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自己肯定感という言葉が嫌いなんだ
自己肯定感という言葉が嫌いなんだ。 なぜなら、肯定してもしなくても自己という存在は在り続けるから。それは自殺する覚悟を決めた人間だけが使っていい言葉だ。
そういうことじゃない、と思って読んでいる人はきっとこんな風に定義しているだろう。
自己肯定感の高さとは、社会にとって自分の必要性の程度である。
多分こうだ。でもね。そんな基準は淀みに浮かぶ泡沫だ。
あなたの特徴づけが社会に依存するなら、初めからあなたは歯車以上の意味を持たないでしょう。全自動うつ病製造機ですよ。 社会からの必要性を考えるのは社会人として重要だが、あなたの精神はあなたのものであって、そこでの価値観の構築を怠って社会にアウトソーシングしているだけだ。
あらゆる事象に価値など内在的でない。魚が釣れたということそれ自体に価値はないが、人間がそれに価値を見出している。
価値を決めるのは人間だ。社会に関する事象は社会で価値を決める。それは日本社会という広いものだったり企業だったり大学だったり色々な主体や関係が価値を決める。
あなたの精神はあなただけが独自に決めれば良い。決めなくても良い。
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