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なぜ学校に行くのか

 子どもたちが学校に行く意味とは何でしょうか。コロナウイルスが心配な今、改めて考えることが大切だと思います。

 そもそも、学校とはどのような場所なのでしょうか。「勉強するところ」「社会に出る前の練習」「楽しい思い出をつくる」など人それぞれ考えは違います。


 私は学校を「学び深める」場所だと考えています。学びというのは国語や算数のような教科の学びだけではありません。友達同士の遊びやトラブルなども学びになります。
 しかし、これらは学校に行かなくともできることです。YouTubeなどでは教科書の内容を現場の教師以上に分かりやすく、楽しく教えているものがたくさんあります。また、仲の良い友人ならばゲームやSNSを通じてコミュニケーションを取ったり、放課後に一緒に遊んだりする中で人間関係を学ぶこともできます。
 ならば、学校は必要ないではないか?という声が聞こえてきそうですが、「学び深める」という観点から見ると、学校は必要な場所なのです。
 その訳を「学習」と「友達」の二つの視点で考えます。

 「学習」の中で、教科書の内容などの知識は調べればいくらでも出てきます。重要なのはその知識を使っていかに思考し、活用するかなのです。
 例えば、算数で円の面積の公式を知っていることは単なる「知識」です。円の面積の公式「半径×半径×3.14」がなぜこの式になるかを考える力が「思考」です。なぜこの式になるかは今までに習った知識の組み合わせでたどり着きます。この「今までに習ったことを組み合わせる」思考を別のことに応用するのが活用することであり、「学び深める」ことにつながります。この力を高めるためには、仲間の力が必要不可欠です。

 一人で考えることには限界があります。人と話し合ったり、考えを聞いたりすることで身に付くこともあるのです。30人いれば、30通りの考えがあるのが教室です。この考えを吸収できるのが教室であり、学校なのです。

 「友達」をいつも一緒にいて話したり、遊んだりする人と考えるならば、教室にいる人は全員が友達ではありません。全員が友達ではありませんが、同じ空間で“ある課題や問題”を共に試行錯誤し、考える「仲間」と言うことができます。この仲間は自分と気が合わない人もいます。そういった人たちを含めて過ごすことに価値があります。様々な考えに触れ、自分の考えや価値観を大きく広げることにつながるのです。これも「学び深める」なのです。

 学校では、最大限のコロナ対策をし、できるだけ人と接触しないよう配慮しています。授業もどちらかといえば「学び深める」ではなく、「一人で学ぶ」ことに近いです。今は我慢の期間と考え、そんな中でも工夫して子どもたちの学びが深まるようにしていきます。

 先行きが分からない未来は、「学び深める」を繰り返すことで、どんな困難な状況も切り開ける力を身に付けることができるようになります。
 なぜ学校に行くのか。それは自分とは違う考え方をする仲間と共に学びを深められる場所だからではないでしょうか。

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