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カムカムエヴリバディ愛してる。

とうとう最終回。

最終回まであと数時間というタイミングで、大急ぎで、カムカムエヴリバディについて書いてます。間に合うかしら。間に合えー。
ええと、推敲してる余裕ないので、思いついたまま書き殴ります。最終回見たらまたなんか書くわ。それいけ。

私たちが見てきたのは朝ドラでありラジオ英会話であるってマジですか?

ジョーがその時代ごとの朝ドラを楽しんでいる姿を見て、そうか今は何年ごろなのね(確か19xx年x月みたいな説明は画面には一度も出なかった気がする)と思っていたけど。
ある朝のジョーが「朝ドラ始まっちゃう」とテレビをつけたところで見慣れた「カムカムエヴリバディ」のタイトルが出た時は「うわああああ」と実際に声を出してしまった。もしかして私たち、ジョーと一緒に、今、この朝ドラを見てるの?今?

そしてまたある時、ひなたがラジオ英会話の講師となり、一緒に番組を担当するウィリアムが、毎朝ナレーションをしている城田優さんで、聴き慣れた「あろんぐたいむあごー」と話し出した時はまた「うわあああああ」と声が出た。私たち、朝ドラを見ているつもりで実は長いこと彼が語る英会話番組を聞いていたの?

…という「私たちが見ている朝ドラは『劇中の朝ドラ』であり『劇中のラジオ英会話』である」という最初からの仕掛けに気がついて、大興奮している最終週です。

歳を重ねるのはすてきなこと

長い髪で顔と自分自身を隠すようにしていた無口なるいは、結婚したらボブにカットして、だんだんと髪は短くショートカットに。
彼女が自分を堂々と出せるようになる・自信を持つのと、髪の長さは反比例していた。

歳を重ねるのは、悪いことじゃない。

前髪を横に流し、額の傷をもう隠さず見せてもいいと思うるいの心の変化。
トミー(と、あの奥様!)が探し出したテープの、若い頃のジョーのトランペットに合わせる、年を経て得た今のジョーのピアノの音。それに被せるトミーのトランペット。そして堂々とるいが歌う。客席から彼らを、美しい着物で見つめるベリー=一子。

ジョーがあのまま順調にレコードデビューしていたら、ありえなかった風景。
彼がトランペットをずっと吹けていたなら…と、みんなが何度も思っただろうし、その傷は残ったままだけど、それでも、懐かしい人々も集まった、クリスマスフェスティバルのあの時間は美しかった。

うん、やっぱり、歳を重ねるのは悪いことじゃない。

勇ちゃんと雪衣さんのこと。安子ちゃんだったアニーのこと。美都里さん。算太。
どうしてあの時…とか、もしもあそこで…とか、後悔することも恨むことも残る傷もあるんだけれど、それでも、歳を重ねれば、薄れたり違う形に変わっていく。

人は間違う。善人と悪人にきっちり分かれているのではなく、ぐらぐらと善と悪の間を揺れる、弱くて間違うただの人がいるだけ。
そう思えるのも、歳を重ねたからこそ。

ありがちな、傷ついている人に「時が解決するよ」みたいに言うの、すごくイヤなんですけど…解決なんかするわけないし、それより今すぐなんとかしてよ、って思っちゃうし。
時は解決なんかしないけど、心の底に沈んだものを、違うかたちに変えていくのは知っている…知っているのは、これも、歳を重ねて、そういうのをいっぱい見てきたから、だな。
おはぎが回転焼になったように、ものごとは変わる。でもあんこの味は変わらない。

ヒロインは歳をとっても恋をしてもしなくてもヒロイン(あなたも私も)

朝ドラヒロインのパターンとして「結婚して子どもが生まれて、その子どもが成長して反抗的になってー」みたいなのがよくあったと思うんですけど、その「結婚そして母としての危機」話、わりとつまんないんですよねえ。なんでかなあ。おもしろく見られたのは、カーネーションくらいな気もする…。主人公が中年になると、なんとなく、娘にヒロイン担当をバトンタッチしてしまうのが当たり前みたいな…。人生の後始末期に入る、みたいな…。

でも、カムカムでは、るいは断じてバトンタッチしない。それどころか、中年と呼ばれる年になっても美しく、きっちりとヒロインとして生きている。英語を学び、歌を歌い、ジョーとともにアメリカに行き…。

歳をとっても、自分の人生のヒロインはもちろん自分だし、いつまでも新しいことをおもしろがって生きていいんだと、彼女の姿に元気をもらえました。

そしてひなた。
ものすごい才能を子どもの頃から発揮とかでなく(朝ドラあるあるな、木に登ったり水に飛び込んだりもしないで)自分の好きなことをただ「やりたい」とコツコツ励んで、結果としてすごいところまで登っている。
朝ドラのヒロインはこうあるべき、というのを軽やかにぶった斬って、いわば「普通の人の普通力」だけで、ヒロインとしてすっくと立っている。
かっこいいぜ。

…「普通力」とは。

こつこつと地味に地道に普通に、何かをやり続けている人たちへの賛歌

毎日、あずきを煮る。
毎日、回転焼を売る。
毎日、ラジオで英会話を聞き続ける。
毎日、朝ドラを見続ける。
毎日、いつ来るかわからない機会に備えて、剣をふるい続ける。

この朝ドラのヒロイン(ヒーロー)は、そういう人たちだった。これが、普通力。

もしかしたら「もっと近道があるのに」「無駄」と笑われてしまうようなことを、ずっと静かに続けている人たちへの、深い愛と敬意を感じる朝ドラだった。
そして、ラジオ英会話や朝ドラ、時代劇などの製作者たちへの愛にも溢れていた。彼らも同じく、こつこつとやり続けている人たち。
暗闇の中でしか見えないものがある、でも光の中でしか見えないものもあるんですよ、と、目立たない彼らにやさしいスポットライトを当てているかのようだった。

みんな普通のことを普通にやり続けてるんだけど、それ、実はけっこう難しいですよね。幼いひなたがラジオ体操やら夏休みの宿題やらで苦しんだように。こつこつ続けるのって、すごくたいへんだ。

だから毎日何かしらこつこつやってたら、もうそれは誇っていいんじゃないの、って、この朝ドラ見てて思いました。学校に行くとか会社に行くとか。歯磨きするとか顔を洗うとかテレビ見るとか。なんでも。ジョーみたいに、家族や周りの誰かを毎日笑顔にしてるだけでも、えらいですよ。なんかすごい偉業を成し遂げないとダメな気がしちゃうけど、そんなことない。普通力があれば、もうあなたも私も朝ドラ的ヒロインでありヒーローと名乗っちゃっていいんじゃないの、って思う。カムカムエヴリバディは、普通な私たちみんなに賛歌を送ってくれている。ほら、タイトルにも「エヴリバディ」ってついてるし。

だから、カムカムエヴリバディ、大好きよ。

あー、いろんなことがピタゴラスイッチのようにかちかちとはまっていく物語の美しさとかも書きたいけど、もう6時間後には本放送!なので、ここまでにします!

とりあえず…きぬちゃんと、たちばなのおはぎ、待ってる!

トミーについて、いっぱい言いたいことあるうううう



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