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不妊治療していた私が最近思うこと

<基本情報>
私(佐藤)
amh1.5(年齢より10歳くらい上の数値)
持病もち→潰瘍性大腸炎6年目
甲状腺機能亢進症の疑いあり→経過観察中

旦那さん
凍結精子のみ現存
顕微授精一択で不妊治療始めました
無事着床、心拍を確認。不妊治療クリニック卒業
産科さんで妊婦健診へ通院中←いまここ

※最初に申したいのはこれは愚痴でもなく、人って様々だなと思った話です。
自分の意見をそのまま吐露しているので不快に思われた方は申し訳ありません。


まずベースとして…
私は持病持ちですが、婦人科系の病気はなかったため不妊治療について全く知識がない状態でした。
旦那さんに出会ってから結婚+自分の子供についてを考えるようになり、自分なりに不妊治療について調べまくって通院し、今の状態にやっとこれた状態。
ですが調べ始めの時期の結婚のけの字もない私は

自分の子供が欲しい?
周りを見ていて自分がおかしいのではと思いつつ、
自分の子供🟰アクセサリーみたいだと思っていました。

これは不妊治療に通う未来も見えない数年前、先に結婚した仲のいい友人もいる中でふと話題になった1つでした。

A子『結婚して専業主婦になりたい、仕事したくない』
B子『子供は男の子を産んで某芸能事務所に入れてー』などなど

結婚に浮かれて喋るAと結婚に憧れるB。

私と会話に入らなかったもう1人(ここではCとする)はただ呆然と聞いていました。

スマホ、SNSが当たり前になってきた大学時代からつるむいつものメンバーでお茶しながら喋っていた、数年前のこの時の会話を最近特に思い出すのです。

私は親戚付き合いも割とある方だった生まれだったので周りの様々な家族を見て
子供を望んでいてもそう簡単にできるわけではないことも、子供ができたとしても弟のように障害があったりしたら大変だろうという意識しかなかったのです。

口に出すことはありませんでしたが、芸能人ならともかくSNSで子供の顔をばっちり載せることを不思議に思っていました。
まるで買ってもらった宝飾品、アクセサリーのような感覚で見せてくること。
自分では考えられなかったし、この時の会話も子供が出来さえすれば働かなくてもいい、子供の将来は理想どおりにさせたいと願う友人たちの会話に思考が一旦停止したのを覚えています。

私は「でも正直言わせてもらうと、子供って承認欲求の道具みたいなのに見えちゃって笑。私は別に子供いなくてもいいかなって思うなー」

と明るく返し、子供欲しいと思うのが全員じゃないよ?とわかりやすく伝えたつもりでした。
その時苦笑いしていたCも同じようなことを返しました。

C「私、子供がアクセサリーのような感覚に見えて全然欲しいと思わないんだよね」

珍しく反対意見を言ってきたCに他の2人は黙ってしまい、この会話はものの数分で終わったのですが私はこの時のことを忘れませんでした。

実際数年経って結婚に至りましたが考えは変わっていませんでしたし、この情勢の中で子供を産み落とすのは子供からしたら迷惑なのでは?と今でも思っています。


その後、Aは結婚後2年経て子供を出産、Bは不妊治療の末子供を妊娠するのです。↓ここに書いた内容の続きです。

Bはその後妊娠でき、A以外の3人でご飯に行きました。
時間としては結構経ってしまっていますが思うところがあったので今回のことも書き残しております。

Bは無事妊娠3ヶ月を超えて順調のようでした。

私とCはよかったと和気藹々と喋っていたのです。

その時に言われたのが
うちらも色々あるからさ…子供は早く作った方がいいって」

明るく言ったつもりなのでしょうが、実際結婚して半年経過した私(実は妊娠中)とまだ結婚していないC。

妊娠したら女性は変わるとわかっていてもまだ生まれていない子供の件に触れるのは今ではないだろうと思っていた。

でもまさか本人自ら触れてくるとは思わず、私が不妊治療していると伝えていた手前うちらの中には私が含まれていると悟り「まぁ言いたいことはわかるよ」とだけ返した。
Cは複雑そうな顔をしていてその場では会話に入ってはきませんでした。

のちのち考えてみればあれは世にいう妊娠したよマウントというやつでは?と思ったが
以前書き残したnoteで本当に悩んでいるみたいだったので妊娠継続できてうれしかったのだろうとも思った。
でもそれはCも同様に思っていたみたいで解散後、大丈夫?と心配の連絡が来た。

やはりCでもそう思ったかとも思うが、私も私でその場で妊娠したことを報告できないでいたためなんとも言えない気持ちになった。

妊娠してから出産まで何があるのかわからないし
(特に不妊治療した人の出産は出血が多くなりやすいやら難産になりやすいとも聞いていた)実際分娩にも100%大丈夫ということはない。

だから無事に終わるまでは言えない状態だった私。
今でも9ヶ月目に突入しようとしているが会うタイミングもないため言えないまま来ている。

代わりに旦那さんは職場での育休の関係もあったのか、結婚のことはあまり語りたがらなかったそうだが子供ができたことについては仕事先でほぼ全部喋っているそうでいつの間にかママさん達から情報を仕入れ私より育児グッズに詳しくなっていた。

子供を強く望んでいたBや旦那さんにとっては子供ができるというのは待望のものだったのだろうし、誰かに共感して欲しいのかなとも思う。

だけども、不妊治療クリニックに通っていた私サイドからすると
段階を経て週数を重ねもう大丈夫。と言われようとも全然安心できるステージには登った気がしないのだ。赤子をこの目で見たとしてもそうは思わないかもしれない。

たとえ1年未満しか通っていない、ありがたいことに不妊治療クリニックにそこまで長く通院しなかった、無事妊娠したじゃないかとわかっていても全然心が落ち着かない。

自分が心配性なこともあるとは思う。
だがこの気持ちがB子にもわかってくれると思っていた。
それは押し付けがましいことだったのかもと考えを改めた。
自分と同様な立場だと思っていたのだがやっぱり人それぞれ考え方が違う。
もしかしたら私は少数派の人間で、本当なら子供できた!!!と喜び周りに報告しまくるのが生物として正解?普通なのかもしれない。
でも漠然として不安がしこりみたいにずっと私の中に存在している。

不妊治療クリニックに通っていて聞こえた
採卵時に泣き叫んでいた前の人の声
診察台に乗って準備していた時に隣の診察室から聞こえる患者さんと先生のやりとりの声
子供を連れてきて2人目3人目の不妊治療で通っている人と1人目で通っている人の声

病院に通い慣れている自分でも数日同じクリニックに通い詰めると、他の患者さんのことを見たり聞いたりしていくうちに思わされたことが多々あった。

無事出産まで辿り着けたらまた考えが変化するのかな。
どうなるのか気になるところなのでまた言語化できたらしていこうと思う。


説明しにくい内容をまとめてみたが、不妊治療するからには子供欲しい!が大前提のお母さんたちが多いはずで自分は変わっている側なのだろう。
そんな妊娠するの簡単な話じゃないと諦めが最初からあった人間だったので、ここまで数ヶ月経っても実感が半分くらいだ。
子供を授かって育てるという覚悟は備わってきたつもりなのでこのまま私子ともに何もないことを祈りたい。

産まれて大丈夫だったら来年の年賀状で報告でいいかな。
正直なところ自分がもし分娩中死んだらどうしようとか3日に1回くらい考えている。心配性なのはわかっているが変えられない性格なので躁鬱のように『大丈夫なんとかなるっしょー』と『死んだらどうしよかな』を繰り返しています。

続きは里帰りしてか、もしくは出産が無事終わって余裕があったらになるかなと思っています。
毎回世の母親ってすごーいと思って日々生きています。


ここまで読んでくれた方ありがとうございました。

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