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いと推し、江戸


 江戸が愛おしい――。


 三十路女の推すもの。


 てちょぶん(手帳+文具)、某マンガのイケメンキャラ、そして江戸。


 この場を借りて、私が江戸推しだということを公表したいと思います。


 さて、みなさんは江戸と聞いて、何を想像するでしょうか?

 学生時代の教科書に載ってた、徳川幕府でしょうか?

 それとも大河ドラマや時代劇で見る、ちょんまげはかま姿でしょうか。

 読書好きの方なら池波正太郎や藤沢周平の名を上げるかもしれません。


 私はどれも好きです。

 できることなら江戸時代に生まれたい、生まれ変わりたい――と思うぐらい江戸が好きです。


 江戸の町並みが好きで、気風の良い江戸人が好き。

 今と比べて身分制度はあるけれど、男女差別が意外と少ない江戸。

 そんな江戸を愛し、江戸時代が舞台のドラマや小説を読む。そうしてインプットした〈江戸愛〉をオリジナルの小説として書きたい――というのが私流の江戸の推し活です。


 まずみなさんに江戸の風を味わってもらいたいと思います。

 これから紹介するのは、私が趣味で書いた原稿用紙四枚程度のショートショートです。


 *


〈ただありふれた江戸のできごと〉


 秋の彼岸になると、私は上野の不忍池に来て、弟を思う。弟を亡くし、今年で三年が経った。十歳だった弟は、流行病で亡くなった。


とても人見知りで、私にだけとても懐いていて、「姉ちゃま、姉ちゃま」と十歳になってもたどたどしい口調で、私の後をついて回っていた。


 私はこの冬、婿をもらって、実家の小間物屋を継ぐ。けれど、実感がわかなかった。婿となる人とは、まだ顔を合わせていないというのもあるけれど、未だに弟の幻影が私を追いかけていたのが、気がかりだったのだ。


 今も、うしろから不意に「姉ちゃま」と聞こえた気がした。振り返っても、子どもの姿はない。気づけば、人の姿すらなかった。


(今なら泣いてもばれはしない)


 そう思ったけれど、もう涙は出てこなかった。さびしさで一杯の心も、もう揺らぐことはない。


(お姉ちゃんも、そっちへ行こうかね)


 ふと池のふちに座り込んで、蓮の葉に手を重ねた。大きな葉に吸いこまれるような感じを抱いた。


――姉ちゃま――


ほら、弟が呼んでいる。私もそっちへ行こうか……。


「何やってるんだ!」


 耳元に大きな声が聞こえたかと思った瞬間、私の腰が後ろにグイと引かれた。そしてどすんと尻餅をついた。


「危ないじゃないか! 土左衛門になっちまう!」


 そう言って私の顔をのぞいたのは弟だった。


「……千代丸? 生きてたのかい?」

「千代丸? ちがうよ、おいらは松太だ」


 私のおどろいた顔を見て、キョトンと首をかしげる少年は、弟に似ているように見えただけの、まったく違う少年だった。


 松太は手を差し伸べた。


「まったく、きれいな装いが泥だらけだよ」


 松太はそう言って、私の着物のひざ下についた土を払っていると、ざっざと草履を擦る音が聞こえてきた。


「松! 走ってどっかに行くんじゃないよ」


 二十歳をすこし過ぎただろうか、たれ目が印象的な青年が、羽織りを翻して走ってきた。


「おや? あなたはもしや、〈まるかわ〉のお店のお嬢さんじゃありませんか? 小間物屋の……」

「そうですけど」


 すると青年は顔をカッと赤らめた。


「あ、あの。今度お見合いで会う予定の、半三郎です。その、呉服問屋の三男の……」


 私は半三郎と名乗る青年をしげしげと見て、これが未来の旦那さんなのか、と不思議な気持ちになった。


「じゃあ、この人が、おいらのお世話になる女将さんなんだね」

「そうだよ、松。お前も一緒に働かせてもらうんだ。だから失礼のないようにな」


 私は、母から「婿さんと一緒に子どもの奉公人が来る」と聞いていたが、それがこの少年だとは知らなかった。


 私はふと松太の頭をなでた。短い前髪がショリリと指に触れる。


「ありがとう、松太」

「良いんだ。それより千代丸ってだれだい?」


 半三郎が松の口調を叱るが、私は気にも留めずにほほ笑んで答えた。


「私の弟だよ。今は遠いところで暮らしているんだ」

「そうか。いつか会えるかな」

「さてね」


 半三郎が羽織りを脱いで私の肩に掛けた。


「店まで送りましょう。松も一緒にきなさい。行って、あいさつをしなさい」

「はあい」


 松を挟むように私と半三郎と三人で手をつないで歩いた。夕焼けがあたたかく降り注いでいる。それ以来、私の幻聴は聞こえなくなった。


 *


 どうですか?


 江戸という場所に舞台が移っただけで、実は現代とそう変わらない日常が流れているものなんです。


 それでも、江戸にはスマホがない。ネットがないし、なにより鎖国している。

 閉鎖的な町にも思われかねない場所、江戸。


 でもね、江戸に生きた人々は実に朗らかでむしろあけっぴろげ。

 くよくよ悩むより「ええい、やっちゃえ!」という感じなんです。


 もちろん、私のイメージもあるかもしれません。こうであってほしい、という願望が生み出した理想郷を江戸という〈過去〉と結び付けているだけなのかもしれない。


 たとえそうであっても、私にはそんな理想郷があってほしいのです。


 私は高校で悲しい日々を送りました。


 いじめられた――ということはありませんでしたが、クラスメイトたちから無視される日々を送っていました。数少ない友だちは部活に数人だけ。でも高校で過ごす大半はクラスメイトと一緒の教室の中です。部活はおまけみたいなもの。


だれにも見られていないのに、なぜか視線が背中に貼りつく。勉強も身に入らず、成績は下がる一方。出席日数のおかげで進級はできても、赤点ばっかりとっていました。


 現実は味気ない。未来への展望も見えない。


「どうすれば良いの?!」


 叫びたくても叫べない。打ち明けたくても打ち明けられる相手がいない。

 そんな水中に沈められるような日々を、十年経った今も私は思いだすだけで泣きたいような気持ちになります。


 そのときにこそ、私は私に江戸の魅力を伝えたかった。

「こんな世界があったんだよ。たとえ過去のものだったとしても、この世界にはまだまだ素敵な場所があるはずなんだ。だからここでくよくよするんじゃないよ」

 そう言ってあげたい――あるいは言ってくれる人と出会いたかった。


 私が江戸を愛しているのは、江戸の雰囲気が愛おしいから。

 こんな世界に行きたかったという憧れがあるから。


 だれにでもそういう望みがあっていいと思うんです。

 そして「そんな世界はない」と否定的になるのではなく、「そんな世界を見つけ出したい」とポジティブになれれば良いなと思うんです。


 私が生まれてからまだ三十年程度。それでも世界中で戦争やいざこざが絶えない。今の日本こそ平和ですが、それだって永久のものだという保証はない。

 その上、人間関係で悩むことが増えていく。楽しいばかりがコミュニケーションじゃないなと思わされる。


 生きるってシンドイ。そう思ってしまう世の中だなって実感します。


 だからこそ、推しを作ったり理想郷を思う。

 心の支え――そんな大げさな役割でなくても、とりあえず今日を生きる、その意味の一つになれば良いですよね。


 私は江戸が好き。

 江戸が愛おしいし、江戸を推します。


 江戸からはじまった文化や食が愛おしい。

 歌舞伎、浮世絵、天ぷら、そば。

 江戸が生み出し、江戸という時代が育んだ。

 そう思うだけで、ああ、江戸って良いなって思うんです。


 いとおしい、江戸。

 いと、推し、江戸。


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