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聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇49) 〜ダビデとヨナタンの友情

1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。


前回、有名な『ダビデとゴリアテ』をやった。

石ひとつで巨人ゴリアテを倒したダビデ。
そこで彼は国中に響き渡る名声と人気を得るんだけど、実はもうひとつ得難いものを手に入れる。

それは「友情」

ここまで旧約聖書の主要な物語を見てきたけど、いわゆる「友情」を真正面から取り上げているのは今回のダビデとヨナタンが初めてじゃないかな?

ヨナタン。

サウル王の長男。
つまり、次の王になる血筋であり王子だ。

でも、ヨナタンは知っている。
ダビデが預言者サムエルに油を注がれたことを。神は次なる王にすでにダビデを選んでいることを。

つまり、ダビデは、次の王ヨナタン王子の即位を脅かす敵みたいなものなのだ。

でも、ヨナタンは、ゴリアテとの戦いを見て、戦士としても男としてもダビデに一目惚れしてしまう。

「ヨナタンは自分と同じほどにダビデを愛した」と聖書にある。

まぁ無私の愛に近い、最高レベルの友情だ。

ヨナタンは、王がどうだとか関係なく、ひたすらダビデを愛するのである。


というか、ヨナタンって名前、ちょっとかわいいよね。

ヨナタン。よなたん。

ただ、英語のスペルだと、あれになるですよ、ファミレスになるですよ!

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そう、Jonathan はヨナタンだった!

そうかー、ボクたちはヨナタンにお昼に行って、ヨナタンのドリンクバーでずっと粘ったりしてたのかー。なんかちょっと「ジョナサン」が好きになったw

ついでにだけど、ジョナサンと言えば「かもめのジョナサン」。

この著者であるリチャード・バックって、ミドルネームが「David」(=ダビデ)なんだよね。Richard David Bach。

そして、彼の息子にジョナサンと名前をつけ、その名前を使って「かもめのジョナサン」を書いたわけ。


つまり、ヨナタンが大空高く飛翔する物語を、ダビデが書いた、ということ。

ヨナタンはダビデとの友情を守ったまま、ダビデの命をつけ狙う父サウル王と共に戦場で戦い、敵に惨殺される。そんなストーリーを知ったうえで読むと、いや、なかなかに味わい深いな。


ついでのついでに言うと、古い人は知ってると思うけど、「デヴィッドとジョナサン」というグループもいる。
ビートルズの「ミッシェル」を歌い、1966年ビルボード・ヒット・チャート18位まで上がった。

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ふたりの本名はデヴィッドでもジョナサンでもないので、意識して「デヴィッドとジョナサン」(ダビデとヨナタン)というグループ名とした、ということだろう。
深い友情のふたりなのか、それともBL的な匂わせ or アピールなのか。


いま「BL的匂わせ」と書いたけど、実はダビデとヨナタン、そういう方向ではある種のシンボルにもなっている。

この友情関係は、とってもBL的(つまりBoy's Love的)なのだ。

聖書にはそんなこと一行も書いてないけど、世の中の解釈はそっち側が主なんだな。

ということで、さっそく絵を見ていきたいと思うけど、画家たちも「BL前提」で描いていると思う。


ということで、今日の1枚。

ゴットフリート・ベルンハルト・ゲッツ(Gottfried Bernhard Göz)。
左がヨナタンで右がダビデかな。右下にあるのはゴリアテの首。そう、ゴリアテを倒してすぐにふたりは運命的な出会いをする。

つか、まぁもうすでに、、、完全に愛し合ってるよね!
ダビデは19歳、ヨナタンはそれよりちょっと上だろうか。つまり青年同志のキャッキャウフフという感じだ。

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ロッコ・マルコーニ
赤い帽子がダビデ。二人は目と目を合わせ、顔を近づけて会話をしている。ヨナタンにスポットライトがあたり、上からダビデを見ている。ヨナタン主導の関係なのだな。

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チーマ・ダ・コネリアーノ(Cima da Conegliano)。
なんか田舎の通学風景みたいダビデとヨナタン。
ダビデは「新発売! 軽くて丈夫!ゴリアテの首カバン」みたいな感じで首を持ってるw

ヨナタンのダビデの見方が、もう惚れた男のそれだなぁ。少しおずおずして。
ゴリアテのカメラ目線がちょっと怖いw

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お馴染みジェームズ・ティソさんのもとってもBL的。
赤いのがヨナタンだろうな。もう口づけする勢いだ(実際、聖書にも「ヨナタンはダビデに口づけした」と書いてある)。

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常連ギュスターヴ・ドレさん。
泉のほとりって、典型的なデートスポットである。もう完全に愛の姿を描いていると思うな。ダビデはなよっとしてる。

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というか、ちょっと『日出処の天子』感ある。

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アメリカのフォーク・アート画家、エドワード・ヒックス
独特なふたりの姿。でも寄り添い方が完全に愛するふたり。右下や奥に描かれている人も何かしら意味があると思うけど、よくわからない。右下はサウル王を比喩しているのかな。

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イスラエルの画家でありルーマニア大使でもあったルーヴェン・ルビン
まぁ完全に同性愛なふたりだ。
まだ同性愛がそんなに市民権を得ていない頃、旧約聖書のダビデとヨナタンの存在が救いだった人たちは多かったんだろうと思う。

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主にそっち方面の彫刻を残している作家マルコム・リドベリー(Malcolm Lidbury)はわりとあからさまなものを作っている。

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ちなみに、キリスト教関係の学者で「彼らの愛はプラトニックであった」という解釈をしている人ももちろんいる。

エジンバラの「St Marks Episcopal Church」にあるステンドグラスなんかは、BL的なものよりも友情に寄った表現かなと思う。

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その後、ダビデは民衆の絶大なる人気を得て、サウル王の嫉妬を買い、命を狙われる。

サウル王 「ダビデは、その人気に乗じて王位を奪おうとしておる。みなのもの、ダビデの命を取れ!」


それはヨナタン王子にも命じられる。

ここ、前々回にも考察したけど、サウル王とダビデの関係もボクはBL的であったのだろうと疑っているので、サウル王の嫉妬はヨナタンにも向けられていたと思うな。

で、こっそりとヨナタンはダビデに会いに行き、「もう会えなくなるけど、とにかく逃げたほうがいい」と忠告する。

でもダビデは信じられない。

「ねえヨナタン。本当にサウル王は自分の命を狙っているの? もう許される可能性はないの? サウル王に聞いてくれない?」とヨナタンに頼む。

フェルディナント・ボル
「ねえヨナタン、そんなはずはないよ、サウル王は私を寵愛していたはず。どうかサウル王の心を探ってきて!」

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レンブラントの師匠、ピーテル・ラストマン
「ね、お願い、サウル王の心を探ってきて」

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リヴィオ・レッティ
「うん、わかった。ぼくがお父さまの心を探ってくるよ。もし危険が迫っているとわかったら、もう会うのは危険だから、合図をするね。ボクが弓を放ち、少年に弓を拾わせる。そうしたら『危険だ、すぐ逃げろ』という合図だ」

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ユリウス・シュノル・フォン・カロルスフェルト(Julius Schnorr von Carolsfeld)。
「わかった。ヨナタン、ありがとう。でも、そうなったときは、もう会えなくなるかもしれないんだよね?」

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聖書の挿絵。
「そうだ。もう会えなくなるかもしれない。でも仕方ないんだ。ボクはキミを愛したことを誇りに思う」

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レンブラント
「あぁヨナタン。ぼくはヨナタンに会えないと、もう、どうしていいか・・・」

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笑。
思わず、メロドラマ的セリフで引っ張ってしまった。

とにかくヨナタンは父サウル王の元へ行ってサウル王を説得することにした。

ティソさん。
「父さん、ダビデはそんなやつではありません!」
「うるさいっ! もうこうなったらお前も殺してやるぅ!」
「父さん!」

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ほうほうの体で逃げ出したヨナタンは、約束の場所にでかけ、自分の射た弓を少年に拾わせる。

そう、「ダビデに危険が迫っているよ! すぐ逃げろ!」という合図である。

フレデリック・レイトン。
ヨナタンが主役の絵。
右側にいる少年はダビデではなく、ヨナタンの従者。
ヨナタンはダビデに会えない哀しみもあると思うけど、それよりダビデを無事に逃したい思いでいっぱいだ。

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文章だけでは状況がわかりにくいと思うので、聖書の挿絵(比較的新しいものだろう)をつける。

ダビデはどこかに隠れて、ヨナタンが弓を拾わすかどうか見ている。

こうやって、ダビデとヨナタンはお互い会わずに別れていくのである。

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さて、最後の1枚。

この後、ヨナタンはある戦いで戦死する。
サウル王も山の上に追い詰められて自害する(それは次回に取り上げる)。

で、ペリシテ人の元でヨナタンの死体もサウル王の死体も晒し者にされているんだけど、ダビデが見事取り返してくる。

イツハク・フレンケル(Yitzhak Frenkel)。
この絵は、取り返したヨナタンの死体を見るダビデだろう。
ちょっとゴツすぎるけどな。

いかほどの哀しみだったか。

ダビデは哀悼の歌を詠む(多芸なダビデは吟遊詩人でもあった)。

♪ あなたを思って私は悲しむ。
 あぁヨナタン。
 女の愛に勝る、驚くべきあなたの愛!

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ヨナタンはダビデとともにいたかった。
ダビデが次の王になることも認めていた。

でも、サウル王に忠義を尽くし、ダビデを思いながら、同じ戦場で戦死する。

友情なのか、友情の延長線にあるBLなのか、別に答えはないが、ヨナタンの愛情は本物だったんだろうな、と思う。


ということで今回はオシマイ。

次回はね、「サウル王の自害」だ。ヨナタンも死んじゃうけど。



このシリーズのログはこちらにまとめてあります。

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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。

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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。



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