はじめて髪を染めた日、髪を染めるのをやめた日、そして現在。
はじめて髪を染めた頃、私は「新世紀エヴァンゲリオン」にどハマりしていた。
1996年、中学3年生の夏休み。オリジナル版の「エヴァンゲリオン」が再放送されていたのだけど、あまりに刺激的だった。
「こんな世界観があるんだ」
茨城の片田舎で生まれ育ち、豊かながらも、狭い人間関係、そして家族の問題で鬱屈としていた頃の私にとっては、なんだか途轍もないものに出会ったしまった感覚があった。
そして、私のなかの”何か”が崩れた。
それまで辛うじてバランスを保っていた”何か”が。
その頃から、私は髪を染めるようになった。
初めての髪染めは、近所(と言っても自転車で20分はかかる)の薬局で買ったヘアマニキュアだったと思う。
髪を染めれば、何かが変わる。
なぜかわからないけれど、そんな気がしていた。
とはいえ現実はそんなに簡単なものじゃない。髪を染めて変わったのは「先生に呼び出されるようになったこと」くらいだろう。
だけど、それでもそれで良かった。
田舎くさい景色、変わり映えのしない毎日、狭くて息苦しい人間関係、記号化された制服・ジャージ……どことなく抱いていた毎日への不満をブレイクスルーする何かが、髪染めだった——なんて意味づけは大人になってからの懐古主義だ。
当時はもっと、滅茶苦茶だった。わけもわからない欲求・衝動が蠢いていて、それが行き着いた先が「髪を染める」だったのだろう。
それ以来、私は髪を染め続けてきた。高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても。
高校生になると、美容院で髪を染められるようになった。(アルバイトができるようになり、自由に使えるお金が増えたから)
美容院で髪を染めるときの高揚感は、なんとも言えない。
「今とは違う自分になれるかもしれない」
そんな期待にワクワクドキドキ。
「しみたら言ってください」と、ヘアカラーではお馴染みの言葉を聞いたとしても、実際にヒリヒリとしみたとしても「しみるより何より、違う自分になりたい」という欲が勝っていた。
季節が変わるたびに、新しい流行がやってくる。
そして、流行にあわせるように髪色を変えていく。
「次の季節こそ、なりたい自分になれるんじゃないか」
そんな期待、高揚感に胸を踊らせて。
だけど、そんなワクワクは、いつの間にか惰性に変わっていった。
「髪色を変えたところで、現実は何も変わらない」
20代半ばになる頃には、薄々気づいていた。
それどころか、美容院で仕上げてもらえるような「ツヤツヤの美髪」は一時的なものだ。
美容師さんがケープを外すと、数時間前とは違う自分がそこにいる。
でも、その瞬間がピークだ。高揚感としても、髪の状態としても。
美容院に行ってから少し経つと、軋みが気になるようになり、やがて色も抜けてくる。それより何より厄介なのは、地毛の部分が伸びてくることで起きる”プリン状態”。
”プリン状態”はストレスだ。
鏡で自分の髪を見るたびに「美容、サボってますよね」と、スボらさを突きつけられるような心地になる。
大人は忙しい。
仕事をして、遊びもして、恋愛もして、そしてその合間に自分のメンテナンスとして美容にも気を遣って……特に20代の頃は、時間と労力、そしてお金の奪い合いだった。
美容院は高揚感が得られる、とても好きな場所。
だけど、お財布的にも時間的にも結構しんどい。
とはいえ、この”プリン状態”を何とかしないわけにはいかない。
いつしか髪を染めることが、「高揚感」から「義務」へと変わっていった。
「最低限身だしなみに気を使っている」と自分を納得させるための「免罪符」のようなものだろうか。
この「義務感」に、どこかでモヤモヤはあった。
だけど、当時の私は、もはや考えるのをやめていたような気がする。
「だって忙しいのだもの、仕方ないでしょ」
たしかにそうだ。自分の人生に必死だった20代、モヤモヤを深掘りする余裕なんてなくて当然だ。
歳を重ね、自由に使えるお金が増えるにしたがって、美容代も増えていく。
そして、年齢・美容代に比例するかのごとく、髪のダメージが誤魔化せなくなっていく。
「もっと頻繁に美容院に行ってケアをしないと、美しい髪を保てない……」
30代になって、私は月に一度、美容院に行くのが習慣になっていた。
ダメージの状態と、プリン状態を総合的に判断して、2〜3カ月に一度はカラーリングをする、なんて日々が続いていた。
当時の私のオーダーは、こんな感じたった。
「ツヤのある、自然な髪色、仕上がりにしてください」
でも、ある時、ふと気がついた。
「”自然な”と言っているけれど、自然の状態って生まれもった髪のことだよな。私が生まれもった自然の髪、地毛ってどういうものだったのだろう?」
この時に、気がついた。
カラーリングが当たり前になりすぎた結果、自分の「地毛」が何色だったのかさえわからなくなっていた。
この時の私は30代半ば、そろそろ白髪が増えてもおかしくない頃だ。
このままだと、私は一生、自分の地毛の色を忘れたまま死んでいくことになるのかもしれない……
そう気づいたとき、急にひらめいた。
「いったん地毛に戻してみよう」
カラーリングをやめることを決断したのだった。
とはいえ、いざやろうとして驚いた。
「地毛に戻す」のは楽じゃない。
その時の私の髪の状態は、こんな感じ。
すべて地毛にするためにはベリーショートにしないといけないけど、それはちょっと勇気が要る。
顎のラインのボブをつくるために必要な髪の長さは、30センチ弱。
髪の毛が伸びるのは、1年で10〜15センチほど。
地毛だけでそれなりの髪型をつくれるようにするためには3年ほど時間がかかる。
ベリーショートにはできない。
でも”プリン状態”は嫌だ。
……迷った挙句、こうオーダーすることにした。
「根元の地毛の色にあわせて、根元以外の部分を染めてください」
それからは、2〜3ヶ月に一度、色の抜けた明るい髪にトリートメントカラーをするようになった。
やってみて、つくづくわかったよ。
地毛に戻すのは、楽じゃない。
一つだけ救いだったのは、私は人より髪が伸びる速度が早いことだろうか。「計算上3年はかかる」と思っていたけれど、結果としては2年ほどで地毛が顎のラインまで達した。
これで、地毛でボブがつくれるようになる!
そんなタイミングで、私はとある美容院を訪れることになり、背中まで伸びていた髪を切りボブになった。
そして、そこでの出来事をきっかけに、今ではオーガニックヘナを提案することを仕事にするようになった。
たかが髪、と思う人はいるかもしれない。
だけど、どうだろう。
「自分の髪、好きですか?」
と問われて「はい」と即答できる方は少ないのでは?
髪は、身体の一部であり、私なのだ。
中学生の頃の私は、とにかく自分を変えたいと思った。
壊してしまいたいほどの衝動が、髪を染めることを選ばせた。
その後、髪は自分を表現する道具となった。
そして社会で居場所を保つための「武器」であり「防具」でもあったのかもしれない。
そして回り回って、私は徹底的に「自分」になろうとした。
地毛に戻すことを決めた私のなかには、そんな想いもあったのだろう。
* * *
今、私はオーガニックヘナを髪に塗っている。
オーガニックヘナは、元々、天然の白髪染めに使われていたものだ。
化学薬剤ではないので頭皮がしみたり、ヒリヒリしたりすることはないし、アレルギーや薬剤のリスクを気にすることなく髪を染めることができる。
これだけでもすごいのだけど、ヘナの魅力はそれだけではない。
ヘナにはトリートメント効果があるのだが、その効果を表現する言葉はさまざまだ。「髪が強くなる」と言う人もいれば、「サラサラで柔らかくなる」と言う人もいる。
その人がもつ髪の性質を、たっぷり引き出してくれるもの。
それが「オーガニックヘナ」のもう一つの効果なのだ。
自然体の自分であるのは、口で言うほど簡単ではない。
「ありのまま」だと思っていた自分は、実は、常識や固定概念の寄せ集めであり、恐れや不安から取り繕っている自分でもある。
ああ、まだまだ余分なものを被っているのだと、事あるごとに実感する。
……まぁ、そんな自分も良いのだけどね。
清らかさだけが、自然体じゃない。
ドロドロと濁っているのも、また私だから。
いずれにしても、髪は自分なのだ。
衝動的に染めた髪も、美容院でワクワクしながら染める髪も、マナーとして染める髪も、地毛に戻すために染める髪も、ヘナ色の髪も、どんな髪色も、どんな髪も、それぞれの良さがある。
「自分の髪、好きですか?」
その問いに、心からの「YES」と言いたい。
もしかしたら「エヴァンゲリオン」にどハマりしていた頃の私が望んでいたのは、それだったのかもしれない。
今のあなたは、どうですか?
自分の髪、好きですか?
* * *
さいごに|オーガニックヘナに興味をもった方へ
記事のさいごに、私の活動について少しシェアします。
オーガニックヘナに関心のある方、試してみたい方、詳しく知りたい方は以下をご覧ください。
【試してみたい方へ】
●5月6日 イベント出店のお知らせ@渋谷
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【詳しく知りたい方へ】
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