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学問には感動があることを思い出した話

こんにちは。7月になりました。今年は意外と涼しくてまだ生きていけるなーという感じです。

さて、6月最終週は、妹の高校の恩師といっしょに飲む機会があったのですが(なかなかないシチュエーション笑)、まさかの北海道浦幌町の話で盛り上がりました。うれしかったです。また行きたいな~。

3年ほど前におとずれたときのブログがあるので載せちゃいます。


今週はやっと光がみえたなーという感覚があって、やっと、やっと、論文の筆がすすむようになってきました。

1週間くらい前までは、論文のWordファイルをひらいているのに、何時間も書けなくて、ほんとになにも浮かばないというか、ずっと考えているのに手が動かなくて、つらかったです。

今週、なにが起きたのかというと、考え方が変わりました。変わったというか思い出したというか。

伝えようとしなくていい。目の前にある素材から何が言えそうか。それでいいんだ。それが論文だってこと。

そして、この先この論文がさらされる何ものかなんてどうでもよくて、自分が幸せになるような文章を紡ごうぜって自分にOKだせたこと。


―― 学問には感動がある


ふっと降りてきた言葉で、思い出した感覚です。ちょうど大学受験のときにお世話になった塾の先生に想いを馳せていました。数学のおもしろさを教えてくれたなぁって。

問題を解くまでの過程を大事にしてくれた。わかったー!という喜びに近い感動。学ぶってそういうことだ。驚きをもって別の次元に近づくことができたという感覚。

何かを成し遂げたとか、権威あるところから表彰されたとか、そういうのとは違って、自分の内側から静かにじわあああっと湧きあがる感動。それだよ。それでいいんだ。

伝わる人には届く。無理に大きくみせようとしなくていい。文章が下手くそでもいい。その不十分さがきっと新しい種を生む。それでいい。今の自分の内にある感動を遺せるのなら。

数学の先生はもうこの世にはいないけれど、あのときの感動は今もずっと私のなかに生きつづけています。


おすすめ論文

今週、読んでよかったなと思った論文はこちらです。

濱口恵子(2004):内発的発展論研究における内発性の再検討―主体形成過程を着眼点として,農林業問題研究,40(1),70-75.
https://www.jstage.jst.go.jp/article/arfe1965/40/1/40_1_70/_article/-char/ja/

何回も読んでいる論文なのですが、昨年度、社会教育主事講習をうけたこともあって、新たな読み方ができるようになりました。

内発的発展論についても丁寧に整理されているし、内発的発展の主体形成過程が欠落しているという問題意識から、社会教育のフレームワークをもってきて、鶴見和子の「漂泊者」を取り入れたのがおもしろい。

このフレームワークをいかして、より具体的に主体形成過程を明らかにしていきたいな〜と思いました。

はい。やや専門的な話になってしまいました。


おすすめ本

荒井君、評価されようと思うなよ。人は自分の想像力の範囲内に収まるものしか評価しない。だから、誰かから評価されるというのは、その人の想像力の範囲内に収まることなんだよ。人の想像力を超えていきなさい。

荒井裕樹(2021)『まとまらない言葉を生きる』pp.202


なんというのかな。あまのじゃくになれって言ってるわけじゃなくて、自分が大事にしていること守り抜けよって言っているようです。

「『わかりやすさ』『読みやすさ』『面白さ』を気にしすぎると、自分の大切なものまでヤスリにかけてしまっているような気がしてくる。」と筆者。

そうね。粗けずりでいこう。


来週へ向けて

粗けずり、荒けずり。いよいよ論文の仕上げにとりかかりまして、週内の投稿を目指します。

幸せな自分であれば伝わるものもきっとある。

ではまた来週!


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