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講演は「誰かひとり」に向かって話す。


ここ5年くらい、毎年だいたい100回くらいは講演があるのだけど、今年は(対談やパネル、司会なども含めて)120回を越えた。

正確に言うと121本。
平均するとだいたい月に10本。3日に1回はなにかしらで登壇していることになる。今年は夏場はそんなに講演がなかったので、春と秋は2日に1本はしていた印象。

もちろん講演は本業ではない。
でも、本『ファンベース』がじわじわ売れ続けていることもあり、その話を聴きたいと言ってくださる方も多く、去年と今年はちょっと多めだった。

ありがたいことです。
ありがとうございます。

だいたい1時間30分の講演が多いかな。
ファンベースの話を超盛りだくさんで話すので、それでも250枚くらいのスライド数になる。

1分で3枚くらい話さないと終わらない。
かなりのスピード感だ。
まぁ間をゆっくり取って話すスキルがない、とも言えるw


というか、もともと、話すのが苦手だったのだ。

最近はさすがに場慣れして(そりゃこんだけ回数が多いとね)、わりとベラベラ話せるようになったのだけど、実は人前で話すのは人生最大の不得意分野だった。意外と信じてもらえないのだけど。

まず極度の人見知り。
そして(特に若いときは)ええ格好しい。つまり見栄っ張り。恥をかくことを怖がるタイプ。

それらが原因なのかもしれないけど、赤面症で、すぐ耳まで真っ赤になった。声もよく震えた。いや、ホント、不得意だった。

本『明日の広告』を出したころから、講演の依頼が来始めたのだけど、最初の頃はもう本当に緊張してたなぁ。いま考えても下手くそだったと思う。


というか、大勢に話す、ってどう話せばいいのか、当時は本当にわからなかった。

大勢、つまり「いろんな人」がいて「いろんな価値観」があって「いろんな経験値」があって「いろんなレベル」がある。そういう人たち全員に内容をきちんと伝えないといけない

有料だったら全員に元を取って帰って欲しいし、無料だとしても「貴重な時間」をいただくわけだから、全員にしっかり内容を受け取って帰って欲しい。

でも、どうすればいいんだろう?
だってみんなそれぞれ違うじゃん?
聴きたいポイントも、いま持っている課題感も違うじゃん?
リテラシーもレベルも違うじゃん?

そこに対してどういう風に話せば伝わるのだろう?

食事会とかでも、2人とか3人とか、多くて4人までなら安心していろいろ話せるんだけど、5人以上の宴会になると「みんなに伝わるように話そう」と思ってしまい、なんかうまく話せなくなる。

それといっしょで、講演も「大勢が相手」だから「みんなに伝わらないといけない」とか考えてしまって、結果、焦点が来ていないぼんやりした話を話すことになる。

うーん、ねえ、どう話せばいいの・・・?


あ、こうすればいいのか、とわかったのは、5年前くらいだ。

ある日、慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)にゲスト講師として呼ばれたときのことだ。

学生たち相手というのはそれはそれで緊張するもので(ちょっと気を抜くと寝るからね)、それなりにがんばって予習した。

というか、その日は「がんばる理由」がもうひとつあった。

娘が聴きに来ていたのだ。

彼女は当時、SFCの学生で、この授業を取っていたのである。


で、講義のあとのこと。

呼んでいただいた松井孝治教授に、「いままでの人生で聴いた講義・講演の中で、掛け値なしに一番良かった」と評価していただいた。

生徒たちからもいくつか熱いメッセージを速攻でもらった。

意外だった。
今日のが? なんで?

さすがにこんなに褒められたのは記憶にない。
いったいいつもと何が違ったのだろう。。。

確かにいつもの講演とは作りを変えた。
みんなにわかるように、ではなく、「あるひとりのヒト」を思い浮かべながらスライドを作り、「あるひとりのヒト」にまっすぐ伝わるように、シンプルに絞って話をしたのである。

その「あるひとりのヒト」とは、娘である。

娘に講義・講演を聴いてもらうことなんて二度とないかもしれないから、オーバーに言えば「遺言」くらいな気持ちでスライド作ったし、話もした。

もちろん彼女のほうなんか見ない。
お互い照れる。
お互いに他人のフリだ。

でも、気持ちはまっすぐ彼女に向けていた。

その講義が、「その他の人たち」にもとてもウケた、ということだ。
教授にも感動してもらった、ということだ。


・・・なるほど。


いくつか理由はありそうだ。

まず、ひとりのヒトに焦点を当てて話したことで、話がまっすぐシンプルに整理された。

いままで「いろんなヒト」に伝えようと思って、あれも言っておこう、これも言っておこう、あれも付け加えよう、これも足しとこう、と、焦点がどんどんぼやけていっていたのだろう。

それがシンプルに一本道になった
だって「伝えたい相手」が明確なんだから、伝えたいこともシンプルに整理され、一本道になる。

そしてその一本道は、他の人にも断然わかりやすかった、ということだ。

もちろん他の人たちは、娘とは問題意識もリテラシーもレベルもそれぞれ違う。

でも、そうだからっていろいろな道が示されるよりも、くっきりと一本道が示される方がずっと頭に入りやすいのだ。

その一本道を見ながら「自分に当てはめるとどうだろう」と思考しやすくもなるのである。


前にこんなことを書いた。


そう、記憶に残る幕の内弁当はない。
いろんなことに言及しても、頭に入ってこないのである。

それよりも、伝えたい相手を絞って、シンプルなとんかつ弁当に仕上げた方が、きっちり記憶にも残るもののだ。


このことがわかってから、ボクの講演はずいぶんと変わった。

講演前に「誰かひとり」を決めるようになった。

ボクは講演直前までスライドをいじる方なんだけど、それは講演会場に入って聴衆の顔を見て、もしくは来ている人の傾向などを主催者に聞いて、そこで「誰かひとり」を決めるからだ。

知らない人でいい。
想像上で、たとえば「45歳の男性で、ちょっと最近勉強不足で焦っている人。やる気はある。でもファンとかよくわかっていない」とか、具体的に決めるのである。

そして、最終的にスライドを少しいじって、よりそのヒトひとりにフォーカスした話に落とし込んでいく。

講演前の主催者との打合せも、ほぼ「どういうヒトが来ますか?」「どういう問題意識をもったヒトが多いですか?」というヒアリングが主。
それさえわかれば「誰かひとり」は決められる。

また、誰かひとりに決めると、緊張であがってしまう、みたいなことが減る。

いろんなヒトに伝えようとするからあがるのだ。相手が見えないからどんどんあがっていく。
でも、相手がひとりならあがることもない。
それでもあがりそうだったら、その「ひとり」を友人に想定する。あなたも「コイツの前だと絶対あがらない」みたいな友人がいるはずだ。その人を想定してスライドを作っていくのである。


ちなみに、伝えたい相手をちゃんと決めて、イイタイコトをひとつに絞る、というのは広告の基本でもある。

そう、ボクなんか「さとなおオープンラボ」でもしょっちゅうそれを言っている。

それなのに、人々を前にすると、いろんなことを伝えようとしてしまっていた、ということですね。なんというおそまつ。お恥ずかしい。


ということで、また来年も講演がたくさんありそうなんだけど、「誰かひとり」に向かって話す、ということを念頭に頑張っていきたいと思います。

講演などのご依頼は、ぜひこちらに。

satonao310@gmail.com

来年もよろしくお願いします。



上記の慶應SFCの話は、実は「個人的にきちんと絞った話は、一般論に比べて共感されやすい」という要素も入っていると思うのだけど、共感の話をし出すと記事がとんでもなく長くなるので、それはまたそのうちに。

※※
ちなみに、講演において一番大切なのは、上記のようなことではなくて、「倒れないこと」だったりする。
病気などで倒れたら関係各所に多大なご迷惑をおかけする。それだけは避けなければならない。
だから、今年みたいに3日に1本とかの頻度で講演が続くと、とにかく倒れないようにカラダを気をつけるしかない。
来年もなんとか健康体でがんばろうと思います。


古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。