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あの冬のサンタクロース

その日、わたしは暗い気持ちで歩いていた。

JRのある駅から大学に向かう途中だった。

クリスマス直前。冬独特のどんよりした空が地面まで覆いかぶさったかのような陰鬱な月曜の朝。

何もかもがうまくいっていなかった。今思えばうまくいっていなかったのは恋愛だけであったが、恋愛のつまづきが何もかもに影響するくらいわたしは若かった。そして恋愛につまづくハードルは自分の中にあるということを知るのはもっと後であった。

「すみません」

背後から声をかけられて振り返ると、メガネをかけた男性が立っていた。20代後半か、30代前半か。カーキ色のジャンパーにベージュのパンツ姿のその人は手にハガキのようなものを持っていた。

「ここに行きたいのですが、道はこっちで合っていますか?」

母語は日本語ではないんだろうと感じた。

ハガキを見ると、地図が描かれていた。

「道は合っていますよ。ちょうどわたしもその近くまで行きます」

必然、並んで歩くことになった。気まずかったが、5分もかからないことがわかっていたし、明るかったから怖くはなかった。

「ところで、ワタシがなぜあなたに声をかけたかわかりますか?」

おもむろに男性が言った。

ん? なんか怪しい? 警戒しながら、でも失礼のないようにわたしは答えた。

「わかりません」

会話を切り上げたかったけれど、向こうは続けた。

「あなたが、とっても元気なかったからです」

その顔はふざけているふうではなかった。そして、いやらしい感じもなかった。

「後ろから見てわかったんです。気がすごく重たい。だから声かけました」

何かの勧誘だろうか? 警戒心を強めたが、通勤ラッシュは終わったとはいえ東京のど真ん中、人通りはそれなりにあったことが安心材料であった。それで、わたしはつい言ってしまった。

「確かに、元気ないんです。ここのところ疲れていて」

そうでしょう、そうでしょう、というふうにその人は頷いた。そして、言った。

「手を見せて」

これは、当時方々にいた「手相を見ます」と言ってくる人たちか? 警戒心の針が再び動いたが、うっかり手を差し出してしまった。

「手相、悪くないですね。いい手相です」

そう言ってその人は今度はわたしの手のひらのツボを刺激しはじめた。

えっ!? 驚いた。

「このツボ押すと、元気出ます」

……

何も言えずにいると、その人は「ちょっと耳、耳も、いいですか?」と聞いてきた。

もしや主目的は体に触ることだったか!? 今ならそんな人はいないだろうが当時は20代前半の若い女だったからありえた。でも、わたしはそういう下心に比較的敏感であるとの自負もあって、その人の感じはイヤじゃなかった。もし変な気持ちで触られていたとしても、手のひらや耳であれば大したことないと思えた。

それで、耳を差し出したら、耳たぶを摘まれ、ゴリゴリっとしごかれた。

「ここ。ここも揉むと気が巡ります。時々、自分でもやるといいです」

「お詳しいんですね」

そう言うと、その人は「実は、わたし、そこで気功院をやってるんです」と言って、横断歩道を渡った先を指差した。

やっぱり勧誘か。っていうか、道がわからないふりをしたところからして嘘だったのか。止まっていた警戒度の針がマックスに触れた。もし「これから院に来い」と言われたら、さすにそれは断ろう。

ところが、その人は、信号が青になると手を離し、爽やかに笑って去っていった。

「それじゃ、ワタシ、こっちに行きますので。人生には、悪いときも、いいときもあります。元気で、頑張って」

…何だったんだ。解せなかったが、駅を出て歩きはじめたときより気持ちが軽くなっていたのは確かだ。

手相は悪くないって、あの人は言った。

今は底にいるけれど、底を付いたらきっと浮上できる。


時は流れて10年後、トルーマン・カポーティーの短編『あるクリスマス』を読んだわたしは、こんなセリフと出会った。

もちろんサンタクロースはいるのよ。でもひとりきりじゃとても仕事が片づかないから、主は私たちみんなにちょっとずつ仕事をおわけになってらっしゃるのよ。

思い出したのはあの男の人のことだった。あの人はサンタクロースが遣わせたのかも、と。

もちろん、あの人の真の目的はわかりようがなく、下手すれば不快で危険な経験になった可能性はある。でも、それでもわたしはサンタクロースを、いや、サンタ、いや、神さまは、人を遣わせてその存在を現すということを、そのとき納得したのだった。


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