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セレンディピティの島 3

サンドラとスリランカに滞在した数週間のうちに、またも次の「なりゆき」が明らかになり、わたしはいったん弟の結婚式のために帰国したのち、ふたたびスリランカへと舞い戻った。

2010年から2019年までの10年間、わたしは日本とスリランカを行ったり来たりしながら、その約半分をスリランカで暮らすことになる。

その最初期の1年間、わたしは、インドで知り合ったアノージャさんという女性の家にホームステイしつつ、彼女の経営するヨガ・センターでカルマ・ヨギとして働いていた。
(カルマ・ヨギとは、広義では「カルマ・ヨガ(行為のヨガ)」をプラクティスする人のこと。ここでは、シヴァナンダ・ヨガという流派のヨガ組織におけるボランティア・スタッフの呼び名。)

わたしが初めて訪れた2010年当時、スリランカは、約30年間に及ぶ内戦を終結させたばかりだった。

アノージャさんはもともと、スリランカでは有名な演技派の映画女優であったのだが、この当時から遡ること数年前に、市街地で爆破テロが起きた際に(ちなみに市街地でのテロはこの一回だけでなく、たびたび起きていた)俗世に嫌気がさして、腰まであった長い髪を剃り落とし、銀幕を去った。

それ以来、ときどきテレビのコメンテーターなどをするほかは、ヨガを教えたり、パーフォーミング・アートと心の癒しを融合させたワークショップを開いたりしていた。

また、内戦が終わってからは、政府や軍部に働きかけて、内戦によって四肢を失ったり心にトラウマを抱えた軍の傷病兵と、当時まだ強制収容所に収監されていたテロ組織側の元少年兵たちのため、リハビリテーションのワークショップに精力的に取り組んでいた。
歌やダンス、アートを通して感情を解放することで、戦争で負ったトラウマを癒せるように、またそれによって双方のリコンシリエーション(和解)を促し、祖国をふたたび分断させないように、という思いからくるものだった。


あるとき、アノージャさんの日本人の友人「ミチコさん」が、スリランカを訪れた。

このとき、とあるコミュニケーションの行き違いから、ミチコさんの入国を事前に知らなかったアノージャさんは、すでにミチコさんがスリランカ国内にいると知るやいなや、超多忙な中、翌日のスケジュールを全キャンセルし、車をすっ飛ばして滞在先のアーユルヴェーダ・ホテルに駆け付けた。

アノージャさんにとって、ミチコさんを空港で出迎えられなかったのは「痛恨のミス」であり、英語での説明では事情をきちんと理解してもらうことはできないだろうから通訳がいるの、ということで、わたしもお供することになった。

ホテルまで2時間の道すがら、前日から何度も聞いている話を、アノージャさんは繰り返した。

ミチコさんは20年来のとても大切な友人であること、これまで何度もお互いの国を訪れて、自宅に泊め合ったり、一緒に旅行したり、自分のひとり娘を日本でホームステイさせてもらっていたこともあり、家族同然の仲であること、信頼していた人物に全財産を横領されたり、有力政治家を批判したために命を狙われて国内にいられなかったとき(エピソードがいちいち強い……)、必ず親身になって助けてくれたのはミチコさんで、大恩があるのだということ、そのミチコさんを今回出迎えることができず、ほんとうに心を痛めているということ……。

きちんと今回の事情をわかってもらえるように、あなたから日本語でよくよく説明してほしい、と言い含められ、わたしはその務めを果たした。

アノージャさんは、ミチコさんの滞在中、アーユルヴェーダの治療プログラムの隙間をぬって、ミチコさんを外食や小旅行に連れ出し、そのたびにわたしも同行した。

その間、アノージャさんからすでに聞いていたふたりのエピソードの数々を、ミチコさんの側からも聞いた。

ふたりの出会いは福岡で開催された映画祭で、アノージャさんは出展された作品の主演女優として出席していた。
その年の映画祭のアンバサダーが、アニメ「ドラえもん」の「のび太くんとしずかちゃん」だったために、ミチコさんは「しずかちゃん」としてそこにいたという。

ミチコさんは、大山のぶ代さんが「ドラえもん」であった世代の「しずかちゃん」役、野村道子さんだったのだ。

わたしはもちろん、大山世代の「ドラえもん」を毎週見ながら育ったし、物心ついてから大きくなるまで見ていた「サザエさん」のワカメちゃんだって、ミチコさんの声でしか知らない。

劇場版ドラえもん「鉄人兵団」のラストで、しずかちゃんが「リルルーー!」って叫んでたシーンは、大人になってもずーっと心に残ってるけど、あれもみんな、このミチコさんだったんだ、と思うと、なんだか不思議な感じだった。


スリランカと日本を行ったり来たりしながら、わたしはトータルで5年、スリランカに住んでいた。
わたしがスリランカに長期滞在するたびに、アノージャさんは「エリコがいるから、通訳も安心だから、遊びに来て」とミチコさんを誘い、ミチコさんはその後も数回、スリランカを訪れた。
アノージャさんミチコさんと3人で、あるときは北に、あるときは南に旅行した。

日本にいるときはいるときで、アノージャさんに「わたしの代わりにミチコさんの様子を見に行って」と言われ、何度かお会いしたり、ふたりのテキスト・メッセージを翻訳して橋渡ししたりもしていた。

アノージャさんとミチコさんは、別々の国に住み、めったに会うこともなければ、電話などでやりとりする機会もまれだけれど、間違いなくソウルメイトで、お互いを深く信頼し、思いやっているのが手にとるように感じられた。

つづく。


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