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ヴォーリズ、リベラル・アーツ、愛神愛隣 〜内田樹先生「最終講義」備忘録


ある理由があって、本業をしつつバーを開業したのだけど。

その顛末記を書くにあたって建築家ヴォーリズのあるエピソードを書こうと思い、「そういえば、この話を知ったのは『内田樹先生の最終講義』だったな。たしか昔のブログに書いていたぞ」と検索してみた。

そしたら昔のサイトに全3回で書き残していた。
それがなかなかいい内容だったので(自分で言うな)、備忘録としてnoteに再録してみたい。

ちなみにそのブログは2011年1月23日(日)〜25日(火)に書かれている。


ここから再録(読みやすくするために多少の加筆修正をしています)。



ボクにはラッキーにも「ありがたい友人」が何人かいる。

ボクの人生にこれ以上ないタイミングでこれ以上ない貴重なお誘いやお知らせをしてくれる友人たちである。たぶんあちらはそんな意識はないだろうしボクもそのときは気づいていない。でも振り返るとそのお誘いやお知らせが実は岐路になっている。そんな友人たち。

松井孝治さんはそのうちのひとりである(友人というのも失礼だが他の単語を思いつかない)。

もともとボクの個人サイトを通じて知り合ったのだが、ボクの「政治家に対する偏見」を根っこから改めさせてくれたのもこの方である(前官房副長官である 注:現京都市長)

彼を知ってからボクは政治を斜めに見なくなった。
人が真摯かつ誠意を持って事に当たっていることを揶揄したり嘲笑したりすることはできない。ボクが真っ正面から「自分だったらどうするか」という視点で政治を見始め、当事者意識を持ち始めたのもこの方と知り合ってからである。

ま、それはいいとして、彼はいろいろ貴重なお誘いをしてくれる。
今回も感謝感謝感謝であった。

2010年12月にメールで「そういえば内田先生の最終講義があります。聴講フリーです。私はちょうど地元の京都に帰っている日なので神戸まで行こうと思いますが、さとなおさんはどうしますか?」と教えてくれたのである。即座に「行く!」と答えた。

ボクは内田樹(たつる)のブログを2003年くらいから愛読している。

いまのブログと副題もレイアウトも違うころからである。
こんなクオリティの高いものを毎日のようにブログに書き続ける人ってどんな人だろう、と驚嘆しながら読んでいた。

一時コメント欄があったころがあり、毎日のように炎上しかけていたときはドキドキした(意識的に暴言を吐くことが多い方なので)。嫌気がさしてブログを止めちゃったらどうしよう。止めないで!と祈るような気持ちで毎日読みに行っていた。

天の邪鬼気質が強いボクは、彼がベストセラー評論家になり爆発的に売れ始めてからは逆にあまり読まなくなってしまったのだが、それでも重要な記事は自然とRTとかされてあちらからやってくる。しかもブログの内容がどんどん本になる。だから自然と読み続けてはいた。逆に言うと「本になるクオリティのものが毎日のように書かれている」のが内田樹ブログなのである。

松井さんも内田フリークで、講演にもこまめに通っていた。
そのうち内田さんと一緒のご飯にボクを呼んでくれたりもした。

嗚呼オレいま内田樹の隣に座ってるよ(しかもその向こうには高橋源一郎がいるよ! ふたりで村上春樹論を語っているよ!)。あの夜の夢みたいな感じはいまでも忘れられない(この日のブログ)。

しかもその日の記録があの内田樹ブログにも書かれている。申し訳ない。わずかとはいえ彼の脳細胞の一部分を占有してしまった(この日の内田樹ブログ)。

ま、ようするに大ファンなわけです(笑)
そりゃ即決で行くわいな。しかも「最終講義」なんて本を持っているくらい最終講義には興味がある。その人のエッセンスが表出するものが最終講義なのである。


ということで、長躯、兵庫県は門戸厄神の「神戸女学院大学」まで行ってきた。日帰りである。執筆締切直前である。編集者には内緒である(バレバレだよw)

神戸女学院大学は、実は妻の出身校でもあり、ボク自身も近所の苦楽園・夙川・芦屋に14年住んでいたこともあり、わりと身近な存在の大学である。有名なヴォーリズの設計・建築。本当に美しい。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
メンソレータムを広めた実業家でもありキリスト教伝道者でもあり賛美歌などの作詞作曲家でもある。彼の建築で有名なのは多数あるが(Wikipedia)、その代表作のひとつが神戸女学院大学。傑作だなぁと思う。

そして、ヴォーリズの話は内田樹ブログでしょっちゅう取り上げられるのだが、今回もその最終講義1時間のうちの半分くらいはヴォーリズの話だったのではないか。そしてヴォーリズの設計思想の話から「学ぶとは何か」という根本的な部分に展開していったその話の見事なこと!


さて、当日の様子をちょっと追ってみたい。

15時開始の45分くらい前に着き、講堂の席に着いた。前から9列目。いい席に座れた。

ここは礼拝堂も兼ねているのか、教会みたいな狭い椅子。ボクと松井さんと、ちょっと遅れてきた細野豪志さん(当時は首相補佐官)という「座高が高い3人」が並んで座ったので後ろの人には悪かったなぁと思う。でも足がつっかえて深く座れなかったの。すまんす。

ヴォーリズ設計のこの美しい講堂は800人ほど入るという。それが満席立ち見ありであった。
卒業生やゼミ生はもちろん、東京からも有名な評論家が多数来ていた。そのお供の編集者たちも多数。記帳しつつふらふらしていたら当の内田先生が来られ、会場で昔のゼミ生とかと話されていた。ボクも軽くご挨拶させていただいた。「あ、ご飯をご一緒しましたね」と覚えてくれていた。光栄至極。

講義自体は15時から始まって1時間15分くらいだっただろうか。
普段から「その講演、高等漫談の如し」と言われているだけあり、メリハリある実に面白い講義だった。爆笑もガンガンとっていく一方、みんなが身を乗り出して一言も聞き逃すまいと清聴する場面もたくさん。いい本を読むときそうなるように頭がグルグル働く。強烈なインスパイア。知的高揚とはこういうことをいうのだな。

さてその内容。

まず、21年間勤めた大学への感謝の弁から始まった。
普通、この辺の話は退屈なはずであるが、この感謝の切り口が実に個人的で面白く、爆笑をガツンガツンと取っていく。さすがだなぁ。

そしてこの愛すべき大学が95年に見舞われた阪神大震災の話へ。被災の翌日、大学の建物が巨大な生き物に見え、それが傷つき血を流しているように感じたこと。そこから設計者であるヴォーリズの「学校設計の思想」に踏み込んでいく。

ヴォーリズの設計のすばらしい部分をふたつにまとめて語ってくれた。
ひとつはその優れた音声設計。小さな声でも後ろまでしっかり聞こえる講堂の話。実際、最終講義の冒頭5分くらいはマイクのスイッチを入れ忘れていたようだが、まったく支障なく聞き取れた。
そのような音声設計がいかに大切かつ「学問それ自体や話のクリエイティビティに影響を与えるか」。これは目鱗の話であった。部屋(教室)における声の響き。照明なんかはよく論じられるが、確かに音声(音響)設計は語られることが少ない。

ヴォーリズの設計の優れた部分のふたつめは「暗い」ということ
ヴォーリズの建物は内部が暗い。だから対照的に外が明るく見える。建物内から外に出た瞬間にその明るさに驚愕する。それは「学問の比喩になっている」という話。

学校の「建築物としての構造」は「学びの構造」の比喩になっていないといけない。
これは内田ブログでも何度か語られてきたことである。つまり、「暗い」=学問的に未熟なこと。「明るい」=学問的な発見や到達。暗いところから明るいところへ飛び出していく感覚を身体的に持たせる建築こそ学校にふさわしい、というお話である。

ここから「学びの本質」を語っていく。

まず、この大学の理学館には「隠し三階」があり「隠し屋上」があり、この講堂の裏には「隠しトイレ」もある、という話。

これら「隠された部屋」はすべて「思いがけない眺望と思いがけない出口」を持っているという。
好奇心に駆られて、誰も通らぬ暗い廊下を抜け、謎の扉のドアノブを回し、暗い階段を上り、ようやく辿り着いた人だけが見られる報奨がちゃんと用意されているということ。「実は学びの価値とはそれである」と。

自分でドアノブを回したものだけが得られる報奨。

それを構造として持っているものが学校である、という話も素晴らしいが、「わずかなシグナルに反応するものだけに、自分の身体を使ってドアノブを回したものだけに、個人的なメッセージというカタチで報奨が与えられる」ということが今の自分にやけに響いた。

そしてこんな感じで続く。
「(学校に自分の身体を入れ込まないと隠し扉すら見つからないように)テクストの意味というものは、自分自身の実存をそこにねじこんでいくことによって得られるものである」

テクストに自分の身体をねじ込んで初めて隠し扉が見つかり、そこを勇気を持って進んだものだけが、その向こうに「他の人は見られない見晴らし」という報奨をもらえる。

あぁ「学び」とはこのことか
ルールがあり、規律があり、作法があるのは「身体をねじこむ必要がある」からなのだな。

昨今、学生がお客様化し、「学び」という言葉に「自由に」というニュアンスが入ってしまった気がするが、それではダメなのだ。不自由でも狭っくるしくても、きちんと身体をねじこまないといけない。それをしたものだけに「隠された部屋へのドアノブ」が与えられる。

内田ブログの最近の記事に「エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について」というのがあるのだが、これと合わせていろんなことがすとんと腹落ちした。「懇請」とはこの動機のことか…。まぁこのレベルの腹落ちはたいてい勘違いであるから、勘違いの可能性は高いのだけど。

読者に課せられているのは、他のどのような読者もそこから読み出さなかったような読みを「記号から引き剥がす」ことである。そのために、読者はテクストに没入すると同時に「都市に、街路に、他の人々に-同じだけの注意を向ける」ことを求められる。


ブログにあるこの一節は、最終講義と合わせて読むととてもよくわかる。
そしてこの考えは、講義終盤の「存在しないものをどう捉えるか」「愛神愛隣とはなにか」に通じていく。なるほどなぁ。全部がつながっている素晴らしい講義だなぁ…。

ヴォーリズの設計思想の深い話は終わり、ここからまた違う話に入っていくのだが、ヴォーリズの話の途中でこんなエピソードを語っていたのを思い出したのでそれを書いておく(このエピソードはたとえばココでも書かれている)。

震災前に大学が財政難に苦しんで、某シンクタンク(名前は明かさなかった)にコンサルを頼んだら、「地価が高いうちに土地を売って郊外移転を考えましょう。こんな築六十年の建物なんて無価値です。維持費もかかるし、こんなものを残しておくのはお金をドブに棄てるようなものです」と言われたらしい。

「彼らは地価とか坪単価はわかるかもしれないが、この建物の価値も、そこで学ぶことの意味もわからない。数値化できるものしか信じない市場原理主義と、私はそのときにきっぱり決別した」

ずっと穏やかに語ってきた内田先生、ここだけはかなり語気を強めた。
そしてこの言葉は後半の「存在しないものをどう捉えるか」というテーマにつながっていく。


さて。
ここからリベラル・アーツの話に移っていく。
リベラル・アーツ、つまり人文科学、社会科学、自然科学などをそう呼ぶが、元々の意味は「人を自由にする学問」のことだ。それを学ぶことで(奴隷的ではない)自由人としての教養が身につくもののこととされる。

導入は孔子の「六芸(りくげい)」から。
孔子のいう君子の「六芸」とは、礼・楽・射・御・書・数、である。
この中の「礼」を説明する過程で「存在しないものからのシグナルを聴き取る」という大切な話になっていく。

「礼」とはなにか。葬送の儀礼である。死者を祀るのは人間だけである。死者とはもう存在しないが「存在するのとは違う形で」我々に影響を与える。もう存在はしないが、その存在しない死者が、私たちの物の考え方や感じ方、様々な価値観や認識に絶えず影響を与え続けている。死者と「交通」する、死者のメッセージを聴きとる、メッセージを送る。それが「礼」である、と。

そして、「存在しないもののシグナルを聴きとる、存在しないものに対してメッセージを送る、これは高等教育の最終目標である」とつなげる。

この辺、前回の記事からもリンクした、内田ブログの「エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について」の記事と合わせて考えるととてもよくわかる。

死んだ父はもう「存在しない」。けれども、父の語ったこと、語ろうとしたこと、あるいは父がついに語らなかったことについて、私は死んだ後になってからも、むしろ死んだ後になって、何度も考えた。
そして、そのようにして「解釈された亡き父親」が私のさまざまなことがらについての判断の規矩として活発に機能していることにある日気づいた。
存在しないものが、存在するとは別の仕方で、生きているものに「触れる」というのは「こういうこと」かと、そのとき腑に落ちた。
そのとき、「他の人々に注意を向ける」ことなしには「聖句」の「語られざること」は開示されないというレヴィナスの言葉の中の「他の人々」には死者たちが含まれるということに気づいた。
含まれるというより、むしろ「他者」とはレヴィナスにおいて、ほとんど「死者」のことなのだ。
「存在するとは別のしかたで、あなたがたは私に触れ続ける」という言葉は死者に向けて告げられる鎮魂の言葉以外の何であろう。

あぁよくわかる。
そして、この後、「六芸」の「楽」の説明で「存在しないもの」を読み解いてくれたので、もっとわかりやすくなった。

曰く、音楽の「旋律」とは「存在しないもの」である、と。
音は鳴った瞬間に過去になる。もう過去になってしまって聞こえない音があって、そして未来聞こえるはずの音があって、それらがつながって旋律となる。ある単独の時間において単独に存在する音はない。なぜなら音波は波だから。波というのは時間軸のこと。

過去に始まった空気の波(振動)が見事に響き続けている。まだ到来していないが未来の空気の振動が既に先駆的に先取りされている。そのような「過去と未来の両方」に手を伸ばしていける人間だけが旋律を聴きとることができる。孔子の「楽」は存在しないものをどう捉えるかということである、と。

言葉も一緒だと内田先生は言う。
もう言い終わった言葉を聞き、まだしゃべられていない言葉を聞く。つまり「存在しないもの」を聞いている。
それができなければ、そもそも思考することができない。存在しないものを知らないと、思考も言葉もない。

なるほどなぁ。
特に旋律の例がわかりやすかった。
我々は存在しない過去と存在しない未来を旋律として聴いているわけだ。それを結びつける作業を頭の中でしている。それが「思考」である。美しい旋律に高揚するのは「思考のジャンプアップ体験」なのかもしれないな。

※ここで「犬が(あれだけ耳がいいのに)旋律を聴き取れないように見えるのはこういうことか!」と戦慄が走ったが、それはまた別のお話。

この流れで「コミュニケーションとは何か」というテーマが語られる。
巷間言われているコミュニケーションの定義は狭い、と。コミュニケーションとは存在しないものと関わる、存在しないものが送ってくるかすかな波動を聞き取る、そして自分から波動をおくることである、と。

それを学ぶことこそ教育の究極の意味。リベラルアーツとはそういうものである、と。


ここであるエピソードに移った。
彼が京大で講演したとき、経済学部の学生から一部揶揄的に「大学で文学を研究をすることに意味があるのですか」と聞かれたという。これも「存在しないもの」の文脈で解説される。

文学部が扱っているのは「存在しないもの」だ。
どんな風に人間は欲望を覚えるのか。絶望するのか。立ち直るのか。意気投合するのか。それを研究しているのが文学である。それはすべて形として「存在しないもの」だ。文学研究が投げかけるその「問い」が学問研究の基本であり、必ず学問の真ん中に存在してなければいけない。

なぜなら世界は「存在しないもの」に満ちているからである。
では聞こう。経済学のどこに実体があるのか。欲望とか需要は存在するのか。いや、存在しない。「存在しないもの」を研究しているのは経済学も一緒なのである。

この辺の明快な読み解きはとても共感ができた。「役立つこと」「儲けに直結すること」ばかりがもてはやされる日本ではあるが、リベラル・アーツが重要なのは「存在しないもの」の研究だからである。腹落ちした。文学部に急に行きたくなったw


このあと、愛神愛隣という神戸女学院大学の標語の話に移っていく。
これはご本人がブログで解説しているのでそちらを読んでいただきたいが、少しだけ書く。

わずかに政治的運動に関わった自分の経験から政治的な運動をこう考えていると彼は言う。
「自分の生身の身体で実現できる範囲以上の政治的理想を語るべきではない」。これは吉本隆明が言うところの「自分の拳に託せない思想を語るな」と近い。そして言う。「自分にできること以上の政治的理想を語ってはいけない。だから(自分ができることを増やすためにも)自分を高めるのである」と。 この辺の「身体性」についてボクはとても共感する。

そして、この考え方は「愛神愛隣」に直結していく。

隣人に対してパンを与え、服を着せ、一夜の宿を提供するという具体的な営みがないと神を愛するということにならない。その具体的な営みができないのであれば、それは信仰とはいえない。「自分自身の等身大、生身の身体が担保されない信仰は信仰ではない」

つまり、「愛隣という身体性を伴う具体があってはじめて神を愛するという抽象が成り立つ」ということだと理解した。頭でっかちに抽象ばかりを考えがちな自分にはとても響く言葉であった。

そしてこう結ぶ。
「これこそが『愛神愛隣』が僕自身の座右の言葉でもある理由である」。

その後、マタイによる福音書22章34~40節を朗読されて最終講義が締められた。


花束を両手いっぱい贈られている内田先生を見ながら考えた。

最終講義を振り返ってみると、愛神愛隣やリベラルアーツ、そしてヴォーリズのことなど、内田樹の研究に根ざした論説であったとはいえ、どれも神戸女学院大学の建学の精神に密接に関わるお話であった。

つまりこれは「この大学に存在しなくなる」内田樹という「存在しないもの」から贈られたシグナルなのであろう。「存在するとは別のしかた」で託された言葉なのだと思う。そのシグナルを聴きとり、存在しないものに対してメッセージを送り返すことこそ、この講義を聴いた人間の務めである。彼は暗にそう言っている。

そのことがわかって、ちょっと去りがたくなった。
予定ではそのまま新幹線でトンボ帰りするつもりだったが、ちょっとだけ懐かしの道を歩きつつ思索したくなった。教えてもらったものが自分に定着するまで数時間はかかる。この間、なるべく教えてもらった場所の近くにいるのが良い。

ボクにとっての「哲学の道」。
24歳から38歳までを過ごした夙川の土手が最適である。電車でそこまで移動して、ひとりでゆっくりゆっくり土手を歩いた。そして、苦楽園口の駅まで行って、いつものバー「バーンズ」で少し飲んだ。

夙川にも、そして「バーンズ」にも、ボクにとってはもう「存在しないもの」がたくさん溢れている。存在しないものが、存在するとは別の仕方で、生きているボクに「触れる」。

その触感が実体として感じられるような、希有な夜がそこにはあった。


【追記】
最終講義の話がご本人の手によって一部アップされてますね(この記事)。
講義内容をツイートでまとめた労作もあります(こちら)。

そして、本にもなっています。
内田樹『最終講義 生き延びるための七講


古めの喫茶店(ただし禁煙)で文章を書くのが好きです。いただいたサポートは美味しいコーヒー代に使わせていただき、ゆっくりと文章を練りたいと思います。ありがとうございます。