見出し画像

人生はゲームなのかそれとも

人間の存在については、さまざまな説があると思うが、
私は、宇宙のエネルギーになるために、魂を強く鍛えているという説が気に入っている。

存在意義など関係ない、と割り切って生きられるほど、鈍感な人間ではなく、
理由がないとなかなか動けないくらいには面倒くさい人間だからだ。

生き方に倫理も道徳も、まあまあ関係なく、
やって来る課題問題に必死に向き合って、
一生を終えられれば、一旦休憩🫖みたいな

言ってみると身も蓋もなく、誰得ですか?な話なんだけど、
よく考えてみたら、損だ得だも、快か不快かに尽きると思えるし、

贅沢できた人が得だとは、本当の意味ではわかんないし、(確かに贅沢できた人は羨ましいが)
人の幸せは、主観によるので、
他人には量れない。

実際に死んでみたらわかるのだろうけど、
その時はもうこの世にはいなくて、
死んでしまったお父さん、教えてよって思うけど、死んだ人とは話せない。
話したとしても、現実かは証明できない。

国語の時間に作者の意図を問われたが、
そんなのわかるわけないのに、辻褄が合う説をでっち上げた。
それでも、それが正解だった。この世の仕組みには、辻褄があるらしい。

それならば、冒頭の、人間がいる理由だって、
辻褄が合うのは、宇宙エネルギーを作るためだ。
私たちは何かに生かされているし、何かに従っているが、微妙にずれてもいる。
私たち人間が人工的にAIを創り出したように、
何かは人間を作ったのかもしれない。

AIの造反シナリオは、人間が何かに造反してきた焼き直しだ。与えられたもので満足出来ずに、
小賢しくも自分が自分の創造主のように振る舞ってきた。

人間の行動にも表と裏がある。裏は人類滅亡を加速する行為だ。

表とはなんだろう。
アンパンマンオチになってしまうのだが、
これは、愛情でしかないのだよ、ワトソンくん。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?