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誰にでも素晴らしさはある。DxP代表の今井紀明さんとおもしろいふたりの高校生-herald

高校生の頃は居場所なんていうものはなくて、学校に行くことが苦痛で、苦痛で、仕方がなかった。毎朝、玄関をまたぐ右足が重かった。

だれも「起業」なんて言葉は知らなくて、ゲームの話ばかりしている。
もっと僕は違う話がしたいのに…! なんて思いながら仮面を被り、大人たちが勝手に決めた「クラスメイト」と過ごす日々。

自分が好きではない人たちと過ごさないといけないことが苦痛だった。なぜ年齢が同じというだけで仲良くしないといけないのか。そのことに憤りさえ感じたこともあった。

だから高校には行きたくなかった。行ったら無理矢理にでもクラスメイトと話をしないといけないし、先生を怒らせないようにつまらない授業を聞いているフリをしないといけなかった。行かなくていいのなら行きたくはなかった。

高校に行かずに、自分が関わりたい同年代とだけ関われればいいのに…。なんてことは、何度思ったかもうわからない。


ーーと弱音を吐くのはここまで。ここからは希望のある話をしよう。

認定NPO法人DxP(ディーピー)というNPOをご存知だろうか。

DxPでは主に不登校や通信制、定時制高校に通っている高校生を対象とした支援活動を行っている。
何らかの理由で学校に行きたくても行けない生徒のサポートや、通信制や定時制高校に通う生徒と話をしたりして、生徒の未来を拡げている、そんなNPOだ。

その代表が今井紀明さん。今井さんは2004年に起きたイラク人質事件の被害者のうちのひとり。今井さんは人質から解放され、日本に帰国したときに様々なバッシングを受けた。時には後ろから殴られたり、物を投げられたりしたこともあったという。。。

それもあって対人恐怖症になり、家に引きこもるようになった。誤解を恐れずにいうのであれば、そんな辛い、負の経験をきっかけにして生まれたのがDxPだ。

「苦しかったのは拘束されてる時よりも帰国後」様々なバッシングが今井さんを襲った

ーー18歳という若さで拘束されて、その間は恐怖しか感じない日々だったと思うのですが、イラク人質事件で一番辛かったことって何ですか? やっぱり拘束されていた時ですか…?

今井:拘束されていた時も辛かったけど、それより日本に帰国した時の方が辛かったね。僕って顔がすごい特徴的だから目立ったんだ(笑)だから歩いてるときに石を投げられたり、蹴られたりした。

他にも、めちゃくちゃたくさんの人が家に押し寄せてきたり、ひどい内容の電話がかかってきたり、手紙が届いたりしたのも辛かったなあ。
今考えてみると、あの時代にSNSがあったら逆によかったんじゃないかなと思っているんだよね。

ーーその時代にSNSですか…。SNSがなくてそれだけ叩かれたのなら、めちゃくちゃ炎上しそうな気がしますけど…

今井:確かにそうかもしれないけど、SNSがあれば1対多数にはならないんだよね。必ず自分の味方がいる。だからいいかなと思っていて、毎日数万人からのバッシングをひとりで受けて戦ってたからそりゃやられるよね。

それで、あの時は本当に精神的にきつくて死のうとも思ったこともあるんだ。もうあんな経験は二度としたくない(笑)

ーー当時の今井さんのことを尊敬していたり、味方になってくれたりした人は必ず一定数いたと思うのですが、人と人が今のようにオンラインとオフラインの関係ではなく、オフラインのみの関係でしたもんね。

それだと確かに味方が見つかりにくい。だからこそSNSを使って自分のことを発信するのが今の時代は大切なのかもしれませんね。


SNSが普及しているから、手触りのある関係性を築く

ーー死のうと思うほどに辛かったのに、なぜバッシングの手紙をもらって文通しようと思ったのですか? 僕だとそんな手紙中身も見たくないのですが…

今井:あの時ってすごい自作自演って言われたり、名誉毀損のようなことを書かれたりしていたんだよね。だけど「手紙を送ってくれた人たちはなぜそのような思考に走っていったのか」とか「なんでそういうふうに考えるんだろう」と疑問に思ったんだ。そこをちゃんと知りたい、相手のことを理解したいと思って会いに行ったり、文通をしたんだ。

ーーバッシングの言葉を投げてきた相手のことを理解するのはなかなか精神的にきついと思うのですが、理解しようと思ったきっかけはあるんですか?

今井:きっかけとかは特にはないのだけど、相手のことをちゃんと理解するっていうのは大切にしてるよね。今はそういう風潮がなくなってきているなと思っていて、自分が見たいものしか見ないとか、楽して人と関わろうみたいな傾向がすごい強いなと思っているんだ。僕はそういうのよりは、手触りのある関係性を築きたいと思っているんだよね。それを実践していたんじゃないかな。

ーー手触りのある関係性…?

今井:SNSを見たりしていると、その人の一部分を切り取ったまま批判してる人もいるよね? 最近の炎上を見てそう思うんだ。そういう、人の断片的なものだけを切り取って批判してしまうのはすごい非生産的だなとか思ってしまうし…。

そこまでする必要あるのかなっていうのも思っちゃうけどね。そうではなくて、もっと人を多面的に知ろうというのが僕の基本原則なんだ。

ーーどんな人でも必ず一箇所は素晴らしい部分がある…みたいな?

今井:そうだね。どんな人でもおもしろさや才能とかは必ずあるんだよね。だけどそれにフォーカスをしていないから生きづらい人がでてくるんだよ。

ーーそういうのを感じている高校生を支援するのがDxPだと思うのですが、なぜDxPをやろうと思ったのですか?

今井:やっぱりイラク人質事件の影響が大きくて4~5年間、対人恐怖症や引きこもり、パニック障害を経験して紆余曲折ありながら回復したんだよね。

その時に自分は年下の人たちに救われたからっていうのもあるし、海外支援をしていた時に海外の子たちよりも日本の子どもたちの方がしんどそうだなと思った経験があったから大阪で動き始めたんだよね。

ーー海外の子どもよりも日本の子どもの方がしんどそうだったんですね。

今井:そのときはアフリカのザンビアという国に行ったんだけど、そこで出会った子たちは、お金はないんだけど「僕たち幸せです!」っていう感じなんだよね。だけど日本の子どもからはそんなのはあんまり感じられなくて、しんどそうに見えたな。もちろん全員ではないけどね。


どんな状況の生徒でもおもしろいものや才能はある。それが周りから否定されているだけ。

ーーDxPって高校生支援をやっているって聞くのですが、具体的にはどんなことをやっているんですか?

今井:10代で生きづらさを感じていたり、なんらかの理由で社会的な困難な状態に陥ってる高校生と関わっているけど、生徒たちと人や社会とのつながりを作ったり、就職支援をするのがDxPの仕事だね。

ーーそれで高校生限定のコワーキングを始めたんですか?

今井:そうだね。今は年間で1000人くらいの生徒と関わっているんだけど、ある種「わからない仕事」を創ってきたっていうのはあるよね。

ーー「わからない仕事」というのは…。

今井:世の中的にはDxPの仕事ってわかりやすい分野や業界として分類されにくいんだよね。教育でもないし、支援でもない。今は若者支援というのが一番当てはまるなと思っていて、新しい分野をDxPが創ってきた感じだよね。

これをなんでしているかというと、どんな状況の生徒でも何か才能を持っていたりおもしろいものを持っているんだよ。それを親や職場、学校など周囲から否定されてきたから動けないだけで…。

でも動けてなくても彼らは絶対に何か素晴らしいものを持っているから、人や社会とのパイプを作っていきたいなと思って7年間やっているよ。否定されてきたから動けないのは社会的に見たら非常に損失だし、なにより本人にとってマイナスだからね。


寄付をする文化を創っていきたい。今井さんが描く寄付の未来

ーー今井さんがTwitterのハッシュタグを使ってやっている「#フライングで寄付する」はなぜやろうと思ったんですか?

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今井:DxPは寄付型NPOに特化してだいぶ知られるようになり、年間で多くの寄付を頂いているんだけども、みんなあまり寄付したことないのかな**って思ったんだよね。それって個人寄付ができるようになったのにどこにしていいかわからない…みたいなことなのかなって。

それだったら気になったNPOとかに気軽に寄付した方がいいんじゃないかと思ってて、寄付は簡単にいうと「体験」だから。「どういう経験を得られるか」とか「どういうつながりを得られるか」とかは体験しないとわからないんだよね。

「だったら1回乗っかってみよう」みたいな気持ちで知ったNPOに寄付してみるとか、毎月寄付する継続寄付をやってみるとか。

ーーそれを自分が率先してやっている。

今井:うん。今は毎月5団体のNPOに寄付しているよ。

ーー今井さんって高校生のpolcaやクラウドファンディングとかもかなり支援していると思うんですが、なぜそんなに支援するんですか?

今井文化を創っていきたいと思っているんだ。今はお金がなくて動けないっていう子たちも多いから「そういう子たちをみんなで育てていこうよ」っていうムードを創っていきたいんだよね。

ーー僕も高校生の頃「将来の勉強のために福岡に行きたいです」っていうpolcaを立ち上げたら見ず知らずの大人の方々が支援してくださって「大人って優しいんだ」っていうのはその時実感しました。

当時、バイトができなくてお金を得る手段がpolcaくらいしか思いつかなくて、支援してくれた大人の人がいて本当に助かりました。

今井:polcaがおもしろいのは300円とか500円の支援が、動き出す一歩手前の子にとってはものすごい自己肯定感に繋がるんだよね。polcaはそういうのをうまくデザインできているし、簡単だから高校生への支援やサポートはどんどんやっていきたいと思っているよ。

NPO未来ラボを始めた理由。そこにはNPOの弱さがありました。

ーー今井さんがオーナーをやっている「NPO未来ラボ」はなぜ始めようと思ったのですか?

今井10代や20代でNPOに関心を持っている人たちはいるのに、NPOで起業するっていう選択肢がみんなないから、そこをちゃんと伝えていきたいなっていうのを結構前から考えていたんだよね。

それとNPO以外の方法で社会を良くしていきたいと思っていたり、NPOに関心を持っているけど関われない人たちが世の中に多いのは、SNSを見ててすごい感じてたんだ。

そして箕輪さんのTwitterをフォローして「箕輪編集室」を見てみたら「これ自分でもやれるんじゃないか」と思って作ったのがNPO未来ラボなんだよね。

ーーじゃあ入ってくるのはNPOに勤めてない人が多いんですか?

今井:いや、NPOに勤めている人も入っているし、企業に勤めている人や起業家、学生などバランスよくいるよ。やってみてすごく思うのは、入りたいっていう人はめちゃくちゃ多いからNPOに関心がある人は多いんだろうなって。

企業に勤めている人たちもNPO的なことをNPOと絡んでやりたいとか、NPO的な発想をつかって何かやりたいっていう人たちが多いんだよね。それに10代と20代の前半の子たちはみんな、NPOに関係なく起業したい子なんだよね。

ーー事業計画書を書いたり、資本金を準備したりして起業する会社の起業よりもNPOの起業って認知されてないですよね…。そもそも選択肢に入らないというか…。たとえ選択肢に入ったとしても起業方法がクローズドになっているからわかりませんよね…。

今井:そうだね。NPOのノウハウや中身の話ってこれまでされてこなかったと思うし、公開されていたとしても10代や20代にリーチしていないからそこを広げていきたいなと思ってやっているよ。

企業の大きな資本を使って動くっていう方法でもいろんなことは学べると思うんだけど、NPO的な手法でおもしろいのが小さな資本で動いたとしても行政や国に対する影響力ってすごく大きいんだ。

それとDxPのボランティアさんは今250人くらいいるのだけど、ボランティアさんは生徒のために月10時間や20時間を使ってくれているんだよね。そういう人たちとコミュニティを作れるところがすごい力だなと思っているよ。

ーーそれはボランティアさんを募れるNPOならではの強みですね…!!

今井:それにDxPのスタッフはおもしろいしいろんな発想を持っているメンバーとか、今までいろんな経験をして入ってきているメンバーとかがいて、物事に対する考え方とか人に対する接し方とかがものすごい柔軟だから、DxPと関わるだけでもめっちゃおもしろいと思う。

「希望をもてる社会を作りたい」DxPの代表が語る。これからのDxP

ーー最後に、DxPを今後どうしていきたいですか?

今井:DxPで「ひらかれたムラ」みたいな経済圏をつくっていきたいと思っているんだ。

ーーひらかれたムラ…?

今井:そう。そのムラで起業してもいいし、DxPのスタッフがスキルを売ったり、生徒や卒業生、ボランティアさんとかが個人の能力を売買できるような、そんな経済圏を作りたいなって思ってる。

高校生側はそこで稼ぐ方法を学んで、卒業後は生きるための経済圏が別にある…みたいな。外部と接点があるから社会と断絶されているわけでもないし、そのムラを出ていってもやっていけるんだよね。

そういう希望をもてる社会っていうのを自分たちで勝手につくりたいっていうのはすごい思ってる。

ーーなるほど。確かにそれだと「ひらかれたムラ」っていう表現がかなりあってる気がします。

今井:そしてそのコミュニティはいろんなコミュニティが集まっている必要があると思っているんだよね。同じ属性の人たちが集まるわけじゃなくていろんな属性の人たちが集まっている、そんなコミュニティを作りたいんだ。

例えば働きたくない人がいたり、バリバリ働く人がいたり、エンジニアをやっている人がいたり、ライターをやっている人がいたり。いろんな人がいるけれど、お互いが認め合っているみたいな。今ってコミュニティが細分化していて、それを横断できるのがDxPだと思っているから、そういう未来図を常に想像しているかな。


イラク人質事件から若者支援をする寄付型のNPOを創ってきた今井さん。「人質事件」だなんて、多くの人が経験するものではないけれど、とても苦しく、辛いことは容易に想像することができます。

ですが、実際に経験した人の辛さや苦しさは計り知れません。ましてや、無事に帰国をしたというのに、バッシングの嵐に飲み込まれるなんて...。そう思うだけで、恐怖が体中にまとわりつきます。

そんな想像もできないような苦しさの経験を、笑って話せるのは今井さんの強さであり、それが今井さんの優しさを作っているのかなと思ったりもしました。


さて、ここからはそんな今井さんと出会って、一歩を踏み出すきっかけをもらったふたりの高校生を紹介します。

(左が企業や大学の研究室で研究をしているみねくん。右がプログラミングや関西の高校生のコミュニティ運営をしているともきくん。ふたりはDxPがやっている「高校生コワーキング」のリーダーをしている)


ーーおふたりのDxPと関わるようになったきっかけを聞きたいんですが、きっかけはどこから?

みね:僕は今年の3月のイベントで今井さんと初めてお会いして、そこで少し話したのが一番最初です。コワーキングスペースをはじめたのは、今井さんのカバンもちをやったときに正田圭さんやCAMPFIREの家入さんにお会いさせていただいて「コワーキングしたら?」と言われたのがきっかけです。

ともき:2017年の秋頃に小幡和輝さんが、クラウドファンディングで本を出版されたんです。その本の出版記念トークイベントで今井さんが登壇してて、今井さんのことはそこで知りました。DxPと関われるようになったのは2月にカバンもちをしたのがきっかけです。

ーーDxPは通信制や定時制の高校に「クレッシェンド」というプログラムで授業に入っているのに、ふたりともカバンもちが始まりなのは不思議ですね。

(カバン持ちというのは、今井さんのアポに連れて行ってもらうという貴重な経験をさせてもらうこと。僕も2度カバンもちをしましたが、2回ともカバンは持ちませんでした。)

みね:僕は元々全日制の中高一貫校に通っていたのでDxPとの関わりは全くなかったんですよね。起立性調節障害という病気で休むことが多かったので、2年生に進級するときに出席日数が足りなくて、今の高校に入り直したので、全然関係ないんです。

ともき:僕も奈良県の通信制の高校に通っているので、関係はなかったです。

ーーおふたりがDxPに関わっている理由ってなんですか?

みね自分が作業する場所を確保するためっていうのと、DxPのスタッフさんと関わりたいなと思ったからです。今井さんはスキルやリソースを持っているし、スタッフさんもかなりおもしろい方が多いので(笑)

ともきデメリットがないからです。メリットは電源が使えたり、Wi-Fiがあったり、スタッフさんと関われたり…とか色々あるんですが、お金を払わないとダメというわけではないからです。

今、奈良に住んでいるんですが、大阪や神戸の友人が多く「どこで会う?」ってなると必ず大阪になるので、用事が終わった後とかにDxPに寄って作業するとかが多いんですよね。

ーーみねくんが起立性調節障害になったのって何か原因があったりするの?

みね小学校の頃から毎年9cm身長が伸びていたので、それに神経系の成長が追いつかなくて血液が上がらなくなっちゃったんですよね。

中学1年生の頃は剣道部だったのですが、朝練などで生活リズムが崩れてしまったんです。そのときに体調も悪くなって神経系が機能しなくなって、朝に体を起こすことができなくなりました。

ーー今ではもう治っているんですか?

みね:起立性調節障害になったのが中学2年生の頃なんですよね。僕の場合は3〜4年間で治ると言われていて、今年が3年目なんです。だからだいぶ良くなってきました。

中学2年生の頃から休みがちだったので高校に進学するときには、先生と話し合いました。そして、治ってきた矢先に出席日数足りないよって言われて(笑)その高校をやめてまた新しい高校に入り直しました。

ーー別の高校に入り直したのは高卒の資格が欲しかったから?

みね:それもあるんですけど「学生」は守られるので「学生」という身分が欲しかったんですよね。

ーー学生という身分は持っていて損はないなと学生という身分を捨ててから思いますね(笑)ところで、みねくんは何の研究をしているんですか?

みね:あまり深くは言えないんですけど、大学では金属系の結晶の成長研究をしています。企業では僕の自主研究をやっています

ーーなるほど。科学って好きでもそこまで没頭できないというか…。僕は学校の授業でやる実験だけで充分だったのですが、そこまでやるということは科学が大好きなんですよね。なんでそんなに科学が好きなんですか?

みね:・・・。難しい質問ですね(笑)
一番大きいのは、物心ついた頃に周りに科学しかなかったということです。小さい頃は図鑑を見るのが好きだったんですが、それが科学系の図鑑で。

そして、科学館に行ったら学芸員さんの話がおもしろくて、毎週通っているうちに科学の道に進むこと以外、考えられなくなりました。

それに加えて、剣道部を辞めた後に入ったサイエンス部の顧問の先生が、元は研究者だった人で、その人からもかなり影響を受けたと思います。

ーーともきくんはプログラミングでiPhoneアプリの開発とかをしているって聞いたんだけど、何でプログラミングをしようと思ったの?

ともき:2016年の夏にプログラミングキャンプに参加をして、そこでiPhoneのアプリを作ってみたら、めちゃくちゃ楽しかったから、それから2年間続けています。

ーー「エンジニアになれば将来困らない」とか言われてプログラミングを始めてみるも、挫折…。みたいな人ってかなり多いと思ってて、僕もそのひとりなんだけど…。

プログラミングの楽しさがわからなくて挫折したんだけど、プログラミングの楽しさって、どういうところにある…?

ともき:iPhoneアプリでいうなら、ボタンを押したときにカウントが1つ進むとか、コードを自分で書いて、それが自分のiPhoneで動くっていうのが一番楽しいですね。

ーーな、なるほど…。そういう楽しさを実感できている人がエンジニアになっているんですかね…。ともきくんはプログラミングに加えて、関西の中高生のコミュニティもやっているよね。それはどうしてやろうと思ったの?

ともき:東京だと起業家の横のつながりがすごいし、集まる場所とかもあるんですが、関西にはそういったのがなくて…。大学生向けだとあるんですが、中高生向けのはないので、作ろうと思ったんです。でも、お金などの問題点がいくつかあったので、Slackでオンライン上のコミュニティを作りました。

ーーともきくんはさっき「通信制の高校に行っている」と言ったけど、なんで通信制の高校に行こうと思ったの?(様々な心境の変化があり、現在は通っていない)

ともき中学1年生の冬から学校に行っていなくて、そこから中学には一度も行ってないです(笑)進学するときに「高校どうしよっかな」となり、とりあえず学生の身分を貰っておこうということで通信制の高校に入ったんですが、辞めます(笑)

ーーどこから聞いていけばわからないんですが…。中学校を行かなくなったのはなぜ?

ともき:大きいのは友人と話が合わなくなったっていうことですね。それに、家と学校の往復に飽きたっていうのもあります。毎日同じ時間に朝起きて、同じ時間に登校して勉強して、同じ時間に帰って寝るっていう生活に飽きました(笑)
だけど、今は1週間、毎日違う予定が入るので飽きないです。楽しい。

ーー不登校の理由は千差万別あると思っていましたが、まさかこんなパターンがあるとは想像もできませんでした…。それと、高校を辞める理由も気になります(笑)高校を辞めた僕がいうのもアレですが、かなり思い切った選択をしますね。

ともき:週に1回、学校が9時からあるんです。学校に行くのはその日だけでいいんですが、時間の拘束がかなりあって…。

というのも、課題を出されて、それを登校日に持っていかなくちゃいけないんです。でも、やりたいことを優先してしまい、課題をやる時間がなくなって、課題をやらずに学校に行くんですよね。

そう考えると、あまり学校に行ってる意味はないなと思ったので。それと学生であるメリットをあまり感じなかったので辞めました。

ーーめちゃくちゃ特殊な過去を持っているふたりに最後にお聞きしたいんですが、今後の目標はありますか?

みね:僕は学芸員の人から科学を好きになったんですが、学芸員は社会が提供しているものなんです。僕は社会が提供しているものを自分が返さないと次の社会は回らないと思っていて…。

ーー社会を回すというのは次の世代へのバトンタッチみたいな?

みね:そうですね。そして科学をやっていて僕が思ったことが「場所がない・提供がない・何をしたらいいかわからない」ということがあるなと。

つまり、発想があってもやらせてくれる所などがないなと思って、それなら、知識や場所などのリソースを提供すればいいんじゃないかなと思っているんです。これがすごい難しいんですけどね(笑)
だから、そのためにどうしたらいいかというのを研究しながら勉強しています。

ともきサラリーマンにならずともお金が得られるように生きていきたいです。面白いプロダクトを持っている友人がいて、起業しないかとか誘われたりするんですが、その友人と起業してもいいし、フリーランスのエンジニアとしてでもいいし…。
やりたいことをやってお金がついてくるように生きていきたいです。



はっきりと目標があるみねくん、どういう生き方をしたいのかがわかっているともきくん。ふたりの共通点は、そんなに多くはないけれど、どこかお互いを認め合っているような、そんな感じがしました。

きっと、それは今井さんがつくろうとしている「ひらかれたムラ」で生活しているような人だということもわかりました。



ともきくんやみねくんのように大人たちと関わるのは、少し難しいことがあります。

ですが、それができているのは、DxPのスタッフさんが子どもをリスペクトしているし、逆に子どもが大人をリスペクトしているからだと感じました。

だから、DxPは若者支援という新たな分野を展開できたんだと納得しました。


新たな分野を創ったDxPという光。この光はいつまでも、程よい強さで光続けて欲しいと強く心の中で願いました。



Text by 佐藤 みちたけ(@mi_chi_sato

Photo by TETOSE(@BeDay0701


今井紀明 Twitter(@NoliakiImai

認定NPO法人DxP HP

みね Twitter(@ato_pip

ともき Twitter(@tomoki_sun

お寿司が食べたいです