愛しがいのある人と一緒に過ごしたい。~夫婦の愛のあり方とは〜


花が好きだという時、
あなたはただ花を摘むだろう。

しかしあなたが花を愛していれば、
毎日世話をし、毎日水をやるだろう。

これがわかる者は生きることを知る。


これはブッダの言葉で、

「好き」は自分を満たすこと
「愛」は相手を満たすこと

の例え、だそうです。

これに対して、
本来はこういう感想を
持つべきなのでしょう。

「大切な人を相手にする時、
自分が満たされることばかりを
求めてはいけない。
相手を満たすことに
喜びを見出すことが
自分を幸せにするために
必要なんだ。」


でも、私は単純にそれだけとは
思えないんです。

「愛」は
相手を満たすことだとして、


私はやっぱり、異性なら
「愛しがいのある人」
しか、愛せないな、
と思ってしまうのです。


好きになった相手には、
私は当たり前に
相手を満たしてあげたいと
思うのですが、
相手を満たしてあげようとする
その時に
自分も満たされるなぁ…って
ちゃんと実感できないと、
愛し続けることはできないな、
と思ってしまうのです。


愛を与えた時に
自分も満たされるのって、
相手側が
意識的であろうと
無意識であろうと、
言葉や態度や行動や…
簡単に「これ」と
言い表せなるものではないですけど、
でも確実に、
自分の求めているものを
相手は返してくれている
と思うのです。


花が、
その美しさや、香りなどで
水やりをする者の
心を豊かにするように。

そんなふうに、与える愛の見返りを
相手との自然なやり取りの中で感じられる。
そういう異性でないと
私は愛し続けられない。

今の夫と男女としてうまくいかなかったのは、
そういうことなんじゃないかなと思うのです。

私の心が満たされるような見返りを
感じられないまま
長い年月が経ち過ぎて、
私の夫への愛が枯渇してしまった。


そんな状況になった今、
この先いつかどこかで
誰かと愛のやり取りを
思う存分楽しめる時が
来たらいいなと、
うっすら願ってしまうんです。


…なんて、
こんな思いを吐き出してしまうと


「そうは言っても、
既婚のくせに、
夫以外を求めたって、
結局、子どもや周りを傷つけて
いろんなものを失って
最後に1人になってしまうんじゃない?」

「無い物ねだりなだけじゃない?
今の環境をもっと大切にすべきじゃない?」

なんて、指摘が聞こえてくる
気がします。


でも…


私の人生だもの。
私の人生を幸せにしてあげられるのは
私だけだもの。

だから、わたしは自分の心の声に
素直に耳を傾けるのです。  

何か漠然と満たされないからと
何かを紛らわすために
投げやりに異性を
求めるわけではないのです。


自分らしく、
自然に生きていく人生で巡り合う
数々の出会いの中で、
もし心に愛しいという気持ちが生まれたなら、
その時、自分自身に対して、
その気持ちを隠したり押さえつけたりせずに
生きていたい。

実際にそういう人と
出会うかどうかは
あまり関係なくて。


結果、出会えなくてもいい。
出会ってまた、失ってもいい。
自分の心に嘘をつきたくない。
そう思うのです。


そして、
もし、そうなった時には、
他の全てを蔑ろにして
その異性に没頭するのではなく、
今、私の周りにいる
子どもや仕事、人間関係など、
大切にしたいもの、すべきものと
新しく出会った愛とを、
うまく調和させて
全てを大切にいくために
どうすればいいか、
それぞれとしっかり向き合いながら
会話しながら
考えていくのだと思うのです。

その一歩として私は
夫に自分の心の内をはっきり告げたのです。


「あなたをもう好きではない」
「心は自由でいたい」
「だから、あなたも自由でいい」
「あなたが離婚したいと言えば
離婚してもいい」

私は、夫の心を欺くつもりはないですし、
自分だけ都合のいいようにしたいと
思っているわけではないのです。

私にとって夫は、
永遠に縁が切れることのない
「家族」という名の仲間。
共に子どもを守り、育てていく人。
そういう距離感なんだなって、
そんなふうに心の整理を付けてから
もう何年も経ちました。
だから、その考えは
もう揺るがないだろうと
私は思っているのです。

だからこそ、男女としては
もう夫に縛られたくない。
私がそういう思いを抱いていることは
夫への裏切りではありません。
夫と関わりを積み重ねの中で
自然と生まれてきたものなのです。

実際にそういう人がいるのか、
まだいないのかなどということは、
関係ないのです。
だから、この先も含めて
夫に伝えるつもりはありません。

大切なのは
すでに私の心は夫の元から
去ってしまったと自覚してもらい、
そこから夫がどうするのか、
それは夫自身の問題として
自分で考えてもらうよう
バトンを渡すことでした。

夫自身が
私に愛されたいと本気で願い続けていたなら、


何年も前、
私が夫を好きではないと
最初に伝えた時点で、
もしくはそんな予感がした時点で
もっと私の心が悦ぶ愛し方を考えるべき
だったのです。

結婚したからといって
自動的に心まで囲われるものではないと
私は思っています。


他の誰かに行って欲しくないなら、
甘えないでもっと本気でちゃんと私を見て、
私が、夫と一緒にいたいとか、
一緒にいる時間が癒されるとか
そう思えるように、もっと
試行錯誤してくれればよかったのです。
(もう遅いけれど)

私が育児と仕事とで
すり減ってすり減って
いっぱいいっぱいになって
辛い思いをしている時、
私を癒すチャンスは
いくらでもあったはずなのです。

ただあの頃、夫自身も何かと
大変だったとは思います。
人は未熟なものだということも
わかります。
余裕がなければ
周りに目を向けることなどできません。
それは私も同じで、
私が至らなかった部分も
たくさんあると自覚もしています。

だから、夫自身が
私の心を支えきれなかったことや
私と一緒になって
しっかりと子どもと心で向き合い、
子育ての時間において、
充実感や幸福感を
一緒に感じきれなかったことに
恨みはないです。

ただ私自身も
夫を愛せなくなったことに
罪悪感を全く抱いていないですし、
夫をもう一度
愛さなければならないなんて
義務感を持つこともありません。

全ては、仕方ないこと。
起きるべくして
起きたこと。

あとは、
それぞれの心の内をよく観察して、
互いの心ができること、
できないことを整理して、
互いの心が
これからどこを向いて 
いったらいいのか考えていく。
そうするより他ないのです。

でも、本当に夫はなにもかも
はっきり伝えないと気づかない人で。
自分のことに関しても
他人のことに関しても、
とにかく心の中のことは
あまり目を向けない人なのでしょうね。

だからこのままでは、
たとえ親密な心のやり取りは 
皆無の日々でも、
家族としてそれなりに
温かな空気感を抱いた会話を交わし、
穏やかな毎日が過ぎていけば、
私の気持ちはまだ自分に向いていると
勘違いしたまま、
子どもが完全に独立して
2人で生きていかなければならなくなる
Xデーを迎えてしまう。

ある時、私はそういう危機感を覚えました。

もう行動に移さなければならない。
夫にも夫自身で考える時間、
準備する時間を用意してあげなければならない。

そう思い、
意を決して、
私の心はすでに夫のところに
ないことを伝えたのです。

それを知り、夫がそれでもなお
私に食い下がるのか、

他の女性と出会う可能性に目を向けるか、

それとも、もう男女の愛には関わらずに
生きていくことにするのか。


それは、
私自身の心に他の誰かがいたとしても
いなかったとしても関係なしに、
夫の心の中で解決すべきことなのです。

私は、今となっては、
永遠の愛を誓う、
なんてことは
無意味だと思っています。

その時その時、瞬間瞬間で
意識的にでも、無意識でも
大切な相手と愛を与え合う。
そして、満ち足りていることを
実感し合う。
毎日毎日その積み重ねでしかないんです。

様々な環境の変化にさらされても、
日々それを積み重ねていく。

命の終わりが見えるその時まで、
そういう愛のやり取りを
続けていられた時に初めて、
私たちの愛は永遠だ、
きっとこの命がなくなってもきっと
想いは続いてくだろうと、
実感するのだと思います。

永遠の愛は
結果論でしかなくて、
覚悟だけでどうにかできるものでは
ないと思うのです。

互いに努力したって
維持できないものは
維持できない。
それが、相性というものだと
思うのです。

結婚して、
毎日密接に関わった上で
互いの心が合わないなと
わかったのに、

結婚という約束を交わしたからといって、
男女として、
心通う者同士の間でのみ
発生する濃密な幸福感に満ちた人間関係を
その合わない2人の間で
もう一度生み出そうと執着するのは
意味がないと思うのです。

約束したからといって
互いの努力では
どうにもならないこともあるのだと、
私は、長年の経験則から
気づいてしまいました。

お互いに無理なんてしなくていい。

家族という縁で繋がれた者同士、
穏やかな気持ちで尊重し合い
助け合える距離感を
見つければいいんです。

そして、
男女として愛し合って
得られる幸福感を求めるのなら、
それを受け入れ合える
相手探しの旅をしに
別々に出て行きましょう。

家族として、
夫が望むなら、
暮らしやすい環境を整える
サポートはこれまで通りできます。
困った時は助けます。
家族の形を残してもいいし、
別々でもいい。

私と夫が互いに尊重し合い、
子どもたちの環境を
変えずにいられるなら、
あとは私たち夫婦が
どんな関係性であっても、
子どもたちは、
対して気にも留めないと思うのです。
「別にどっちでもいいよー」
位のことでしょう。
だから、心配はありません。

そんなふうに
私と夫、2人のこれからを
考えていければ
いいなぁと思うのです。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?