甘えたい人がいればいい。この人なら甘えさせてくれる、そう思わせてくれる人がいれば、それでいい。



皆さま、1日お疲れ様です☺️


唐突ですが…
「好きな人」に求めるものって、
ぶっちゃけこれだけでいいんじゃないかな?
って思ってしまう今日この頃。


オトナになると、
大抵のことは自分でできちゃうんですよね。


できるというか、
何をどうしたらいいか、
だいたい全部わかってるし、
収入もそれなりにあるから、
日常生活においては
自分しかやる人がいなくて、
やらなきゃならない状況に
置かれたらなんだってできちゃう。

そういう意味で、
なんでも、「できる」にはできるんです。

でも、仕事しながら、
自分のお世話だけじゃなくて、
家族皆のお世話もしなきゃならないってなると
1人では、到底身体的にもメンタル的にも
キャパオーバーになっちゃう。

だけど、私のメンタルが崩壊したら、
家族にも迷惑かけちゃうから、
自分がいっぱいいっぱいにならないように。
心に余裕を持って
子どもたちに接することができるように

仕事は仕事で、
プライベートの時間を確保できるよう
調整するし、

家事や育児仕事も
自分の首が回らなくなってしまう前に、
夫や子どもに、
能力に応じて割り振って、
自分に降りかかる負荷の調整を
していくわけです。

頭使う仕事も単純作業も含め、
どんな仕事があるか自分の中で洗い出し
誰ならどこまでできるのか、
家族の行動を観察したり
雑談のなかでどう考えているのか
リサーチしたり、
軽く交渉してみたり。

ケンカにならないように
感じ悪くならないように
明るくさりげなく。

決してへりくだるわけではなく、
押し付けすぎるわけでもなく、
相手が受け取りやすい言い方で、
構えてしまわないよう自然に。
拒絶反応が出ないように、
小さな一歩から、
少しずつ、少しずつお願いしていく。

そして、その仕事が
当たり前になれたら、もう一歩前へ。
当たり前になる前に
後退することも、もちろんあって。
でも、諦めずに交渉、交渉。

夫は、家事仕事に関しては、
言えばだいたいは(できる範囲で)
心よく応じてくれるので
ありがたいばかり。
ただ、言わないとびっくりすることまで
気づいてなかったりするので、
油断できません😇  

子どもは、
基本自分でしなきゃならないなら
そんなのしなくていい
というスタンスなので、
一筋縄では行きません🌀

こういう、家族との交渉ごとって、
結構、気を使うんですよね💦


だから、たまにふと、
メンタル疲れるなーって
なるんだと思うのです。

そうは言っても、
それもこれも、
自分のためだから、
仕方ないんですけど🌀


何も考えず自分を出して
思うままに押し付けてしまうと
ケンカになっちゃう。
そうやって、相手の心の扉が
閉まってしまえば、
互いの妥協点を探そうとすることすら
できなくなってしまうから、
逆に自分の首がしまっちゃいます🥺

そんなこんなで
自分の環境を平穏に保つため、
それなりに頭を使って 
毎日過ごすわけです。


だからなのか、
家の中での自分は、
寛ぐことはできるけど、
ふにゃふにゃになることは
なかなかできないんですよね。

子どもができてから
子どもをちゃんと育てることに
気を張りすぎて
好きな人の前で
気を抜いてふにゃふにゃになって
甘えるなんてことを
すっかり忘れてました🥹

きっともう、
夫の前でそんな風になることはないでしょう。

ふにゃふにゃになるって 
なろうと思ってなれるわけじゃないんですよね。


なんか、
理性じゃなくて
感覚だけを頼りにして
甘えられる、あの感じ。

相手と頭使って何か交渉をしなくても、
自分が困ることにはならないという
安心と信頼。

フィーリングで感じた「好き」に身を任せて、
ふにゃふにゃになって甘えて、
自分の全てを相手に委ねられるあの感覚。

夫とお付き合いしてたころは
めちゃくちゃふにゃふにゃに
なってたんだけどなぁ…

たくさんのことを乗り越える中で
色々な違和感を我慢してやり過ごして、
子どものことを頭使って話し合って
そうやって、感覚主体から、理性主体で
夫に関わるようになってしまったことで、
「好き」という感覚が
なくなっていったのかな
なんて、今では思っています。

夫に「好き」を感じることを
完全に諦めた今、
私が欲しいのはきっと、
異性への「好き」に身を委ねて、
ふにゃふにゃになって甘えられる場所。

そういう異性として人を見る時に
その人が何ができるとか、
どんな趣味とか、知性とか、
顔面とか体型とか、
私が求めるのは、そんな理性で
判断するようなものではなくて、

やり取りする会話の空気感とか
外見に漂う雰囲気とか、
触れ合う時の匂いとか触感とか、
もうとにかく感覚的な部分で
自然と吸い付いていける人。

そんなふうに感覚で共感できる人が、
理性的な部分で安心できる
思考回路を持ち合わせていたならば
私はあっさりふにゃふにゃに
なってしまうのでしょう。

そんなふうに
ふにゃふにゃになって
甘えたいと思える人がいたら、
それだけで、私はとっても幸せ。

そんな人に
心置きなく甘えさせてもらえたなら
もうきっと溶けちゃうほど
幸せなのでしょう。


人に頼られるオトナになってしまった私は
たまには思う存分甘えたい。
ふにゃふにゃなって誰かと甘え合ってみたい。

きっとそんな欲求を
拗らせてしまっているのでしょうね🥹


それは、お金では全然買えないもので。
運とか、巡り合わせとか、
そういう、
自分ではどうにもできない所で、
神様が優しいイタズラをしてくれた時に
出逢えるのかな、なんて。

そんな幸運に巡り会えた時は
欲しがりすぎず、
許される範囲で
堪能できたらいいなぁ…
なんて…

そんなことを思う、本日の私でした😌

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