見出し画像

隻手の声(両手を合わせると音は鳴る。片手の音とはこれいかに?)(8/29)

8/29
かつての思考を繰り返すでは芸がない。今、もてる限りの思考でこれを解いてみたい。
あれはたしか、20代後半だった。(サリンジャーの小説でこの禅の公案は知ってはいたが、)法事で坊さんが「隻手の声」のことを話し、自分も修行中に解答を考えさせられたと話していた。それが切っ掛けで、その夜、ピアノの部屋で2時間考えた。それは丁度、その部屋に座りの良い椅子があったためだ。思考は旋回し、キラキラと煌めいた。交響曲が鳴るがごとくであり、終結、結論へ辿る道筋も美しかった。思考にも光を発する時があると、実にこの時に知った。全く、美しい妄想ではある。統合失調症の一部である可能性は捨てがたい、というか、現代医学ではその通りなのだろう。「思考に光や色があるだって!?いやはや、脳の幻影というものは恐ろしいものだ。この奇妙・珍妙な患者ときたら、いっかなこりず変なことを考えるものだ!!」まあ、このようなものであろう。いや、しかし、僕の脳内で再生された物は、モーツァルトが語った、音楽の生成の秘密と一致したのも事実だ。自分が天才という人間ではないことは知っている。(寧ろバカなことくらい知っている。)少しは文才はあると他者は言う。世才にはとことん欠ける。フン、どうでも良し。収支が釣り合うという訳だ。今や、「隻手の声」の答えなぞどうでもいい自分がいる。簡単。簡単な問いである。答えさえ解れば、そうだ。否、しかし、良い問いとはこういうものを云うのかもしれない。
結論だけ書くと、片方は実、片方は虚。陰と陽。数学でいう虚数と実数のようなもの。その間にあるものは、万物である。ゆえ、老子のような言葉が吐かれる訳だ。種明かしすれば明白、単純なのに、世間や世才は難しく考える。下らないや、つまんないことだ、それは。だが、シンプルな物は美しい。白や黒は、様々な様相、要素を含む。それを知った以上、白や黒は、只、白や黒であるのみではない。
今や、僕の問いは逆流し、万物を生んだ「道」へと向かう。それはゼロであり∞(無限)だ。ねむい。ねる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?