ドナ・ウィリアムズさんへ
いつか会ってみたい、いつか話をしてみたい、
そのいつかは叶わないこともある。
ここ最近、偏頭痛に悩まされ、にぎやかな音、眩しい光に耐えられない日々が続いている。
同じように偏頭痛に悩まされたのは二十歳のころ。
たくさんの出来事が重なって、こういうサイクルを繰り返すのかなと二十歳のころのことを思い返してみる。
そのときの私といまの私にできることを考えている。
わたしにできることのひとつは、自閉症スペクトラムの内在的論理と外在的論理を考えること。それを伝える事。
小学生のころ、ふと入った図書館で「自閉症だったわたしへ」という本が目にとまった。クラスで過ごす時間が自分だけ違うような感覚に戸惑っていたわたしに「自閉症」というものがなぜか安心感を与えた。
中学生になり、その細かな字が並ぶ本を一気に読み切った。
それから何事もなく大学生になり、自分のなかの違和感と向き合うことになった。自分と向き合うために、まず「自閉症だったわたしへ」を読み返した。
読み返すうちに、自身が共感を得る事、それが社会にどう反映されているのか興味を持った。
「自閉症」というものが、自閉症の外側からみるとあまり理解されていないのではないかと感じるようになり、そのことについて、いつかこの本の著者ドナ・ウィリアムズさんに聞いてみたいと思っていた。
そのいつかを叶えることはできなかった。
いつかオーストラリアまで会いに行こう、いつかメールを送ってみようと思っていた当時の文章をシェアします。
『DEAR. Donna Williams 「自閉症」というものの捉え方』
https://note.com/sato_miki/n/nce0e58510cb3
2010年ころ、たくさんお世話になった竹端ゼミで学んだことをnoteにまとめました。
自閉症スペクトラムについて共感してくれる人が増えたらいいな。
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