見出し画像

神とは?

ご機嫌いかがでしょうか?
ちょっとプチ哲学(神学)します。
古今東西の哲学者や宗教家がずっと考え,議論してきたけど、結局は証明できなかった難題。
そう。「神とは!」です。

「神は存在するか?」です。

3つの神に関する概念 ⤵︎
●神とは至高の知性・宇宙の叡智・・・全存在の第一原理です。
●神とは宇宙の法則であり、宇宙に偏在する全てである。
●神とは宇宙の創造主であり、無始無終で永遠の完全なるもの。

宇宙創造主の神が存在しなければ、私という存在も、地球も存在しません。反対に、私が存在して、神のことを思考している私がいるからこそ、神は存在しているとも言えます。

では、神はどこにいるのでしょうか?
私は神は私たちの内に存在していると思います。人間は、外にばかり神を探そうとして、見つからなかったのではないでしょうか?

でも、神はほんとうに存在するのかという絶望をこの三次元世界で生きていると感じることもありますね。
神が全知全能で完璧な存在なら、この世界(そのなかでも地球)も完璧なはずです。
悲惨な戦争も犯罪者も、悪人も悪事も欠陥も一切ない,完全無欠な存在や物事のみしか存在しないはずです。
しかし、この現実世界は、矛盾と欠陥そして”悪”に、充ち満ちています。欠陥ばかりです。
なぜでしょうね?
神は存在しないのでしょうか?少なくともこの地球には?

ボクは、この世界は欠けているところがあるからこそ、素晴らしい、完全なる存在の尊さ、ありがたさが分かると思うのです。だからこそ、神に感謝できるのだと思います。
満月も、半月も、三日月も、見え方が違うだけで、光の部分と闇の部分をひとつに統合すれば、同じ完全なる月です。

欠けていること自体が、ほんとうは神のこの三次元世界へ見えている姿ではないでしょうか?

自分に欠けているところがあると自覚すれば、欠けているところを補いあう、学び合うパートナーを求めます。
二つで一つになれます。一人では完全=神にはなれないことに気づき、いっしょに協力しよう,
助け合おうというポジティブな想念も産まれます。
平和になります。分裂していく争いではなく。

ボクのPCのMacにはかじって欠けているリンゴのマークがついています。
ボクは、かじって欠いたリンゴだからマックが好きです。

ハンディキャップを抱えておられる方の生き様から、そうでない者が、逆に人間のもつ素晴らしさを学べる,逆に助けられていると感じるのも、そういうことかと思います。

そもそも、悪とは人間が物事を認識判断するひとつの概念に過ぎないとすれば、神とは、”善”も”悪”もない、そのような二元性(二極性)意識の次元を超越し、”善悪の彼岸”にあるすべてがひとつになった存在なのかもしれまえん。

では、神は、ひとつでしょうか?たくさんいるのでしょうか?
神様がたくさんいるのなら、ヒエラルキー(階層)があるのでしょうか?人間の階級社会(ピラミッド型組織)みたいで嫌ですね。

いろいろな疑問が沸いてきますね。

一つしか神がいないという宗教(一神教)はお互いに争います。同じ宗教の中ですら,何とか派とかで争っています。神は一つ主張しているのに、その神を信じている人間の社会は分裂してたくさんになっています。なんか変ですね。

その点、八百万の神という、多神教の日本はどうなんでしょう?神様がたくさんいるのは、神そのものが多様な存在(化身)として顕われる存在であるとうことでしょうか?


神さまの現れ方(見え方)はいろんな形をとるのかもしれません。「一即多 多即一」が神理なら、いろいろあってもいいってことです。

このような日本が先導して、多様な価値観や存在を認め合いつつ、分離と競争(戦争)の三次元地球を卒業して、愛と光に溢れた平和な五次元地球に進学(シフト)していきたいと心から願います。

(執筆・文責 能村聡)

いいなと思ったら応援しよう!