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出演を終えて。雑感

たくさんの舞台が中止を余儀なくされている中、有観客の公演に参加させていただいたことは貴重な経験になりました。

個人的な話だが、今年始め体調不良にてひとつ、ふたつと降板させて頂き大変なご迷惑をかけ残し、あたし自身の今まで生きてきた中で初めての経験をしつつ過ごしていたら今度は世界が激変した。自身の都合の他に舞台に立つことが出来なくなるとは予想もしていなかったし、それはパフォーマンスを生業にしているすべての方もそうだったのではないかというのは愚問だろう。その後の予定がひとつ、ふたつと中止になって、そう成って然るべきだと思っていたし、周りが少しずつ公演を建て直していくのを見ながら、心より応援すると同時に今見世物をして人を集めることへ疑問は拭えない。やりたいからやるだけじゃ許されないと思っているし、少し舞台から自主的に一足早く遠退き情報をあまり入れて来なかった身としては正直何故今やるのかと強く思っていた。

稽古中、本番中に1人でも体調不良者が出たらアウト。簡単に言うとそんなイメージ。ギャンブル中の増してギャンブル。メディアの報道もそのようなものが多く、踊らされているんじゃないかと言われたらそれもまた否定できないが、今回「今舞台にでます」と表明し、あたしの周りの人たちは「今やるんだね」と言う方がほぼ。寧ろ当たり前で、言い方に困るが、人を集めることは悪なんだろう。だから、今舞台公演を行うのは悪寄りなのだろう。出演の話を受けたが、初めて人を呼びたくないとおもった(嗚呼呼べないなあ、なんてことはそりゃあるんだけどもごもご)。観劇はあくまで娯楽であって欲しいと今までだって思いながらやって来たから、少なくとも何か覚悟して観にきてほしくないなあ、とか、色々。あたしは台本を読みながらわくわくしてしまったけど、浮わついているとバチが当たるかもしれないなと得体の知れないものと戦ったりもした、ビビりだからさ。

稽古が始まると久々に人と逢って、つくることにのめり込んで、ふとコロナのことを忘れたり、休憩中見るスマホには毎日感染した方の速報、前だってやっていた稽古場の換気は違う意味を持ったもので、常時着脱する透明マスクもいつしか気にならなくなる。誰に習った訳でもないのにディスタンス意識の芝居に成り変わっていたある日にそれを壊す機会があって、作品が面白く自由になった日もあった。大事なことを思いだした。近くしてごめんねと気遣っていただいた、そんなことはありません、とんでもないですと申し上げたが、本当にそう思っていて、なんか、もっと旨いこと言えたらよかった。ながくけいこしてごめんとも、たぶん言わせてしまった。

稽古場の窓を大きく開けた。

なんというか、自衛する行動ひとつひとつが、誰かを傷つける行動になってやしないかといちいち考えた。よくあたしは考えすぎますから。すぐに手洗いうがいをするのも、マスクをつけるのも、ごめんねと思わせていたら本当に申し訳なかった。

どうしても千秋楽を無事に迎えたかったし、かかっても良いからやる、という覚悟めいたものはまあ鳥肌が立つくらい陳腐だ。何事もなくて当たり前でなければならない。いろんなことを考えるのは大袈裟だろうか、大袈裟すぎるよ馬鹿だなとからかわれる程度のモノと実は対峙しているなら、よっぽどよい。

小屋に入って、場当たりの時、何度も何度もも開演の暗転と音楽が大きくなっていくのなんて袖で見てきたんだけど、なんだかやっぱり嬉しかったなあ。本番が始まって毎日毎日、今日も無事におわりました、ありがとうございましたと何にお礼を申し上げてるんだか、もう何事もなく千秋楽を終えられることが奇跡のような世界になった感じがしたけど、いや、本当はずっと奇跡だったなと、毎日何事もなく無事にって実は奇跡なんだよなあ。ありがたいと思わなくてはならかった。

実は足を運んでくださるかたがすごくたくさんいらっしゃって、驚いた反面、少しずつ少しずつ、戻ってきているというか進化していっているのだなあと。でもやっぱり、この時期に足を運んで下さった皆様の並大抵のものでない心意気をありがたく頂戴しました。みな大変なこの時期に配信でご覧いただいた皆様や、気にかけてくださる皆様へも深く感謝します。

こちらは無事におわりました、次へ、次の上演予定の方へって繋がってるね、演劇がんばってるよほんと、となんとなしに仰っていた言葉をあたしはちゃんと伺いました。

機会をいただけて、出演させていただいて、このコロナが治まらない今、やる、ときに俳優として対策できること、あー、こういうこと新しい生活の中では気をつかうべきだな~とか、現場の様子や、取り巻くみなさんを体感出来て、一歩外に出られた気がして、あたしは。

舞台のオファーを受けるか迷っているプレイヤーの友人に、参考のひとつにして貰えたらいいなあ。無理にするもんじゃない。責任がどうこうとかあるかもしれないけど、怖いと少しでも感じるなら、あたしはそれを肯定したい。芝居をさせてもらってきたけど、やらなくったって生きていけるのよ。あの、仕事しないとお金もらえないんだから、生きていけるわけないだろとかそういう生きるは別にして、もっともっと広い「生きて行く」って意味で。矜持とか置いといて。でも、やっぱやるわって思うならやったらいい。云々考えたり言ったりしてみたけど、あたしはやっぱりやりたかっただけだった。






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