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秋田の冬

寒い。
寒いし、悲しいこともいっぱいあった。
そんな故郷である。
だが、悲しみは過去形。
トラウマとて慈しみである。
悲しさは人を癒すと、田口ランディさんのnoteに書いてあった。
それはその通りだと思う。
「セルフヒール」と題した記事に、僕もまた、癒された。
その記事の花曼荼羅の画像をデスクトップに今、表示している。

こんな感じ。癒される。

悲しさは癒しだと、それはそうだ、という感じだったが、正にその通りなんだよな…。
ショパンに癒されるのは、それは悲しい音楽だからだ。
悲しくない芸術は、魂の深い所には届かない。

この星の悲しさ共に触れていて熱い涙が胸に染むまで

ヒール。
癒し、癒される喜び。
どこまでも上っ面な自分を自覚しているが、それは世界の深まりと一致した、上澄みの灰汁のようなもの。
悲しみは汚れていく。悲しみすら、汚してしまう。
だが、清濁併せ吞むのなら、それとて覚悟の上だ。
汚れの果て、清さを望むなら、汚れを厭うのは幼いことだ。

冬の中 悲しき風を聞いている 世界と我を清く隔てる

癒し、汚れ、癒し、汚れる。
繰り返しを飽くなら、それは幼さに過ぎない。
僕の苦難は、見えなかった景色を僕に見せる。
それは、有難く、尊い恵みである。

愛の果て回復してくこの夜を冷たき冬は清め囁く

悲しみが囁く。僕は癒されたのだと。
僕ら、癒された者たちがいることが、星の癒しなのだと。

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