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英語学習記録#03

教材名:Penguin Readers Level4
「Women who changed the world」

Chapter2 Women and human rights

 人権とは何か。
人権とは、選挙権、表現の自由、自由な教育などを指す。
今回は、ハリエット・タブマン、ローザ・パークス、シーリーン・エバーディー、そしてリゴベルタ・メンチュウの4名が登場していた。

 ハリエット・タブマンはメリーランド州で、黒人奴隷である両親の子として生を受けた。1849年、彼女は北米に亡命をし、その後、自身の家族とその他の奴隷たちの解放運動を行った。彼女はまず、奴隷たち向けの学校を設立し、後に女性参政権について闘った。

映画もやっていたようです・・・

 ローザ・パークスは女性ということだけではなく、黒人全体の人権に関して逞しい姿勢を見せました。当時、有色人種への差別が大きく、白人と黒人はバスの中でさえ、同席することはありませんでした。ある日(1955年12月1日)、バス内が大変混み合っていたため、バスの運転手がローザを含めた黒人4名に対し、白人に席を譲るように促します。ローザ以外の3名は席を立ちましたが、ローザは席を譲りませんでした。再度、運転手は席を譲るように訴え、「何故、立たないのか?」と問われると、彼女は「立つべきだと思わないからです。」と答えます。結局、運転手は警察に通報し、彼女は逮捕されてしまいました。しかし、彼女のこの勇敢な行動は米国内の黒人の人権の戦いで大変重要な意味を示したのです。

 イラン出身のシーリーン・エバーディーはテヘラン大学で法学を学び、1975年に女性初の裁判長を務めました。しかし、イラン革命により失職。1993年に再び、弁護士として法曹界に復帰を果たしました。2003年、ノーベル平和賞を受賞。その後も、女性と子供の人権について闘い続けました。また、人権に関する講演のため、世界中を飛び回っていました。

 最後に、リゴベルタ・メンチュウは彼女の出身国の人権に関して闘った女性です。リゴベルタはグアテマラの小さな村にいるマヤ系先住民キチェ族の家族に生まれました。彼女は学校に通いながら、家族の仕事を手伝ったり、太平洋付近の大きな農園でコーヒー豆の収穫の仕事をしていました。学校を卒業後は、1960年から1996年までグアテマラの内戦時代の軍事政権に対する人権侵害について闘います。1984年までに、自身の家族を次々に亡くし、本人も1981年にはグアテマラに住めない状況に追い込まれました。メキシコに移住後も、彼女はグアテマラのために働き続けました。1995年には息子を授かりましたが、その後も人権について訴え続け、1992年にはノーベル平和賞を授与しています。

 今回紹介されている4名の女性たちは女性の権利で闘っていただけではなく、人権そのものについて訴えていたことが重要である、と帰結していました。

 key wordは、indigenousです。
今回は少し難易度の高めの単語が初めて出てきました。
idigenous=nativeという意味になります。
また、human rights crimesのcrimeは元々「罪」という意味がありますが、
ここでは「悪事、悪行」から派生して「侵害」という意味で解釈しました。
英語の楽しいところは、単語本来の意味から意味を拡大させたり、逆にフォーカスしていったりという作業にあると思います。
try&errorを繰り返しながら、正確に解釈できるように引き続き頑張ります!

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