サトウヒロコ

色々こじらせてるけどカメラマン。自分はまともな気でいる。意外と記念撮影系。特に振袖を始…

サトウヒロコ

色々こじらせてるけどカメラマン。自分はまともな気でいる。意外と記念撮影系。特に振袖を始めとする和服に特化しているが、人なら喜んでなんでも撮る。よろ。ご依頼はこちらへ→https://sato-graph.com/

マガジン

  • 写真にあまり関係ない話

    読んだ後に「なんだ、写真関係ないじゃん」ってガッカリする記事のまとめ。

  • 写真の話

    ちゃんと写真の話をしてる記事のまとめ。

最近の記事

墓参りの一部始終をただダラダラと書いたもの

仏花を買う時、毎回「仏花」の読み方が思い出せずに「これ下さい」と言っている気がする。今年は百合が入っている、少し高めの仏花にした。 晴れた海で撮りたい、というお客さんの要望に「じゃあ晴れそうな日に呼んで」と言っており、呼ばれたのが丁度おばの命日であった。 海は鎌倉を予定していて、おばの墓も鎌倉にある。呼ばれたとしか思えない。これで無視したら枕元に立たれそうな気がして、撮影後に墓参りに行くことにした。交通費が浮いたことを考えると、百合の入った仏花くらい買わないと申し訳ない気

    • しゃーない

      私の記憶が確かであれば、フリーのカメラマンとして独立してから5年が経った。計算が間違ってる可能性なら大いにあるが、とはいえ4か6の違いだからどっちでも変わらない。 「誰でも3年は食える、問題はその後」と独立時お世話になった師匠は言っていた。その3年は確実に過ぎたので多少の安心はあるが、何年だろうと潰れる時は潰れるのを知っているので、不安はまだ不安である。 しかも思い返してみれば、5年もやっていればコネだのツテだの増えてても良さそうなものなのに、私ときたら知人が善意で回して

      • α7と私

        あれは何年前だったであろうか。少なくとも私は30代、時代が平成と呼ばれていた頃だったと思う。私は中古でα7というカメラを買った。 私は長いこと「写真は好きでもカメラは嫌い」という複雑な感情を腹に抱えていて、それは主にあのカメラの偉そうなデカさと重さ故であった。育つということに対して意欲のなかった私の手はとても小さく、また握力も皆無で、そんな私の手にフルサイズのデジタル一眼レフカメラはどれもこれも大きく、そして重かった。カメラの必要性は十分分かっていたし、カメラの歴史で考えれ

        • 私と男着物

          生きている以上、誰しも「女だから」「男だから」という言葉に触れたことがあると思うのだが、営業写真業界でもそれは変わらず、むしろ営業写真だからこその「女だから」「男だから」を聞く場面がある。 「男だから写真は撮らなくていい」 「女の子なんだから振袖は着るべき」 「男はカッコ良く」 「女の子は笑わないと」 「男の子なら黒」 「女の子はやっぱりピンク」 新人の頃はそんなもんなんか、と思っていたのだが、真面目に聞いても説得力みたいなものは感じ取れなかったし、「女だから」「男だから

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          私と着物

          着物を撮るのが好きだ。 どうして好きなのだろう。「写真館でずっと撮ってて得意だから」は少し愛に欠ける気がするし、「日本人だから」と遺伝子頼みにするのは思考放棄な気がする。写真館を辞めて独立する時、「これからは着物以外も撮れるぞ」とは思ったが、「着物が撮れなくなってもいい」とは思わなかった。この世に確かなものなどないと思う私でも、この気持ちは確実だと思う。私は、着物を撮るのが好きだ。 写真館に入社した時、私にとって着物は怖いものだった。そもそも人間を撮るのが怖かった私だから

          センスのない私の話。

          写真のセンスがない。 写真を始めて優に10年を超えるのだが、自分にセンスというものを感じたことが一度もない。写真をやらない人達が「私にはセンスがないから」と言う度、「私にもないけどな、ははは」と自虐的な気持ちになる、というのをずっとずっと繰り返している。 色んな写真家の写真を見ては「なんだこれすげえな」と思い、「自分にはこういうセンスがないなぁ」と思う。そんな人間だから「自由に撮れ」と言われると困ってしまう。 写真館に入った頃、「自由に撮っていいよ」と言われた時にはまさ

          センスのない私の話。

          解説と言うほどでもないけど

          私とお客さんが納得したらそれでええわい、と思うタチなのであまり写真の解説はしてこなかったのだが、どのように撮影が進むかを話してみるのもたまにはいいかな、と思ったので書いてみる。今回は春画撮影で撮らせてもらったお客さんの一例。 春画撮影とは、私が企画した撮影会のテーマである。「カメラマンや鑑賞者の為ではなく、被写体の為に性を撮る」という内容だった。撮ろうと思った時の話はこちらから→「苦手な写真を撮った話」 まずは申し込んでくれたお客さんに何かイメージがあるかをメールで聞いて

          解説と言うほどでもないけど

          分からない話

          「宇宙」と「恐竜」が好きなのであるが、詳しいかと言われると全くそうではない。ほぼ分からないと言って良いと思う。では何故好きなのかと言うと、「分からない」故であると思う。 かねてから、私は「分からない」という言葉が苦手であった。 子供の頃、よく周りの大人に「何を考えてるのか分からない」と言われた。表情に乏しい子供であったからだろうと思われる。それはもう家庭訪問、三者面談、親戚の集まりの度に同じことを散々と言われた。私の考えが分からないことが何の悪になるのだろう。親でもない大

          分からない話

          苦手な写真を撮った話

          昔から、性的なものが苦手だった。 個人的に苦手な分にはそういったものから距離を置いておけば良いのであるが、写真に関わっているとそうもいかないことがたまにある。専門学校の授業で延々と性的な写真を見せられたり、先輩から「俺の作品見る?」と言われて性的な写真を見せられたり、写真の雑誌を開けば性的な写真だったり、写真展に誘われて行けば性的な写真だったり。 写真に携わる以上、写真と名のつくものは見んければならぬ、と思ってはいるので、「セクハラすよ」と言う訳にもいかず、一応見るのであ

          苦手な写真を撮った話

          「ありのまま」と「正直」と

          「お客さんに求めることは正直であること」という話をたまにするのだけども、これがどうやら「ありのままを撮りたい」という言葉に受け取られてしまうことがあるらしい。まぁ営業写真業界でよく聞く言葉であるから仕方がないのかもしれないが、この「ありのまま」という言葉を、私は正直あまり好まない。使いにくいと感じてる、という方が正しいかもしれない。 「ありのまま」という言葉を使うことで、妙なフィルターがかかるというか、かえってこねくり回されてしまうことが多々ある。 「ありのまま」ならすっ

          「ありのまま」と「正直」と

          撮りたいもの

          「撮りたいもの」と聞かれた時に「これ」というものを答えると、「ではそれ以外は撮りたくないのですね」ということにされてしまうことが多々あり、それでなくてもHPやSNSに並べた写真から「この人はこういうのを撮る人だから、きっとこれは撮ってくれないだろう」などと聞かれてもないことを勝手に判断されてしまうこともあったりするので、なかなかこの話題は難儀なのだった。ちなみに以前は「着物以外撮りたくない人」と思われていたこともある。ちょっと好きを強調したらこうなるんですよ。 「撮りたくな

          撮りたいもの

          雑雑

          何かこう、頭の中をどうにかせんと、次のものに手がつかん、という有様で、何がどうしたとかそんな具体的なものなどはないのだけども、食べても食べても何にもならん、胃はもたれるけど上からも下からも出せやしない、かといって何も身になってないような気がしていて、とりあえず文字を打ち始めたのだった。 五月病といえば容易いのだけども、冬が終わった途端すぐ初夏がくる、あれ春は?春はどうしたんシフト入ってなかったっけ?え、勝手に夏と交代したん?夏その後どーするん通しで入るん?みたいなあのグダグ

          サトウのご飯の話。

          数週間前、私は悩みに悩んでいた。悩むんだったらやればいいじゃん、と幾度となく人に吐き捨ててきたこの私がだ。そこまで何に悩んでいたかというと、「米を炊くか否か」である。 炊飯器がない訳ではない。電気も通じている。米だって、買えるくらいの金はある。むしろ農家の苦労を考えればふざけた値段だとすら思う。自分で育てようと思ってる訳でもない。 容易いことだ。人類の歴史上、今が最も米を炊くのに労力を要さない時代なのは明らかだ。私は精米する必要もなく、火をおこす必要もなく、米によっては研

          サトウのご飯の話。

          ペラくないもん。

          きっかけは確か、男性に「顔が好き」と言われたことだったような気がする。顔の造作を褒められ、本来ならばキャピっと喜ぶべきところを、さすが私と言う他ないが、「そんなの明日お前が失明したら意味ねえだろうが」と思ったのだった。 仮に相手が失明しなかったとしても、私が失明したらろくに顔の手入れもできなくなるのだし、失明までいかずとも視力が弱ることは十分考えられるし、お互いの視力が保たれたとしても、いずれ外見は形を変える。それは自発的なイメチェン的なものかもしれないし、怪我や病気を負っ

          ペラくないもん。

          写真が苦手な人の実態

          相も変わらず写真が苦手な人を撮っているのだが、ここ数年ずっと思っていることがある。恐らく、いやほぼ確実と言っても良いのではなかろうか。写真が苦手な人は、写真のことが好きだと思う。 最初にそう思ったのは、お客さんから写真に対する感想をもらった時である。メールを開くと、長いのだ。感想文の量が半端ない。写真館勤務時も感想はもらったことはあるが、大体「綺麗に撮ってくれてありがとうございました」くらいで終わるものである。 その上、その感想文の中身が濃い。「語彙力がなくて申し訳ありま

          写真が苦手な人の実態

          今年の目標

          人の人生を勝手に区切ってんなよ、くらいの気持ちでいる人間なので、あまり「今年の目標」というものを立てた事がないのであるが、今年はある。言った方が守る気がするのでここで言っておく。 今年は、というよりも、去年からずっと思ってはいて、でもなんやかんやできていなかったことを今年から改めてちゃんと意識をしたいと思っている。具体的に言うと、言葉の使い方だ。とある2つの言葉をできる限り使いたくないな、と思っている。 まずひとつ目は「普通」という言葉である。 「普通」という言葉を、私