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秋田の冬
寒い。
寒いし、悲しいこともいっぱいあった。
そんな故郷である。
だが、悲しみは過去形。
トラウマとて慈しみである。
悲しさは人を癒すと、田口ランディさんのnoteに書いてあった。
それはその通りだと思う。
「セルフヒール」と題した記事に、僕もまた、癒された。
その記事の花曼荼羅の画像をデスクトップに今、表示している。
![](https://assets.st-note.com/img/1706205672182-2bWrZJUKmh.png?width=800)
悲しさは癒しだと、それはそうだ、という感じだったが、正にその通りなんだよな…。
ショパンに癒されるのは、それは悲しい音楽だからだ。
悲しくない芸術は、魂の深い所には届かない。
この星の悲しさ共に触れていて熱い涙が胸に染むまで
ヒール。
癒し、癒される喜び。
どこまでも上っ面な自分を自覚しているが、それは世界の深まりと一致した、上澄みの灰汁のようなもの。
悲しみは汚れていく。悲しみすら、汚してしまう。
だが、清濁併せ吞むのなら、それとて覚悟の上だ。
汚れの果て、清さを望むなら、汚れを厭うのは幼いことだ。
冬の中 悲しき風を聞いている 世界と我を清く隔てる
癒し、汚れ、癒し、汚れる。
繰り返しを飽くなら、それは幼さに過ぎない。
僕の苦難は、見えなかった景色を僕に見せる。
それは、有難く、尊い恵みである。
愛の果て回復してくこの夜を冷たき冬は清め囁く
悲しみが囁く。僕は癒されたのだと。
僕ら、癒された者たちがいることが、星の癒しなのだと。
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