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報われる瞬間

「satoさんの生き方に憧れます」
「私もsatoさんみたいになりたいです」 

私は有名人でもインフルエンサーでも何者でもない人生を歩んできたけれど、今まで生きてきた中で何回か冒頭の言葉を受け取る機会がありました。

お世辞ではなく、相手が本気で思ってくれているヤツです。めっちゃありがたい!
前もって言っておきますが、自慢話がしたい訳ではないです。

その本気の言葉を相手から受け取った時の私、相手の本気がめっちゃ嬉しかったんですよね。
そう思えたのは、自分の生き方が少し報われたと感じたからかもしれない。

仕事に家事育児、両立を選ぶ若い人が少なかった時代に、私は両立する生き方を選択。
今となっては当たり前になってきている生き方を面と向かって批判されたことも。

体力的にも精神的にもキツい時期は、信頼できる人に弱音を漏らしながらも、私は自分の目指したゴールに向かって少しずつ物事を前に進めていたんですよね。

それでも人の生き方を批判する人はいる。
その人に全然迷惑かけてないので、批判される覚えはないんですけどね。

このことから「他人の生き方を批判する人間は世の中に沢山いる」という学びを得たのも事実。
その人達は自らその生き方を選んでいるんですよね。だけどその人達に不満を述べることにも意味がないですからね。

自分に集中するのが一番
私の生き方が正解かどうかは、自分が身を持って証明する他ないですしね。

誰かに認めてもらいたくてその道を選んだのではなくて、自分で選んで決めたこと。

やりたいことがあったら、
ただ愚直にその道を突き進むだけ。

この私の生き様が相手の心を打ったなら、こんなに嬉しいことはないですね。と同時に、こんな素敵なフィードバックを受けた私は幸せ者だなぁって思えます。


そしてこの件から改めて気付かされたことは、

幸せになる言葉を積極的に選らんで使っていこうね、ということ。

日常に忙殺されていたら忘れがちなコトだけど、とても大切なこと。ただ、お世辞には全く意味がないので、本心が伴っていることが前提ですけどね。

例えば友人の文章や作品に触れて素敵だなぁ思ったこと。最近の私は、本気で素敵だと思った気持ちは表に出すし、特に身近な人には直接伝えます。

その作品を世に出す前に、何かしらの産みの苦しみを味わっているかもしれないし。過去の私が報われたと感じたように、私の言葉で誰かが報われることがあるかもしれない。

何よりも「いいモノは良い」ですし、私は素敵だと思えた自分の気持ちに正直でいたい。

たとえそれが私の自己満足だったとしても、良いものは良いと伝えたい。

素敵な作品を見せてくれてありがとう。

そして本記事を最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。

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