紙以外に好きなもの-私のラジオ遍歴-
最近、紙以外に何が好きなのかなあ、なんて考えていて、ふと思い浮かんだのがラジオでした。
ラジオって言ってしまうとちょっと大きく出すぎていて、正確にはFMラジオが好きなんです。しかも年代によって聴く番組(局)が変わってはいますが、大体1時代につき1番組(局)しか聴かないので、ラジオ好きというにはおこがましい感じがします。
とはいえ、好きという感情に間違いはない、はず。
なんとなく今までのラジオ遍歴を備忘録的に書きたくなったので、衝動のまま筆を進めてみます。(DJの名前は敬称略)
小学生-やまだひさしのラジアンリミテッド
初めてラジオを聴いたのは、小学生のときでした。
当時通っていた塾で、テストで良い点を取ったらポイントがたまって、そのポイントを商品と交換できるというシステムがあったんですよ。
そこでラジオ付きの双眼鏡(時代を感じる!)と交換して、寝る前に聴き始めたのがきっかけでした。
そのとき聴いていたのが、「やまだひさしのラジアンリミテッド」。
地元、滋賀のFM局・e-radioがネットしてくれていて、東京の番組ですが聴けていました。
やまだひさしの軽妙なトークがめっちゃ面白くて、ハマってたなあ。
もう25年前くらいの話なのに、未だにコーナーとか覚えてます。
鉄拳クイズっていうリスナーがクイズに答えるコーナーがあって、答える前に「アチョー!」って言わなきゃいけない、とか。
調べてみたら、ラジアンリミテッドは番組名が少しずつ変化しつつも、まだ続いていました。すごい…!!
Wikipediaを見て気づきましたが、私は番組初期のリスナーだったようです。そうなんだ、幼い私は昔からある番組を聴いていると思っていたよ。
双眼鏡が壊れてしまったのか、いつの間にか聴かなくなってしまったけれど、私の原点ともいえるラジオです。
高校生-SCHOOL OF LOCK!
時は流れて高校生。BUMP OF CHICKENのファンだった(今もですが)私は、BUMPがラジオで喋るというので再びラジオ生活を始めました。
「SCHOOL OF LOCK!」というラジオの中の学校という設定の番組で、BUMPは科学の先生として登場してました。週1で30分くらいのコーナーだったと思う。
ファンの間では有名な藤くんの「心の鍵」の話もリアルタイムで聴いていた覚えがあります。
絶賛思春期中の私にはめちゃくちゃ心に刺さった記憶。
このときは主にBUMPの話と曲を目当てにはしていましたが、メインパーソナリティーのやましげ校長(山崎樹範)とやしろ教頭(マンボウやしろ)も好きでした。
BUMPの番組卒業とほぼ同時期に、私も高校を卒業。すると、番組の青臭さ(それが特徴であり良さなのですが)に急についていけなくなってしまい、自然と離れていきました。
この番組もまだ続いているようです。今も中高校生がラジオを聴いているってことですよね。素敵!
ちなみに、ラジオを聴くための機器は、双眼鏡からCDコンポに進化。
大学生~現在-FM802
続いて大学生。大阪の大学に入学し、2回生になると同時に念願の一人暮らしを始めました。
冷蔵庫や洗濯機、ベッドなどは一通り両親に揃えてもらいましたが、テレビはなし。なんでだったんだろうな、要らないって自分で言ったのかな?
詳しくは覚えていないのですが、そこからしばらくテレビなし生活を送ってました。
でもやっぱり何か音がないと寂しいときってあるじゃないですか。そこで活躍したのがラジオです。
当時、写真部に所属しており、部室でFM802がずっとかかっていたので、それ聴けばいいやと思って、家でも聴き始めました。
巷では802ステッカーが流行っていたような。車に貼っている人もいたりして、大阪のラジオと言えば802、って感じでした。
その頃の機器はまだCDコンポ(ただし二代目)。目覚まし代わりにもしていて、ヒロT(※)の声を聴きながら起きていたものでした。
好きなDJは、これは今もなんですけど、中島ヒロト!
ラジオはあくまでBGM。なにか作業するときに流し聴きしたいタイプなので、中身はないけど面白い話をしてくれるDJが好きなんです(褒めてますよ、褒めてます!)。
HAPPY FUN RADIOの最終回も聴いてました。最後にかけた曲がbonobosの「THANK YOU FOR THE MUSIC」だったこと、とても印象に残っています。
ふと気づいたんですが、中島ヒロトとやまだひさしは感じが似ている気がしますね…。肩の力が抜けた、いい意味で適当なおじさんが好きなのか。そういえば奥田民生も好きでした。
就職してからは営業で運転するように。移動のお供はやっぱり802!
秦基博もSuperflyも米津玄師も、全部802のヘビーローテーションで知りました。
ちなみに昨年流行した、きつねダンスの曲も802のヘビロテだったらしい…え、全然覚えてないですけど!?記憶力よわよわ…。
そして現在。
ラジオはほぼ運転中しか聴いていませんが、緊急事態宣言の頃は家でもたまに聴いていました。
ついに機器を用意する必要はなくなり、radikoで聴ける時代に。
この25年の間に、双眼鏡→コンポ→radikoと目覚ましい進化を遂げてますね。なんとなくラジオってあまり変わらないもののように感じていましたけれど、変わっていないようでいて、着実に変わっていると気づきました。
触れるためのカタチは変わっても、変わらず良い音楽と楽しいお話を届けてくれること、ラジオに関わる全ての方に感謝です。
さいごに
と、ここまで書いて読み返すと、とんでもなく自己満足な内容(笑)。
ラジオを聴かない方、聴いていても関西在住ではない方にはなんのこっちゃって感じだと思います。
それでも最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
もしも全ての内容を理解できた方がいらっしゃいましたら、同志です。握手しましょう。
紙とラジオ、それにフィルム写真も好きなので、私はどちらかというとアナログ感のあるものを好むのかもしれません。
紙もラジオもフィルム写真もなくならないと信じていますし、これからも愛でていこうと思います。