「佐藤」は下っ端役人の姓だった
ご存じの通り、「佐藤」という姓は日本で一番多い姓である。
明治安田生命保険が5年ごとに調査している結果によると、最新の2018年のベスト10は、
第 1 位 佐藤
第 2 位 鈴木
第 3 位 高橋
第 4 位 田中
第 5 位 渡辺
第 6 位 伊藤
第 7 位 中村
第 8 位 小林
第 9 位 山本
第10位 加藤
である。
10年前も5年前もこの順位なので、まぁこういうことなのだろう。
じゃあ、なんで「佐藤」という姓がこんなに多いのか、という疑問が浮かぶ。
これについては、ちょっと前におもしろい記事があった。
ちなみに、この記事の中に都道府県別ベスト5というのもあって、これは2008年のものだけど、面白いので貼っておきますね。
そう、佐藤姓は主に東北で多いのである。
関東は逆に鈴木姓に負けている。
そして、西に行けば行くほど、佐藤姓は減っていく。なんでだろう?
記事の中でこれについて「仮説」としながらも分析している。
森岡さんによると、「佐藤」は藤原氏の末裔だという。
平安時代中期に藤原公清(きみきよ)が左衛門尉(さえもんのじょう)となり、それ以後世襲したため、左衛門尉の「左(佐)」と藤原の「藤」を合わせた名字「佐藤」が生まれたらしい。
さらに、朝廷の職位で上から2番目を「佐(すけ)」と呼ぶので、代々この「佐」を務めた藤原氏も「佐藤」を名乗るようになった。
こうして下級官僚クラスの藤原氏が次々と「佐藤」を名乗って新天地である東日本に移り住むようになり、徐々に広がったという。
「『佐藤』という名字で大名になったり、公家や主要な神官になったりした例はあまりない。一般に家臣が主君と同じ名字を名乗ることはしないので、『佐藤』はトップの地位ではなかったおかげで増え続け、その結果、日本で最も多い名字になったのでは」と森岡さんはみる。
まぁ藤原の末裔というのはボクも親から聞かされてきたのと一緒。
ただ「下級官僚だったから増えた」というのには笑った。下っ端役人系なわけね。
でもそう言われたらそうかも。
たしかに、こんなに多い姓なのに、大名とかにいないからなぁ・・・。
ちなみに、徳島と大分でも飛び地のように「佐藤」が第1位なのは、
源平合戦の際、平家方についた多くは西日本の武士だったが、合戦で敗れると、平家方の武士の領地の多くは没収され、特に徳島と大分では源氏方の東日本の武将たちに分け与えられた。東日本の武将はこれらの土地に一族や郎党を派遣し、統治するケースが多かったらしい。そのために、西日本でも徳島と大分では「佐藤」が多く残ったというのだ。
だとか。なるほどー。
ちなみに、ボク自身のルーツは新潟県だと聞かされている。
新潟県も「佐藤」が1位だから、多かったんだろうな。
長岡に先祖代々のお墓があるし、ルーツの村は佐藤姓ばかりらしい(行ったことないけど)。
ボクの遠い先祖も下級官僚だったのだろうか。
祖父母は「源義経の家臣の佐藤継信、忠信兄弟の末裔だ」と言っていたが、そうとう疑わしいのでw、たぶん下級官僚とかだったのだろう。
どんな暮らしをしていただんだろうなぁ・・・
ちなみに、「鈴木」についても考察してある。
「鈴木」のルーツは紀伊半島の熊野だとされる。
この地域では刈り取った後の稲わらを積み重ねたものを「スズキ」と呼んでおり、「鈴木」は稲作と関係の深い名字だった。
やがて「鈴木」の名字は熊野信仰と結びつき、山伏とともに全国に広がった。
この過程で最も栄えたのが三河の「鈴木」一族だった。三河で生まれた徳川家康が天下人となり、江戸に本拠を構えると、家臣の「鈴木」一族もこれに大挙して従い、東海から関東地区に多く移り住んだというわけ。
なるほど、下級官僚よりなんかありがたい由来だw
鈴木さんは熊野詣でをしないとね。
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