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良い意味のモヤシご飯。

私の好きな人は何故か変わっている人が多い。

よく、他人に対して
「変わってるね!あ、良い意味でだよ!」とか、
みんなよくいうけれど
私は好きな人に対して、
良い意味でとかの感情はない。
ひたすらに変わっているのだ。
私の好きな人は、よく私に
「変わってるよね!」というが、
私からみたら、彼女らの方が私以上に変わっていて面白い。

変わっているところを全部メモにしておきたいのかだが、
メモを持ち歩いていないことに反省である。

私は数年間地方に住んでいたのだが、
突然、前日に都会にすむ友人から、
「明日空いてる?今晩夜行で向かうわ~」って
本当に早朝に来て私が迎えに行くまで
のんびりAPAホテルの温泉に使ってる友人。
そしていつ帰るかもしらない。
そして私もはじめの2日間は気を遣ったが、
その後は気を遣っていない。
いてもいなくても変わらないのだ。良い意味で。
一度、私にご飯を作ってくれたのだが、
金欠なのかモヤシを沢山つかってくれた。
机いっぱいにモヤシ料理がおかれていた。
なんならモヤシを食べた記憶しかない。
それくらいの気遣いが本当に好きで、
良いものをご馳走されると困ってしまうから、っていう気遣いをしてくれて、
いいものをご馳走すると、沢山返してくれちゃうからって気遣いが素敵すぎて。
なによりモヤシの野菜炒めが本当に美味しかったし、幸せだった。
モヤシって栄養染め少ないし、味もしないし、安いし、もてなすときにあまり使わないけど、この日はモヤシは主役になってたと思う。
良い意味の、モヤシ。

良い意味で。って言葉はとてつもなく便利である。
もちろん私も、良い意味で、「良い意味で。」という言葉を使う。
でも、他者からみたらマイナスなことも自分等にとってはプラスであることに良い意味で、と使えるのは便利である。

モヤシは栄養価がないとか言われるけれども
持ち帰り餃子の下に敷かれるのは
キャベツでなくモヤシが良い、と思う私は
良い意味のモヤシ好きなんだと思う。
あのしなしなになったモヤシに餃子のたれとラー油の固形物をのせて食べると格別に美味しい。

モヤシ生活。良い意味で。

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