聖書や神話を知らんと理解できんアートが多いのでエピソード別にまとめてみる(旧約聖書篇41) 〜「モーセ、岩を打つ」、そして「モーセの死」
「1000日チャレンジ」でアートを学んでいるのだけど、西洋美術って、旧約聖書や新約聖書、ギリシャ神話などをちゃんと知らないと、よく理解できないアート、多すぎません? オマージュなんかも含めて。
それじゃつまらないので、アートをもっと楽しむためにも聖書や神話を最低限かつ表層的でいいから知っときたい、という思いが強くなり、代表的なエピソードとそれについてのアートを整理していこうかと。
聖書や神話を網羅したり解釈したりするつもりは毛頭なく、西洋人には常識っぽいあたりを押さえるだけの連載です。あぁこの際私も知っときたいな、という方はおつきあいください。
まずは旧約聖書から始めます。旧約・新約聖書のあと、ギリシャ神話。もしかしたら仏教も。
なお、このシリーズのログはこちらにまとめていきます。
さて、モーセの物語も今回と次回でオシマイだ。
次回はヨシュアのお話になるので、実質今回でモーセとはお別れになる。
いや、モーセの人生、なかなかハードだ。
奴隷の親に生まれ、王女に拾われて王子になり、グレた青年期を送り、殺人をして出奔し、逃げた田舎の町で結婚し、すっかり無口な男になって平和に暮らしていたモーセ。
なのに、80歳のときに神の言葉を聞いてしまい、エジプトで奴隷状態になっているイスラエル民族を救うべくよっこらしょとエジプトへ行く。
無口で小声なモーセは、達弁の兄アロンに代弁してもらいながら、いろんな苦労をして奴隷だった300万人のイスラエル民族とともにエジプトを脱出し、「約束の地カナン」を目指すことになる。
ところが、旅の間中、この300万人の不平不満がとにかくひどい。
奴隷根性が染みついた世間知らずの300万人だ。
どんな奇跡を見せても、神の怒りに触れても、喉元過ぎたらすぐ不平不満を言い始める。
海を割ってエジプト軍を殲滅させても、空からマナという食べ物を降らせてやっても、みんな文句と愚痴をやめないのだ。
黙って耐え続けるモーセ。
若い頃のやんちゃさもたまに出る。シナイ山で神に十戒の石板をもらったのに、民衆が留守中に偶像崇拝をしていたのを目撃してブチギレし、石板をたたき割ったりもする。
でも、基本、いろいろ耐え忍ぶ。
前回書いた「青銅の蛇」エピソードも「反逆者の懲罰」エピソードも、イスラエル民族たちの不平不満に端を発している。
いやぁ、なんかホント大変だったよな、モーセさん。
神の言葉を聞いたばかりに、次から次へと苦難が訪れる。
しかもだ。
今回のエピソードでちょっとだけ神を疑ってしまい(というか、モーセは「あれ?」って思っただけなんだけど)、モーセ自身が神の怒りに触れてしまい、モーセは結局「約束の地カナン」に入れてもらえないのだ。
あ〜、こんなに苦労してきたのに、そのうえ40年も自分勝手な300万人を引き連れて苦労したのに、ホントお気の毒〜。
さて、では、その今回のエピソードである『モーセ、岩を打つ』を見てみよう。
ストーリーはシンプルだ。
旅の途中で、例によってイスラエル民族が不平不満を言う。
「あー喉が渇いた」「喉が渇いて死にそうだ」「なんでオレたちはこんな苦労ばかりしないといけないんだ」「あのままエジプトにいたらこんな苦労しなくて済んだんだ」「モーセのヤツ、偉そうにしやがって」「そうだそうだ、ろくにメシも喰わせてくれないくせに』「あ〜それにしても喉が渇いた」「死ぬ〜水をくれ〜」「水〜」
モーセは耐え忍ぶ。
水か。水を出そう。。
「まったくもう不平ばっかり・・・」と思いつつ、モーセは求めに応じて、いままで数々の奇跡を実現してきた「杖」で岩をゴツンと打つ。
「水よ、出よ!
・・・・・・あれ?出ないな。
んーー、まぁ、もう一度。
えー、水よ、出よ!」
二度目のゴツンで、水が岩からほとばしった。
人々は「わーーー!水だーーーー!」って叫んで殺到する。
あぁ良かった、と、ホッとしたモーセ。
そしたら、天から声がするではないか。
「モーセよ、モーセ。
おぬし、二度、杖を使ったな。
つまり、お前は私の力を一度は疑った、ということだ。
お前の信心はその程度か。
わかった。
もうお前はカナンの地に入ることはできない」
・・・ちょ、
いや、
いやいや、
いやいやいや
いやいやいやいや、
か、か、神〜〜〜〜〜〜!!!
ということで、モーセは40年放浪した末に、カナンに入れず、荒野で死ぬのです(チャンチャン)。
お気の毒すぎ。
本当にお気の毒だ。
つか、神もキレすぎだ。
ずっと敬ってきたじゃんか。
なんでこのくらいでキレるんだ。
関係ないけど文字列がきれいな台形。
そんなモーセの後半生のハイライトを、ルカ・シニョレッリが一枚にまとめてくれている。
順番はこんな感じだ。
(ちなみにモーセの前半生ハイライトはこの回でボッティチェリが描いている)
① 神に「もうお前はカナンの地を踏めない」と言われているモーセ。
② 意気消沈し、すごすごと山を下りてくるモーセ(お気の毒〜)
一緒にいるのは後継者ヨシュアだと思う。
③ 死期を悟り、遺言を民に伝えるモーセ
④ 民を引き連れるリーダーの後継者を、ヨシュアに任命するモーセ
⑤ 荒野で死んでしまうモーセ(お墓の位置も定かでない)
なんか、ホントお気の毒だなぁ・・・。
さて、岩を打つエピソードの絵をいくつか見ていこう。
まずは、今日の1枚。
ルネサンス後期からバロック初期の画家ニコロ・バンビーニ。
モーセの表情がいい。
岩を打って水を出して、みんなに「きゃーー!」って喜ばれたのに、神が天から急に「モーセよ、おぬし、ワシを疑ったな」と言ってきて、
「え!?」
ってなってる。
この表情、実にいいw
なんか、カメラが下からあおっているのもいいね。
コッラード・ジアキント。
この絵は共感するなぁ・・・え? なににって?
いや、この手の絵でリアルに「薄毛」を描いている絵ってほぼ皆無なのよ(そこ?)。
ほれ、この人とか。
この人も!
ジアキントさん自身が薄毛だったのかもね!!
ティントレット。
滝みたいに流れるんじゃなくて、噴水みたいに吹き出すところが超ユニーク。
ドヤ顔モーセ。
でもね、「モーセ後ろ!」(志村後ろ!的に)
神が睨みつけてるぞ〜!
ティントレットはもう1枚描いている。
いや、イスラエル民族、こんなに行儀良く順番に並んだりしないと思うぞ。
ギャーっつって殺到すると思うぞ。
ヤコブ・ヨルダーンス。
殺到しているイスラエル民族。我先に!
ヤン・ステーン。
平和な風景だ。もっとヤン・ステーンっぽく乱痴気騒ぎを描いて欲しかった。
巨匠プッサン。
カラフルで美しい1枚。でも実際にはもっと殺伐とした感じだと思うなぁ。
バッキアッカ。
水が出る岩から順番に水をもらっている風景。モーセは中央でなぜか跪いている。
ちょっと平和すぎるって。
ちなみに右奥の山の上では何が行われているんだろうな。わからない。
フィリッポ・リッピ。
そうだね、家畜たちも喜ぶよね、な、一枚。
マルク・シャガールさん。
ほのぼのとした奇跡だね。平和だ。
ギュスターヴ・ドレさんも描いてるよ。
遠近感とかすごい。
つか、そうか、岩から水がほとばしって、川になるんだな。
川なら300万人に水が行き渡る。なるほどさすがドレさん。
ヤコポ・バッサーノ。
ドレさんのを見た後だと、水源が小さすぎるやろ、って思う。
バッサーノからもう1枚(↓)。
この構図と混沌・・・「ノアの箱舟」の回あたりでよく見た構図だ。バッサーノって本当にこういう構図が好きなんだなw
アブラハム・ブルーマールト。
左手奥の暗がりにモーセがいるね。小川に民衆が殺到している感じはよくわかる。
ジョアッキーノ・アッセレート(Gioacchino Assereto)。
手前の子どもがかわいいね。
バレリオ・カステッロ。
女性を美しく描くのに長けていた人なんだろうな。
ヘンドリック・デ・クラーク。
中央奥にモーセと水源。いや、きれいで優雅すぎるだろw
ヨアヒム・ウテワール。
ラクダは動かなくなっているし、犬は痩せこけている。そんな中で水が出たんだな。なんか混沌とした感じがよく出てる絵。
Pieter de Grebber。
黒板になんか書いている高校の先生、って感じのモーセ。
ムリーリョ。
美しい絵。モーセは神の怒りの言葉に耳を傾けている。
ちなみにこれは・・・ラクダかねw ダチョウ? チョコボ?
このエピソードの最後の絵は、カタコンベの壁に描かれた壁画。
このモーセの顔がね、じわじわ来るw
さて、話を進めよう。
この「モーセ、岩を打つ」のエピソードのあとも、イスラエル民族の不平不満はやめられないとまらない。
ついにカナンに地に辿りつくんだけど、偵察に行ったヨシュアが帰ってきてこう告げる。
「素晴らしい土地でしたが、先住者がなかなか強そうです。苦労はするでしょうが、必ず勝てます。がんばりましょう!」
ってみんなを鼓舞するんだけど、みんな超反対するわけ。
「勝手を言うなー!」「そんな、勝てるわけないやんか!」「オレたちは兵じゃない」「そうだそうだ奴隷なんだ」「そんな強そうな奴らとやったらあっという間に死んじゃうよ」「死んじゃう死んじゃう」「戦争はんたーい!」「オレたちイナゴみたいに弱いしー」「帰ろう、エジプトに帰ろう」「そうだ、やっぱエジプトがいいや」「エジプトさいこー!」
これを聞いて、また神がキレる。
(このパターンばっかw)
「こいつらはいつまで私にたいして不平を言うのか!
せっかくカナンに入れてやろうと思ったのに、もういい!
もう我慢の限界だ!
おまえらは今後40年カナンに入ることはできない!
おまえらは荒野で死ぬのだ〜!」
ひゃー、って焦った民衆の一部が後先考えず急にカナンを攻めはじめるんだけど、何の戦略もないから、ボロボロに負け、全員死亡。
そして、それから40年(何度もくり返すけど、「40年=とても長い間」という意味らしいので、現実時間の40年かはわからない)、カナンに入れず、放浪するわけだ。。
ということで、下の地図で言うと、カナンの周りのオレンジの線のあたりを、うろうろうろうろと40年間、300万人が放浪するわけですね。
で、地図の右上。
ここで、モーセは死ぬ。
ネポ山で、「神の怒りによって絶対に入れないカナンの地」を眺めながら、モーセは息絶えるのだ。
ジェームズ・ティソさんが、遠くカナンを眺めるモーセを、いつもよりちょっと優しい筆致で描いている。
そして、その場で息絶えるモーセ・・・。
寂しいな。
ホント、お疲れ様。
享年120歳。
80歳で神の声を聴いてから、激動の40年だったね・・・。
ティソさんの絵では、十字架のようになっているな。
キリストの受難と重ねているのだろう。
これは聖書カードかなんかかな。
カナンの地を眺めるモーセ。タイトルが「THE DEATH OF MOSES」であるように、このあと、ここで息絶える。
でも、その場所は定かではなく、お墓も見つかってはいない。葬られなかったのかもしれない。
アレクサンドル・カバネルはモーセが神に迎えられる様を描いている。
神はモーセを赦したのか赦さなかったのか。
ここでも十字架風になっているね。
古い聖書の挿絵。
天使たちがどっかの洞窟にモーセを運び込んでる。
お墓が見つからないのは天使が葬ったから、という理屈だろうな。
シャガールさんも描いている。
美しい絵だ。
モーセがどう思い、神がどう思ったのか、いろいろ考えてしまう絵。
ちなみに、兄アロンは地図の右側、ホル山(ヨルダンの世界遺産ペトラにある Jabal Harounだと言われている)で亡くなり、リアルに墓所がある(異説もあるらしいけど)。
ティソさんがアロンの最期も描いている。
最後。
モーセとアロン、そして姉のミリアムが揃って笑っている絵を貼っておこう。
そして笑顔の人々に囲まれている。
いろいろたいへんだったよね、キミたち(感慨)。
シャガールさん、やさしい絵を一枚描いてくれてありがとう。
ということで、今回はオシマイ。
次のリーダーに選ばれたヨシュアが、戦いをくり返し、ついにカナンの地に入るという物語。
モーセにも見させてやりたかったな・・・。
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このシリーズのログはこちらにまとめてあります。
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間違いなどのご指摘は歓迎ですが、聖書についての解釈の議論をするつもりはありません。あくまでも「アートを楽しむために聖書の表層を知っていく」のが目的なので、すいません。
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この記事で参考・参照しているのは、『ビジュアル図解 聖書と名画』『イラストで読む旧約聖書の物語と絵画』『キリスト教と聖書でたどる世界の名画』『聖書―Color Bible』『巨匠が描いた聖書』『旧約聖書を美術で読む』『新約聖書を美術で読む』『名画でたどる聖人たち』『アート・バイブル』『アート・バイブル2』『聖書物語 旧約篇』『聖書物語 新約篇』『絵画で読む聖書』『中野京子と読み解く名画の謎 旧約・新約聖書篇』 『西洋・日本美術史の基本』『続 西洋・日本美術史の基本』、そしてネット上のいろいろな記事です。
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