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いい社会で、生きたいじゃん。

社会を変えるには何が必要か。
僕はよくそんなことを考えている。

1人では何もできないから、僕は会社を作った。
同じ方向を向いてくれるスタッフが、現場でいいケアを提供してくれているから、利用者さんが安心して生活できる基盤をつくれる。

安定して人が入れるようになったら、次の要望を叶えやすくなるし、役所の「時間数出しても人いないでしょ?」に抗うことができる。
「人揃ったやんし時間出さへん??」と。

社会を変えるには何が必要か。
僕は時に「痛み」と答えるだろう。

LGBTQや障害者をはじめとした何かしらのマイノリティが、生きやすい社会にしていくために、声を上げる人がいる。
しかし声を上げれば、必ず叩かれる。多かれ少なかれ、必ずだ。

例えばバス。
1977年の川崎バス闘争。
乗車拒否が多かった当時のバス事情に一石を投じ、結果ノンステップバスや、スロープ付きのバスが増え、障害者も高齢者もベビーカー押してる人も使いやすく変わっていった。

例えばエレベーター。
今やほとんどの駅に設置されているエレベーターも、障害者の人々が安全に街に出られるようにと声を上げなければ、ここまでの広がりを見せてはいないだろう。

例えば同性婚。
今はまだ法整備されてはいないけれど、同性婚訴訟でたくさんの人が声を上げ「違憲判決」がでている。

例えば。例えば。

いろんな例えばの中で、必ず先陣を切って声を上げてくれる人がいる。
向けられる非難の声に屈することなく、声を上げ続けてくれる人がいる。

そうやって
じゃあ、エレベーターを増やそう
じゃあ、公共交通機関をよくしよう
じゃあ、誰もが結婚という権利を享受できるようにしよう
と、社会が変わっていくのだ。

そして、変わった先の社会では、その恩恵をたくさんの人が受ける。

体調悪いから、エレベーターに乗ろう。
骨折したから、車椅子で出かけよう。

僕だって後30年もしたら、エレベーターを頻繁に利用しながらお出かけしているかもしれない。
僕の親だって、もう後何年もしたら車椅子ユーザーになるかもしれない。
そう考えた時に、社会は少しでも良くなっていればいいなと思うのだ。

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じゃあ、対話をすればいい。
人に迷惑をかける前に、話し合えばいい。と、そういう人がいる。

話し合いに応じてくれるなら、そうしたいさ。
「利用者数が少ないから」「前例がないから」と個を相手にしてくれない、
“誰かが我慢すればいい”という社会の中で
待っていられないことだってあるのだよ。
誰かが泣きながら死んでいくのを見送るのは
もう嫌なんだ。

ヘルパーがいないからという理由で
命を終える選択をする障害者をもう、見たくない。
介護疲れの末に家族を殺してしまう
そんなことを当たり前にしたくない。

社会が良くなればいい。
自分や周りの大切な人たちが
障害を負った時に絶望しない社会を
作れたらいい、ただそれだけだ。

みんなは違うのかい?
みんなは、自分が障害者になったら全てを我慢するのかい?
自分の大切な人が社会の不条理に押しつぶされそうなのを「わがまま言うなよ」と見ているだけでいいのかい??

僕は嫌だね。
そんな社会。

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とはいえ、車椅子を4人がかりで担ぎ上げることを常にするのは良くない。車椅子というのは本来持ち上げるための構造をしていない。だからプロは「引き上げる」2人がかりで。

だから、手始めに簡易スロープを全館設置するのはどうだろうか。
その上で、避難経路の確保や非常時の安全誘導を議論してみるのはどうだろう。

車椅子ユーザーが首を痛めながら映画を見なくていい環境。
それすらも叶えられない、そんな軟弱な社会だとは認めたくないなぁ。僕は。

みんなはどうだい??

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