皆既日食の日🌕

今日は皆既日食ということで、なんとなく月読尊からメッセージをいただく予感がしています👸🔯

そんなことを考えていたら、言葉が天から降ってきました💡🧝🏻‍♀️🌕🌟✨

※今日の文章は絵文字なしで、しかも長いから読みにくいですね🙇‍♂️💦

【繰り返し現れる主題、三島由紀夫】

自分にとって必要な主題が何度も繰り返し現れる、ということは誰の人生においてもあることかと思いますが、私の人生においては"三島由紀夫"という人物が何度となく、私の生活に入ってきて姿を現します。

三島由紀夫は、私とは縁もゆかりもなく、全く何の関わりはありませんが、私が20代後半のある夏、ちょうどお盆休みに入る8月13日、友人に誘われて、鳥料理で新橋の有名な"末げん"というお店に行ったときから、その因縁(?)が始まりました。

まず友人かや、末げんという有名なお店に一度行ってみたいので一緒に行かないか、とお誘いをいただき、私は鳥料理にも末げんにもあまり興味はありませんでしたが、とりあえずその日は予定もなかったし、行ってみることにしました。

そしてその友人が言うには、その鶏料理のお店は三島由紀夫が自決する前日に楯の会のメンバーで行ったお店だということで、三島由紀夫が気にいっていた店だと言うことです。

私は「ふーんそうなんだ。」と言う程度しか思いませんでしたが、なんとなく気になってインターネットでそのお店を事前に調べました。
そこから三島由紀夫情報が一気に入ってきました。

そのお店は老舗の高級な鳥料理屋さんという感じで、三島由紀夫も楯の会メンバーとは座敷で食事をしていたそうですが、そのときも、おそらく三島由紀夫がいた部屋ではないとは思いますが、個人のお座敷で前菜や焼き鳥、水炊き、雑炊のコースを美味しくいただきました。

そしてその日はごはんも食べて、お酒も飲んで、大満足で帰って、ピースカ寝ていたのですけれど、朝起きたとかには二日酔いのように気分が悪くトイレに駆け込んで嘔吐しました。
「吐いたらもう大丈夫だろう」と思い、特に気にすることなくいつものように出かけました。

そうして歩いていると、なんだか身体がどんどんどんだるくなっていき、意識が遠くなり歩けなくなっていきました。
もう今日は歩くのは無理だな、と思い、家に引き返しました。

それからしばらくは動けなくなって、また気持ち悪さがに襲われ、数時間うなされながら横たわっていました。

そのときは、「まぁ、一晩寝たらよくなるかな。」と軽く思っていたのですが、良くなるどころが悪化する一方です。

「これはなんなんだろう?」と思いながらも、おそらく食中毒であろう、と考え、胃液をひたすや吐いて、ぜんぶ身体から出して、激しくなっていく腹痛に耐えながらとにかく寝る、というものでした。

しかし、それは3日経っても一向に良くなる気配はなく、良くなるどころかむしろ痛みは増していき、耐えがたいくらいの悶え苦しむお腹の痛みに変わっていきました。

「さすがにこれはマズイな…」と思い、3日目の夜に救急車を呼んで、家のすぐ近くの病院に運ばれました。

病院に着いてからも痛みは激しくなり、診察を待っている間、交通事故で足を怪我した若い男性が悲鳴を上げながら運ばれてくるのをチラ見しながら、「自分の知らないところでは、毎日、このように事故や病気で生死を彷徨うような状態になっている人もいるもんなんだな。」と痛みが少し引いた瞬間には冷静にその場の状況を見ていたりしました。

そしてMIRなどで検査しても特に異常はなく、最初から食中毒ということは分かっていましたが、尿検査でカンピロバクターが原因であることが判明しました。

そこからは病院の個室を案内され、3日間まともに食事をとっていなかったので、点滴を打って、抗生物質を打ってベッドで安静にしていました。

ただ、私の体質は抗生物質に強くはなく、抗生物質によって痛みは余計に増して、痛み止めがないと暴れまわって喚きまくるような発狂したような状態です。

そして1日3回食事が運ばれますが、それを食べれる訳もなく、毎回トイレに流していました。(食事を残すと退院が延びると判断したため)

そのような病院で痛みと闘う日々が一週間ほど続いたのですが、もともと末げんでこの夏場に生の鳥肉(鳥刺し)を食べていなければこんなことにはならなかったのになぁ〜、と思いながらも、なんとなく三島由紀夫の祟りではないか、とも思い始めていました。

そんなこと証明することはできないし、私の勝手な妄想なのですけれど、それでも三島由紀夫が好んで行っていた"末げん"というお店をたまたま訪れることになったということと、一週間以上、激しい腹痛が続き、痛み止めなしには眠れないほどの激痛と闘うことになって、しばらく意識がもうろうとして生きているのか何がしているのかよく分からないような状態で、三島由紀夫の痛みや苦しみを無理矢理にでも体感させられているような感覚でした。

それからというもの、たまに三島由情報があたに私の頭の中に入ってきて、何やらメッセージを伝えたい様子で、今このときも、このような文章を書かされています。

私はよく「あなたは人柱だね」とか「巫女体質ですね」とか言われることもあるのですけれど、特にそういったことをやりたいと思ったこともないし、希望した訳でもないのですが、天から何かが私という存在を見つけてくれて、この肉体を通して何か伝えたいというのであれば、私はただそれを受け入れてやるしか選択肢はありません。

長い文章となりましたが、これを読んでいる方も、今までもこれからも、きっと何か、天から使命を与えられて任せられるお役目があることでしょうから、ぜひ激動のこの時代を共に乗り越えて、心から望む素晴らしい景色をこの時代にこの目で見て確かめてから旅立つことにしましょう。

2020/06/21 月読尊情報場から🌕

〈三島由紀夫と憲法改正論〉

三島は日本国憲法第9条を、「国際連合主義の仮面をかぶつた米国のアジア軍事戦略体制への組み入れを正当化し、一方では非武装平和主義の仮面の下に浸透した左翼革命勢力の抵抗の基盤をなした」ものとして唾棄し、この条文が「敗戦国日本の戦勝国への詫証文」であり、「国家としての存立を危ふくする立場に自らを置くもの」であると断じている。


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