実在の人物で、『ユダヤ古代誌』という古い本にヘロデの娘としてその名が出てくる。それもあってみんなが聖書の登場人物を「サロメ」と呼ぶようになり、いまでは普通に「サロメ」という名前で定着した、ということのようだ。
そして、聖書では踊りがうまい少女なんだけど、いまや「魔性の女(ファム・ファタール)」的に扱われることも多い。
その「サロメ」が大きな役割を果たすのが、今回のお話。
ざっとストーリーをまとめてみよう。
当時、パレスチナの地はローマ帝国の統治下にあり、ユダヤ人の領主もローマの顔色ばかりを気にする弱腰政権だった。
イエスが生まれたとき「幼児虐殺」を命じたヘロデ王がその領主として一番有名なのだけど、その息子のヘロデ(同名でややこしい)が今回のキーマンのひとりだ。
彼は、洗礼者ヨハネの人気を怖れていた。
「ヨハネをリーダーに暴動が起きるのではないか」と心配していたわけ。ローマ圧制下において彼の権力は弱々だったし、まぁ施政者としては当然の心配だよね。
そして、ヘロデの妻(ヘロディアスという名前。これもややこしい)は、洗礼者ヨハネを憎んでいた。
彼女はヘロデの弟の妻だったのを曲げてヘロデと結婚したのだけど、ヨハネが「兄弟の妻を娶るのは聖書の律法に反する!」と公然と批判していたのだ。そしてその批判に同調する人もどんどん増えている。
なので、妻は権力者である夫に「あいつ、うざいから、早く捕まえて処刑しなさいよ」と散々せっついていた。
夫は、実は「ヨハネは救世主かも」って心の中で思っていたので、ヨハネを処刑すると神罰が下りそうで怖いんだな。
とはいえ妻がうるさいから反逆罪で捕まえるには捕まえたけど、怖いから処刑はせず、深い井戸に閉じ込めて放っておいたわけ。
妻ヘロディアは、それが不満で仕方がない。
・・・えっと、ここまでいいすかね。
そういう状況だ。
戯曲や映画にもなった有名な話なので、理解しておくといいかなと思う。
で、ある日。
ヘロデは、自分の誕生日を祝うパーティを開く。
その席上で、妻ヘロディアスの前夫の娘サロメが余興で踊ったのだ。
少女サロメはダンスの名手として知られていた。
そして、それはそれは美しいダンスを披露し、ヘロデは酒に酔っていて気が大きくなったのだろう、褒め称えた挙げ句、こんなことを言う。
「なんと素晴らしいダンスだろう。
いや、素晴らしい。
褒美に何でも欲しいものをやろう。
この国の半分でもいいぞ。言ってみなさい」
力がない権力者ほどこういうことを言っちゃうよねー。
それを見逃さない妻ヘロディアス(後世、悪女と呼ばれる)。
娘を呼んでこう言う。
「サロメ、ヨハネの首をおねだりしなさい」
少女サロメは母の言いなり。
まだ判断力がない。
素直に母の言うことを聞いて、「洗礼者ヨハネの首を盆に載せていただきたく存じます」と申し出る。
ヘロデは仰天するが、言ってしまった手前あとには引けない。
ヨハネを殺しちゃって神罰受けないかなぁ、と不安になりながら、衛兵に命じ、ヨハネの首を即座に切り落とさせ、盆に載せて持ってこさせる。
あわれ洗礼者ヨハネ、パーティの余興の露と消える。
人気ある宗教家の死に方としては相当スキャンダラスだ。
パーティー、ダンス、悪女、少女、殉教、生首・・・。
これらによって小説家や画家などアーティストたちの想像力に火がついて、古今、いろんなアートが生み出されてきた、というわけだね。
そして、描かれていくうちに、どんどん盛り盛りになっていく。
少女は妖艶な美女へと変わり、美女は「宿命の女(ファム・ファタール)」へと進化していく。
そして、サロメはお盆の生首をもちながら微笑みさえ見せるようになる。
「猟奇的なエロチックさ」さえ感じさせるようになる。
聖書において、「生首」というモチーフは、「ゴリアテ」や「ユディト」など、お馴染みのものだ。
しかし、なんというか、生首をお盆に乗せて、って、やっぱ他のに比べても相当猟奇的だよなぁ。
ということで、絵を見ていこう。
もう洗礼者ヨハネの死は添え物だ。
ヨハネが少し好きになっていたボクとしてはなかなかに悲しい。
でも仕方がない。主役はサロメである。
まずは、ヨハネが首を斬られる前の場面から。
カラヴァッジョ。
首切り人がいままさに斬首しようとしているところ。
お盆とか用意しているのも使用人たちだろう。名画。
ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ。
まさに洗礼者ヨハネの首が刎ねられるところ。迫力あるいい絵。
右にいるのはヘロデとその妻だろうか。
ヨハネは葦で作った十字架の杖をもち、ラクダの皮を纏っている。この記号により、見る人は「あ、これはヨハネの斬首の場面だ」とわかるわけだ。
マッシモ・スタンツィオーネ。
これも切り落とす寸前の情景。ああ、ヨハネ。
ギュスターヴ・モロー。
一瞬、物思う女性を描いたロマンチックな絵に見えるけど、よく見ていくと左奥にいままさに首を斬られようとしている洗礼者ヨハネがいる。
で、もっとよく見ると、いままでヨハネがつながれていた鎖を女性は見ている。というか、首が斬られるその「音」を耳を澄まして聞いているようだ。
この場面解釈が本当にすばらしい。
ゴッツォリ。
左側でヨハネの首が刎ねられようとしている。
中央にいるのはダンスをしているサロメ。右がヘロデか。
ダンスしている後ろの方にヘロディアとサロメがヨハネの首をもって何か話している。
つまり、このストーリーを全部一画面に収めた絵ですね。
あ、ジェームズ・ティソさんが、サロメの踊りの場面のみを描いているので、それも載せておこう。この題材は珍しい。さすがティソさん。
サロメ、すごいアクロバティックなダンスを見せている。身を乗り出すヘロデ。
リッピ。
左にヘロデ、右にヘロディア。
で、サロメがお盆の首をヘロディアに見せている、という説明的な絵。いや、けなしているのではないよ。文盲の人が多かった当時、聖書の場面を説明する大事な役割を絵が担っていたからね。
クラナッハ。
いやー、いかにもクラナッハw
もう準常連級になってきたなクラナッハ。
つか、この表情、独特だよなぁ。
果物のお盆と並べているアイデアは特にすごい(ちなみにお盆のブドウはイエスの象徴)。
クラナッハはこの題材がお好きなようで、わりと描いているのであと2枚。
どちらもヨハネが克明。次の絵なんて、ヨハネがこっちと目を合わせに来る。。。サロメとヨハネに目を合わされると・・・なかなかいろいろ感じるものがあるなぁ。名画。
アンドレア・アンサルド。
いやーすごい絵だなぁ・・・。
妻ヘロディアがまだ憎しみをあらわに刺そうとしている。サロメは小さい少女。奥ではヨハネの死体が見えている。いい絵。
レンブラント。
首切り人が首をお盆に載せてサロメに渡そうとしている。
ヘロデの後ろには母ヘロディア。「本当に死んだ? よしよし」と確認している。首の下にはヨハネの死体。
カラヴァッジョ。
この生首テーマはカラヴァッジョのお気に入り。
サロメはそれでもちょっと気持ち悪がっている。そりゃそうだ。
後ろは母ヘロディアだろうか。彼女が裏で糸を引いている感じをこの構図で表している。二人羽織のようだ。
それにしても、この陰影のつけ方は圧倒的だね。
カラヴァッジョからもう1枚。
これも二人羽織。サロメはちょっと不満顔でもある。気持ち悪いという感情と、母の言いなりになっている自分への葛藤。
ベルナルディーノ・ルイーニから3枚。
彼はダ・ヴィンチに影響を受けた同時代の画家。
まだ純情そうなサロメの、なんとも言えない無表情感がグッとくる。3枚ともとってもいい絵。
この3枚目は少しほくそ笑んでいるというか、「母の言いなり」というサロメとは少し感じが違う。この絵、わりと長時間見ていられるな。好き。
ティツィアーノ。
右奥に黒っぽい天使がいる。これは母娘をたきつけた悪魔であろうか。それともヨハネを天国に迎えるためにきたプット(赤ちゃん天使)だろうか。
これもいい絵だなぁ。
アロンソ・ベルゲーテ。
サロメの表情がわりと弱々しく、無理矢理のご褒美であることがよくわかる。ヨハネがきれいにヒゲをあたっているのが不思議な絵ではあるけれど。
カルロ・ドルチ。
洗礼者ヨハネの頭部が金色に光っているのがとてもユニークで印象的。サロメの表情がいいね。
アルテミジア・ジェンティレスキ。
有名な女性画家の彼女は、女性目線で描いていてとてもいいんだけど、これも「なによ、これがご褒美?」って感じの本音が見えるサロメで、わりと好き。
というか、サロメが普通の女性だよね。男性視点での「妖艶なサロメ」に飽き飽きしてたんじゃないかな。
ジェイコブ・ダック。
ヘロディアの悪女な感じ、サロメの戸惑い、生首のリアルさなど、よく伝わってくる絵。ただ、なんとなく散漫な印象を受ける。左にいるのは首切り人かな。
ベルナルド・ストロッツィ。
うわー、なんか怖い絵だなぁ。このカメラ目線のサロメの表情w
奥の人(たぶん首切り人)が、上の方のカラヴァッジョの首切り人と顔が酷似している。陰影のつけ方といい、カラヴァッジョをまねたのかも、と思って調べたら、同時代で10歳年下だった。あの絵を受けて描いたんだなきっと。
ストーメル。
生首を確認する母娘。一点照明の絵なのでもっと陰影をつけて欲しいけど、それぞれの表情とかは好き。
ボッティチェリ。
なんかこのいそいそ感がおもしろい。「早くお母様に見せないと!」
アンドレア・ソラーリ。
なんかサロメのドレスが面白い。全身を見たい。
ジャック・ステラ。
いやー、この母娘の、普段の雑談をしているようなさりげなさと、お盆の生首のギャップがすごい。普通の無駄話の中で「ヨハネという尊い殉教者の無駄死に」が消化されちゃっている感じがすごい。
生首が重そうなのもよく描けているなぁ。。。
ティツィアーノ。
いままでの「戸惑う少女」っぽいサロメと違い、お盆を掲げて少し妖艶にこちらを見るサロメになっている。
ギュスターヴ・ドレさんのサロメもわりと大人かつ強い系だ。なんか指でつついたりして。
さて、サロメを「宿命の女」として描いている絵をいくつか。
フュースリー。
オカルト系を得意としたフュースリーっぽい絵。サロメの表情がいい。妙にエロチックな雰囲気を醸し出している。
モローの有名な絵「出現」。
とても印象的な強い絵だけど、これ、ストーリーをよく知らないとわけわからない絵だよね。というか、もう「サロメが求めた」って解釈になっちゃっているし。
こうしていろいろな絵を見てくると本当に「強い絵」だし、当時としては画期的な表現だということがよくわかる。
とても好きな絵でもあるので、これを「今日の1枚」にしたいと思う。
ヴィルヘルム・フォルツ。
すでに踊り子サロメ。しかもかなり年増になっている。
ヨハネが。ヨハネさんが。。。ヨハネさん〜。。。
サロメの赤が血と呼応して、なかなか生々しい。
フランツ・フォン・シュトゥック。
いやもう、すごいセクシーかつ妖艶なサロメになっている。暗がりをよく見ると、お盆に生首が乗っている。こうしてどんどん盛られていく感じ。
ジュラ・エデル。
これまた妖艶な。。。表情がもうなんか勝ち誇っている。
クリムト。
この絵は「ユディト」の回でも紹介した。一般には「ユディトll」と呼ばれている絵だけど、実はサロメを題材にしているのではないか、とも言われている。クリムト自身が題名をつけていないので謎なのだ。
でも、これが「サロメ」なら、もう聖書に書かれたエピソードとは別物の、とてもセクシーな場面になっている、ということだ。
オーブリー・ビアズリー。
オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のによるイラストレーション。有名な絵。もう完全に「悪女」と「宿命の女」だ。
ジェームズ・ティソさん、2枚目。
こえー。こわすぎる。ヨハネの首になにかを描こうとしているサロメだろうか。もうこの辺になると「ファム・ファタール」なサロメだね。
ということで、今回もそろそろオシマイ。
サロメばっかりだったので、洗礼者ヨハネを主人公にした絵をひとつ。いや、主人公というか、単なる生首なのだけど・・・。
ジョヴァンニ・ベッリーニ。
ヨハネの人生ってなんだったんだろう、って遠い目になる絵。
いやぁ、ヨハネ、最後にイエスに洗礼をしたことで、ある意味、人生が完結したのかもしれないなぁ。
そうは思いつつ、どうしても「無駄死に感」が強く漂う今回だった。
えっと、次回からイエスの布教活動が始まるよ。
まずは「十二人の使徒たち」を整理してみたいと思う。
・・・あ、おまけとして、珍品があったのでご紹介。
「この天勝」というのは、芸者さんかな?
※FBで「最後の写真の日本人は松旭斎天勝という奇術師さんです。明治期から昭和期にかけて活躍された方のようです」と教えてもらいました。
「サロメに紛せる天勝」という絵はがき。
すごいな、この絵はがき・・・。
※
この新約聖書のシリーズのログはこちらにまとめて行きます。
ちなみに旧約聖書篇は完結していて、こちら。
※※
間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『天使と悪魔の絵画史』『天使のひきだし』『悪魔のダンス』『マリアのウィンク』『図解聖書』『鑑賞のためのキリスト教事典』『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。