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写真家・濱田紘輔インタビュー「コインランドリーにアメリカ社会の縮図を見た」


名古屋の書店、ON READINGのサイトをチェックしていたら、濱田紘輔という写真家に出会った。今度、ON READINGのギャラリーでアメリカのコインランドリーをテーマにした展示をするという。東京のbook obscuraで彼の巡回展示を見たとき、「この人は絶対、アメリカが好きだ」と思った。同じアメリカ好きのシンパシーとでもいえばいいのだろうか。強烈なアメリカへの羨望が写真には込められていた。
濱田さんは1990年生まれ。わたしと同年代でそこまでアメリカ好きというのはめずらしい。
なにがきっかけで、彼はアメリカに惹きつけられたのか。知りたくなり、話を伺った。

NYでアリ・マルコポロスにバッタリ


――写真をはじめたキッカケはなんだったのでしょうか。

濱田 世代ではないのですが、『relax』などマガジンハウスの雑誌が好きで、あそこに載っているような写真を自分も撮れたらいいな、と漠然と思ってはいました。ただ、学生時代は陸上部で、朝から晩まで練習していて、何か他のことに興味を持つ余裕がなかったですね。
アメリカン・カルチャーへの憧れは、映画の影響も大きかったように思います。ガス・ヴァン・サントやジム・ジャームッシュ、ヴィム・ベンダースなどの映画を観て、内容はそこまで深く理解できなくても、映し出されるアメリカの町並み、風景に衝撃を受けた。以来、アメリカという国に思いを馳せるようになりました。
高校を卒業後、すぐに就職して、休みを使って、インドやネパール、タイなど、旅行していました。当時、デジタルカメラは持っていましたが、そこまで真剣に写真は撮っていませんでした。
ニューヨークの写真集専門店ダッシュウッド・ブックスに寄って、アリ・マルコポロスの写真集を買おうとしたら、ちょうどアリ本人がいて、「それ、僕のだよ」って話かけてくれて。

――すごい偶然ですね。

濱田 当時、アリの顔を知らなかったので、「だれ?」という感じだったんですが、お店の人が「本人だよ」と。「えー!」と驚きました。その時、少しアリと話したのですが、自分にZINEのようなものがあれば、「自分はこんな写真を撮っているんだよ」と自己紹介できるなと思ったんです。
 写真を作品として残そうと強く意識したのはその時からですね。

――20代に入ってから本格的に写真に目覚めたんですか。てっきり10代のときから写真を撮っていたのかと。

濱田 生まれ育ったのが三重県の片田舎だったのでアメリカン・カルチャーの入り口が雑誌や映画などに限られていました。まだそれほどSNSも普及していなかったので、いいアート、映画に出会っても、一緒に語れる仲間がいなかったんです。いま思うと、そのことがフラストレーションとして溜まっていて、写真を撮る原動力になっている気がします。

――当時はデジタルカメラを使っていたのに、なぜフィルムを使うようになったのでしょう。

濱田 今では単純にフィルムの方が綺麗だと思うので使っています。当時、ほとんど写真の知識がなかったんですね。
それでZINEをつくるようになって、名古屋の書店、ON READINGに持ち込んだんです。そしたら、店主の黒田義隆さんが「いま、うちで写真のワークショップを企画しているんだけど、参加してみない?」と誘ってくださって。そのワークショップは、自分の写真を言葉にするというのをテーマに、参加者は自分の写真をプレゼンしていきます。参加者の年齢もバラバラ。そこで、はじめて、写真が好きな人たちと交流が持てて、いろいろな写真家のことを学ぶことができました。

撮影期間は10日間


――コインランドリーを撮りはじめたのにはなにかキッカケがあったのでしょうか。

濱田 2、3年前、レンタカーを借りてアメリカを回っているとき、洗濯するのにコインランドリーに寄りました。回している間、暇なので、なんとなく周りを観察していたんです。ある人は本を読んだり、ある人はテレビを観たり、ある人は世間話したり……ファッションからその人の好きなものやカルチャーが見えてきて、いろんな人種の人がいて、アメリカ社会の縮図のようなものを感じました。また、アメリカにはチェーン店がないので、ランドリーのお店一つ一つにオーナーの趣味、個性があるんです。
「これは作品のテーマになるかもしれない」と思いました。
僕は知らない街を転々としていて、ローカルの人とがっちりコミュニケーションをとれる場所がコインランドリーくらいしかなかったのも大きかったですね。

――顔にタトゥーが入った人の写真が、とても印象に残っているのですが、ああいうちょっと怖そうな人にも声をかけられるのはすごい……。

濱田 あの人を見かけたときは、直感で「撮らねば!」と思いました(笑)。向こうから話しかけてくることも多いですよ。向こうの人からすると、僕はティーン・エイジャーに見えるらしく「学生の旅行者かい?」って。

――今回、自費出版された『THE LAUNDRIES』は、どれくらいの期間撮影されたのですか?

濱田 10日間くらいで一気に撮りました。コインランドリーは三十箇所くらい回りました。アメリカのランドリーは暗いので、最初に、このお店は朝に光が入るとか、ここは夕方からとか、一度、すべてリサーチしてから、撮影に適したタイミングを狙って、お店に行っています。

――弾丸のスケジュールだったんですね。もう一度、撮りにいこうとは考えなかったんですか。

濱田 日本に帰ってきた直後、もう一度、行こうかなとも考えたのですが、もし行ったら「構図はこうしよう」とか「こういう表情を撮ろう」とか、作為的なことをやってしまいそうだなと思ったんですよね。そうすると、良くも悪くも、フレッシュさは失われてしまうので、このまま作品にした方がいいだろう、と。

――次回作はなにか考えているんですか?

濱田 三重県・神島の人々をテーマにした作品をつくっています。2017年、小旅行で神島に行きました。神島って人口もおよそ300人と少なく、コンビニも商店もないんです。ここの若者たちはどうやって生活しているんだろうと素朴な疑問が浮かびました。
 泊まっていた旅館の若女将さんに、聞いたら、「じゃあ、うちの中学生の息子に聞いてみたら」と。それで、当時中学1年生だった息子さんや、彼が通う中学校の生徒――初めは全校生徒三人しかいなかったのですが――を撮りはじめました。それから一年くらい、時々神島に行き、島民を撮っていて、いまそれをまとめています。

――今後、アメリカへの移住も視野に入れているそうですね

濱田 これまでの作品は、どちらかといえば旅行者として、淡々とアメリカを切り取ってきました。そうではなくて、逆にもっとなにかに密着して、アメリカの奥深くまで入り込む作品をつくりたいとも考えています。
 いつになるかわかりませんが、移住した時、自分がなにに反応するのか。いまはアメリカへの憧れが強いですけど、実際に生活してみたら、アメリカに失望することだってあるかもしれない。いまの段階ではまったくテーマやプランは決めていないので、自分でも何が起こるか。その時が楽しみです。
(インタビュー場所:book obscura)

濱田紘輔/ Kosuke Hamada
​フォトグラファー
1990年生まれ 三重県出身
旅をしながら名古屋市を中心に活動中
https://www.kosukehamada.com/





 

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