継がれていってできていく
昨日は表千家同門会福岡県支部の総会と一般講習会があって、福岡国際会議場へ。
朝から着物を着て博多までということで、まぁお茶会でもないし、資格者じゃなく一般講習会だし、適当な着物でいいかなと思って行って、他の人たちの着物を見て、やっぱりもうちょっとちゃんとした着物にすれば良かったと後悔した。
毎回そんなことを思ってる気がする。
先生たちと会場の席を確保して、先に呈茶席へ。
お軸は「和敬清寂」が掛けられていて、お花は紫陽花とホタルブクロとシマアシが生けられてた。
青梅のお菓子はとっても上品な味でおいしかった。
おいしいお抹茶とお菓子で一息ついたところで、午前中は総会。
事業とか決算とか一通り報告があって、閉会した後に講話がある。
今回はお家元から伊藤義夫宗匠が来て、「了々斎の話」をされた。
了々斎は久田家から養子に入った九代家元。
江戸時代、文化文政期の人だそう。
そんなことを言われてもよくわからないと思うかもしれないけど、時代背景を知ることは大事だと言われていた。
お茶は独立の文化ではない。
時代の中で、そこに生きた人が行い、継がれていってできていく。
社会につれ変化していくもの。
だから、その人が生きたのがどういう時代だったのかを知ることは大事なんだというお話だった。
お茶という文化が何百年と続いているのは、変わらずに継がれていくもの、時代とともに変わっていくものがあってこそなんだろう。
自分がやっているお茶が、そうやって継がれてきて、この先に継がれていくものの1コマなんだなぁと思うと感慨深い。
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