志賀廣太郎さんのこと、思い出したこと

4月30日、仕事していてふと携帯に表示されたニュースを見て、しばらく動けなくなった。志賀廣太郎さんが亡くなった。71歳だったのか。劇場で見ていた頃の志賀さんは声がとにかく若くて、老けて見えるというだけでもっと若い印象だった。

物凄い大ファンだったという訳でもないはずだったし、時々テレビで見かけると「志賀さんだ!頑張ってるなあ」と思うくらいだったはずなのに、その後ずっとずっと引っかかっている。

志賀さんが出演されていた舞台を初めて見たのはなんだっただろうと、調べてみる。

1999年1月、弘前 スタジオデネガで上演された弘前劇場「打合せ」。(青年団から数名が客演していた)そのタイトルを見て、一気に何もかもが蘇ってきた。私が初めて見た弘前劇場の舞台だった。初めて一人で、電車に乗って、弘前まで観劇に行ったのだった。そしてそれは間違いなく、わたしの人生を変えた舞台だった。

よく響く志賀さんの低音、ゆっくりとした喋り。福士賢治さんの甲高い訛り。畑澤聖悟さんの叫ぶような喋り。日常会話そのままを録音したような台詞、極限までドラマティックを排除された台詞の中でちゃんとドラマが作られている。光を放つ、力のある役者でなければ退屈してしまうような静かな、静かな舞台。静かだからこそ役者のオーラがすごい。誰かが息を吸う音も、吐く音も聞こえる。舞台が輝いている。凄すぎる。目が離せない。台詞は今まで読んで来たいろんな劇作家のどれとも全く違う。全く違うのだ。美しくていつまでも見ていたい、聞いていたいと思う。ゆっくりと暗転して舞台が空になり、興奮して劇場を飛び出した。

今でも覚えている。劇場から駅までの真っ暗な道で、膝まであるふかふかの雪を制服の紺色のスカートとブーツで蹴散らしながら、世間知らずの高校生の私は衝撃で真っ白になっていた。

その後、演劇をやりたくて無理やり上京して早稲田大学に入学し、下北沢のスズナリや駒場アゴラ劇場でお見かけしたり、打ち上げに混ざってこっそりその低音ボイスを聞いていたりしたけど、社会人になって、劇場と離れてしまって、すっかり志賀さんのことも青年団のことも、弘前劇場のことも気にしないでいた。あんまり何もかも好きすぎたから、忘れようと思って離れたような気もする。もう15年以上前の話だ。

今年また早稲田ビジネススクール(社会人MBA)に入学したことで、ポツポツ、封印したはずの学生の頃のことを思い出したりしていたところだった。演劇のことだけ考えて早稲田に入ってなかったら、ヘンテコな友達にも出会わなかったし、今の会社や旦那さんとも出会わなかったし、少なくとも青春の景色はまったく違ってた。

天国の志賀さん。間違いなく、あの日あの舞台を見て、私の人生が転がり始めました。劇薬のような舞台を、台詞の一つ一つを、ありがとうございます。

劇場でしか売られていない「打合せ」の脚本を、大学時代「演劇博物館」で見つけて興奮したのを覚えている。まだあるのだろうか。

志賀さんのたくさんのファンの、端っこの端っこくらいの私の、とても個人的なファンレターでした。

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