短歌のこと(9/5)
短歌は遊びだと思っていた。だが、いつの間にやら夢中になっている自分がいる。変なの。自分の真価は評論だと思っている。それは楽しく、時を忘れる。「愛のある評論」こそ真善美の伴う、神のごとき魂宿る文ともなる。故、星五つ付けたくなる対象にしかレビューも書いていない。貶すことに、何の意味があるのだろう?愛のない短歌や詩がカスであるように、評論も又同じだと知っている。これは幸せなことだ。保田與重郎は和歌も書いていた。文人をもって自認するなら、そうなる筈だ。小林秀雄は違う。両者とも大好きだ