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私の答え:<セカイムラ>は大人の小学校

<セカイムラ>というコミュニティづくりをしている<さとうみつろう>さんにお話を伺った。来年5月に発刊予定の「暮らしの発酵通信」に掲載予定。
みつろうさんがインタビューを受けてくださった感想↓↓

うん、ホント、こんな感じ(苦笑)。「これ、まとめられる?大丈夫?」と心配されてしまう始末。ライターの端くれ、情けないね。

これまで色んな方に取材して、表現の差は有れど、みなさんの中の芯とか、核とか、軸とかを私なりに感じてきた。それを表現してきた。

みつろうさんに話を聞きながら「この人の核はなんなんだろう?セカイムラの軸ってなんなんだろう?」と探りながらお話を伺っていたんだけれど、なかなか自分の中でピンとこない。

みつろうさんは終始、「こだわりがない」「みんながやりたいようにやればいい」という。軸をつかめそうでつかめない。
<暖簾に腕押し>状態。(ただの、私の「聞く力」不足なんだけどね。)

<セカイムラ>の村民に登録しているメンバーの方々にお話を伺って、やっと得られた<セカイムラ>の表現のひとつ。

”自分が自分でいられる場所”

なのかなと。

「宇宙が好き。でも、そんな話を職場でしても引かれてしまう。でもここのメンバーは受け入れてくれる。」
「後期高齢者だけど、高齢者に何か自分ができることはないか?と考えている。与命(よめい:与えられた命)を有意義に生きるための仲間がいる。」
「人とくっつきすぎると心が逆に壊れがち。この場所(セカイムラ)は来ても来なくてもよくて縛りがない。いつ来ても心地がいい。」
「家族が大変な状態だったことをここの仲間にはさらけ出せた。それによって、家族も元気になった。感謝です。」

セカイムラメンバーの方々


一般的に、大人になってから出会う人、名刺交換から交流が始まる出会いは、「自分の中にある想いや好きなこと」よりも、「どんな肩書で何をやっている人か」という、”自分の外側=見える部分(わかりやすい部分)”からのつながりが多いのかもしれない。

けれど、

セカイムラのみなさんは、このコミュニティに”素の自分でいられる心地よさ”を感じているように見えた。

いわば、セカイムラは、<大人の小学校>。

これが、私の「セカイムラって何ですか?」という質問に対する私の答え。
看護学校だったら看護師さんになる人が多くて、就職しても似たような環境で生きている。でも、小学生の時の友達って、どんな職に就くかわからない。だから、同窓会では色んな環境の多様な話になる。

いや、まてよ。

セカイムラは<大人の寺子屋>

って言った方が近いかもしれない。寺子屋は教科書がなく、好きなことをしていたそう。年齢もバラバラだけど、経験がある人が経験のない人に教えてあげていたのだとか。

でも、そこにみつろうさんは「先生」として君臨しているわけではない。コミュニティの中心に自分を据えてはいない。

みつろうさんは<場をつくる人>

なのかなと、取材を終えて思っていたけど、セカイムラが大人の寺子屋なら、

みつろうさんは<寺をつくる人>?!

この辺も、どうまとめようか、見えていないけれど(笑)、来年の5月に出る記事を楽しみにしていてください。春まで発酵させます。

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