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このnote、長っげぇですわ

眠れない夜は考え事が捗る。言い方を変えれば碌な事を考えない。すぐに「えっ……死にたい……」と鬱を爆発させてしまうのでそんな時は安定剤と眠剤をキメてとっとと睡魔に頼るに限る。

しかしそれでも眠れぬ時、人はどうすればいいのだろうか。……そう、考えを吐き出すのである。
面白いもので自分の気持ちを吐き出すと、不思議と少しは気持ちが軽くなるものである。お陰で最近はメモ帳が混沌を極めている。
何故急にこんなnoteを書き始めたかと問われれば、「そういえば最近更新していなかったな、なんか書くか」と思ったからであり、ふと、「なぜ自分のことをあまり話さないのか」と言われたことを思い出して、私としてはそんなことはないつもりなのだが、そうなのか、と思い、では恥ずかしながら自分語りでもしようかしらと思い立った次第である。ただ、こうして狂った頭で思った事をつらつらと推敲もせず書き連ねているため先に謝罪しておく、このnoteは間違いなく駄文である。それでも読んでくれる方が居るならばどうぞ読み進めてほしい。

小さい頃は自己主張の塊だった。けれど歳を重ねていく毎に次第に周りを見渡せるようになって、どうにもこれじゃダメらしいと気づき、段々とクソガキはなりをひそめ、それなりに和を重んじるNOと言えない日本人になっていった。クソデカ主語である。
今ではクソガキ時代の自分が何を思い行動していたのか、全くもって謎である。なぜ10分の休み時間で外に出て元気に遊べたのか、ザリガニ獲りがなぜそんなに楽しかったのか、親から「女ではない」と言われるほど男勝りだったのか、今となってはわからない。15分のライブで息が上がり、セミファイナルで悲鳴を上げ、「口を開かなければまとも」と、まあ一応見た目だけは一般女性に見えるらしい今と、クソガキ時代とでは大きな隔たりがある。

何故こんな話を急に始めたかと言えば、最近友人や知人に徐々に今こんなことしてるんだよねと口を滑らせ(大抵酒が入っている時、碌な事をしない)遂には仲の良い大学教授にまで知れ渡ってしまい、嬉しいやら恥ずかしいやらの今この頃だ。もし友人知人がこのnoteを見ていたら速やかにブラウザバックしてほしい。私からの一生のお願いだ。
……話が明後日の方向にかっ飛んでしまった。思いつきで文章を書くと大抵脱線する。話を戻そう。
そう、何故こんな話を急に始めたかと言えば、口を滑らせた後に必ずと言っていいほどこう問われるのだ。

「なんで?」

と。
……いや、そうなのだ。大体の友人知人からしたら根暗陰キャのオタクがようやく定職に就いたと思ったら今度は何してんだ? という気持ちだろう。なにせ高校大学と比較的(当社比)普通の陰キャオタクだったからである。楽団に入ったとかならまだ理解できるが……な、何? お前が……ア、アイドル……? な、なんで……? と言った具合だろう。私はネガティブ被害妄想陰キャである。マイナス方向への突っ走りなら他の追随を許さない。


正直に言おう。私も「な、なんで……?」と若干思っている。
私は直ぐに記憶を無くすためあまり覚えていないが、いつものように鬱を拗らせていたように思う。その頃は就活中でお祈りされまくり「私はゴミ……」「自己をPRできるところなんてない……志望動機なんてない……圧倒的に就活に向いてない……」「社会不適合なんだ……」とあらゆるネガティブを加速させており、鬱屈としていた。

そんな折、大抵面接時に突っ込まれる「音大に行ったのに音楽の仕事をしないのか?」という質問にいい加減飽き飽きしていて、「うるせぇじゃあ日本文学学科の人間は全員文豪になんのか? 評論家になんのか? ア"ァ"? 仕事できるほどの実力がなかったから出来ないんじゃボケ! 音楽で仕事できるなら就活なんぞしとらんわ!!」などと数少ない悪口レパートリーをフル活用して心の中で当たりどころのないモヤモヤを発散させていた時、ふと「わたし、音楽がやりたくてクソ高ぇ学費払ってわざわざ大学行ったのに、この先ふつーに全く関係ない仕事して音楽なんてやらずに人生終えるんかな」という考えがよぎった。


思えば小さい頃からピアノを弾いてきて中学高校と吹奏楽、短大でも音楽のサークルに入って、音大に行って……私の人生と音楽は切っても切り離せない関係になりつつあった。ここで音楽とサヨナラして生きていくのはなんだか嫌だなぁと思ったわけである。
何か、したい。その時ふと大好きなアニメの台詞が過ぎった。


「歌は祈命」


よくよく思い返してみれば、私はそこまでクラシックオタクでも、吹奏楽オタクでもなかった。どちらかというと邦楽の方が慣れ親しんできている。幼稚園の頃、大好きなおばあちゃんが好きだった「美空ひばり」。小学生の時分、ねだって初めて買ってもらった「きよしのズンドコ節」の8cmCD。中学生の時、MDで狂うほどリピートした「traveling」、そして熱狂的にハマった「T.M.Revolution」。


……アレッ? もしかして、私、歌の方が好きなのでは? と、その時初めて思った20代無職の冬であった。



そも、何故歌手を志さなかったのかといえば、単に私の顔面コンプレックスにある。


クソガキの時分は両親からも可愛い可愛いと言われおばあちゃんやそのご友人たちなんかにはそれはもう猫可愛がりされてきた。可愛いと言われ慣れ過ぎてこの頃は自己肯定感バカ高ハッピー野郎として育った。
しかし、中学生頃からニキビに悩まされイジメに遭い割と心にクるフラれ方をする等々、思春期でそれまでの自己肯定感は死滅し、顔面コンプレックスを拗らせた。そうして今の私に繋がるクソネガティブの揺るがぬ土台を3年間で見事築き上げ、以降ネガティブ被害妄想陰キャへの道を元気に歩み始めたのである。


まぁ、何が言いたいかと言えば、自分の顔面で矢面に立つなんて烏滸がましいし、絶対に後ろ指を指される。である。まあつまり自信がなかったわけである。
なんだかんだテレビで見る歌手と呼ばれる人々は、皆顔が整っている気がする。楽器だったら基本実力だけど、歌って見た目と実力が伴わなければならないのかもしれない。と今までの私は思っていた。だから、私には無理だと。

しかし、「もしかして歌の方があってんじゃね?」などと一瞬でも思ってしまったら、一度でいいから歌をやってみたくなるもの。早速転職サイトを眺め見る時間の半分を「どうしたら歌の仕事ができるか」を調べることに充てていた。


ここでまず立ちはだかったのが年齢の壁だった。大体が20歳、22歳までである。気付くのが遅かった、挑戦するのも遅かった。割と凹んだ。そして次の壁がオーディションだった。


これまでの人生、私は面接というものを避けれるだけ避けて生きてきた。理由は単純、「んな嫌でダルいことする位なら実力で挑んで落ちた方がマシ」。無駄に潔い。
そう、何を隠そう私は人見知りであがり症でその上引っ込み思案のコミュ障なのだ!
大学時代、同じく編入してきた同級生にその友人を紹介してもらった時、あまりに私なんぞと友達になってもらうなど恐れ多く、そして仲良くしたいけれど嫌われたくない、という思いで中々話しかけられず、結局突然「ねえ暇?」とクソだる絡みLINEを送れるほど仲良くなったのは卒業後であった。人によるがそのくらいATフィールドが分厚い私である。知らない大人の人と時計の秒針の音がやけに響く静かな部屋で緊張感のある受け答えをする、控えめに言って地獄である。それに面接練習というのも鳥肌が立つくらい嫌いなので、テストのみで進路が決まっていく人生であった。


そんな人間が、人前で歌を歌い、さらに面接……
じ、地獄では? い、嫌だ……動画だけ送るからそれで終わりにしてほしい……そんな気持ちだった。



余談であるが、小さい頃から大学までずっと音楽をやってきて、人前で発表する機会があったはずだが、それは平気だったのか? と思う人もいるだろう。答えはノーだ。


ピアノの発表会に至っては嫌過ぎて本番逃げ出した経験すらある。人前でなにかをするということが心の底から嫌いだったわけである。
しかし、1人で人前に立つのが死ぬほど嫌いなのであり、吹奏楽やオーケストラなど大勢で人前に立つ分には楽しかった(しかしソロパートや1人だけ目立つパートがあると死ぬほど帰りたくなるが)し、流石に音大だと人前で演奏する機会が多過ぎて嫌でも慣れざるを得なかった。それでも嫌なものは嫌だが。

この嫌悪感は恐らく自分が嫌いであることと、自分に自信がないことの2つが原因だと自分なりに分析してみたが、まあその話は今は置いておくとして。


そんな感じでオーディションと聞いて身体が拒否反応を起こし、やってみたいでも受けたくないという意味のわからない状態になった。
しかし私には時間がないのも確かであった。1ヶ月近く悩み、唸り、最終的に吹っ切れ「下天のうちをくらぶれば 夢幻の如くなりっていうし! 是非もないよネ!」「当たって砕けろ! ……いや,砕けないで欲しいが」「ええいままよ!!」と何件か応募した。勢いというのは時に必要である。


そうして何故かアイドルに見事受かり「ぜってえ顔面重要じゃん!!!!あとダンス私大っ嫌いなのだが!?」と叫びながらも足を踏み入れ、後は皆様の知る通りである。



いや、人生何が起きるかわかりませんね。私はつくづくそう思うわけであります。この前10年前のクソガキの自分から届いた手紙には「ピアニストになっていますか?」という希望に満ち溢れていた頃の純粋な問いかけが書かれておりました。10年前の私へ、まさかこんな大人になるなんて思っていなかっただろうさ。いいか? 目を逸らすな。これが10年後のお前だ。

もうなんの話をしていたか忘れてしまったよ。やはり夜中に狂った頭で文書くと碌なこと書かないな。


まぁ、なんだかんだ色々あって、それでも今こうして1人になっても続けているのは音楽が好きな気持ちと、昔からお世話になっているから、恩返しがしたいという気持ちがあるからだと思う。あとは、「まだ何も残せていない」という気持ち。そして、バシュリミの頃からのお客さまに対する申し訳なさとそれでも応援してくださっている方々への感謝。
わたし、こんなクソみたいな人生で唯一心から良かったなって、誇れることは人に恵まれてること。それは友人や恩師や同僚や……今佐藤を支えてくださっている方々。
それだけで、私はあの時辞めなくて良かったなって思うし,これからもっと頑張って、もっと上手くなって、もっと人の心に響くようなものを伝えられて、もっと大きくなって、今支えてくださってる皆様にたくさんもらったものを、少しでも返せるようになれればいいなって、そう思うんです。


それだけ。



サポートしてくださると佐藤が泣き咽びながら喜びの舞を踊ります。