人ん家のカレー
カレーは日本では家庭の料理の象徴のように謳われ、母の味とも言われる
当然母親がいなかったり外国人だったりで、母の味が揃いに揃ってそれではない場合もあるんだけれど。
そしてカレーを食べてみて、面白いのが
友達の家に遊びに行きカレーを食べると、
ああ君の家のカレーの定義はこうなんだな
と毎度思わされる
味付けだけじゃなく肉野菜の切り方大きさ
そもそものカレーの中に入れる具のスタメンが違ったり
わざわざスタメンというからには一個のスポーツチームを見るような目でカレーを観戦することもできる
なるほどこんな野菜も入れるのか君の家は。
ウチじゃありえないけど、これもうまいね。
うちはジャガイモを入れると日持ちしなくなると母に教わっているので、入れない主義。
カレーにも各家庭にさまざまな定義があることを知って以来、わたしはひとりで外食をする時いつもカレーを頼みがち。
立ち食い蕎麦屋のカレーがうまい。
とんこつラーメン屋のカレーがうまい。
和食チェーンは五穀米のカレーを出すので味わい深い。
桜木町駅前の立ち食い蕎麦『雷神』の出すカレーは誰に対しても優しくて、すごく好きだ。
ただのカレーに違いを感じながら食べて回るのがすごく好き。
私の両親が大学生だった頃は、スペイン料理店で父がバイトしてて、そこからか頻繁に母と父はデートの時、スペイン料理店てきな場所でごはんをたべる機会が多かったそう。
母はパエリアとかそっち寄りの料理をなんなく作ってくれるし、
香りの強いアジアンな味付けも得意だった。
ウチはわりかし本格派っぽい辛くて香ばしいカレー。
それが結果となってか、辛党になってしまった。辛けりゃなんでもウマい。
実際家のカレーが辛味の強いものなのは知っていたので、小学生の頃友人が遊びにきて一緒にうちのカレーを食べた時、小学生ながらに心配だった。
しかしながら、先日そのエスニック大得意な母が入院。
そんな父と私を気遣ってご飯を持ってきてくれたのが、”のりちゃん”っていうおばちゃん。
この人は父の仕事仲間の奥さん、なんなら母が同じ会社でテレアポをしていた時も女同士で同僚だった人。
その2人の息子はわりかし喧嘩っ早いタイプながら自分とも仲が良く、2家族総出で旅行に行ったりした仲。
そんな、のりちゃんがカレーを持ってきてくれた。
なんなら母の両親が訪問してきた時より行動が早かったぞ。
自分にも突然キッチンに立ってメシ作る余裕なかったし、かなりありがたかった。
味が口に合わなかったりとか、そういうのがあろうともはや気にならん。
のつもりで食べてみたんだが、
やけにうちのカレーを食ってるような気分。
スパイスの調合もかなり近いし、具材もほぼ近いシンプルなやつ。
ハァなるほど、
そりゃ家族ぐるみで今でも仲良いわけだ。
メシのテイストが一緒ならそりゃ最高の友人だ。
一緒にどこに食べに行くにも、すれ違うことなくみんなで美味しく食べられる。
なるほどな今でも恋愛テクとして
「好きな男の胃袋を掴め」っていうんだな
家のカレーの共通性というものは、
親和性をも形容するわけか。
あまりに親和性の高いカレー、
それはそれは母の急な入院で精神不安定腹っぺりな私は、母のカレーにかなり近いものを美味しく頂いた。
皿舐めようかとも思ったほどにウマかった。
もちろんメシの癖だけで親和性は測れない
宗教観念、生まれた境遇、好きなテレビなどで無数に区別できる
しかし生きるため重要要素な”食”は、
相当に人と人との友好な関係を繋いでいるものだと認識した。
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