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日本の教育はいきすぎた”平等”!?

おはこんばんにちは,こうです。
今年も教員採用試験の時期になってきました。”教師を志す若者”を応援すべく,教員採用試験の前に知っておきたい考えておきたい項目を記事に上げていこうと思います。今回は1回目です!よろしくお願いします。

また,教員採用試験は一次試験に筆記試験も控えています。一次試験の勉強法については,過去の記事で書いてますのでそちらも参考にしてください。残すところあと1ヶ月ですが,まだまだ成績は伸ばせるのでがんばりましょう。

自己推薦書,面接対策の基本はこちらの記事で解説してます。
こちらは僕自身が採用試験の時に作った自己推薦書をそのまま掲載しました。ぜひチェックしていただきたいです。

では,本題に移りましょう!

日本の教育システム「みんな同じ!」

今日の日本の公教育は、150年前に作られたシステムです。日本の学校システムは「みんなで同じことを同じペースで,同じような学級の中で,教科ごとに答えの決まっている問題を,子供たちに一斉に勉強させる」というようになっています。

※150前のから始まった日本の教育制度
→学制
(がくせい、明治5年8月2日太政官第214号[1])は、明治5年8月2日(1872年9月4日)に太政官より発された、日本最初の近代的学校制度を定めた教育法令である。109章からなり、「大中小学区ノ事」「学校ノ事」「教員ノ事」「生徒及試業ノ事」「海外留学生規則ノ事」「学費ノ事」の6項目を規定した[2]。全国を学区に分け、それぞれに大学校・中学校・小学校を設置することを計画し、身分・性別に区別なく国民皆学を目指した。教育令(明治12年太政官布告第40号)の公布により、1879年(明治12年)9月29日に廃止された。

wikipedia

※現在の学校システムを決める法律たち
→教育基本法
(1947年(昭和22年))、学校教育法(1947年(昭和22年))、国立学校設置法(1949年(昭和24年))によって既存の高等教育機関および帝国大学を併合して各地に新制国立大学(現:国立大学法人)が作られた。中等教育機関は新制高等学校へと昇格した。小6・中3・高3・大4制がとられ義務教育の範囲が小学校と中学校にまで拡充され9年間となり、強力な単線型教育に改められた。
戦後の教育課程は、概ね6段階からなる。修業年齢は基本的に日本の新年度初日の4月1日現在。

wikipedia

ではなぜ,このような教育システムを導入したのか。それは,今の教育基本法を見れば明らかなので,一応抜粋して引用を載せておきます。

◎前文
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
 我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理正義希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
 ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。

◎教育の目的(1条)
教育は、人格の完成を目指し、平和民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

◎教育の目標(2条)
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。
幅広い知識教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
・正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
・生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
伝統文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

◎生涯学習の理念(3条)
現行法のもとで新たに規定された。
・国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

教育の機会均等(4条)
現行法のもとで、障害者に対する教育の機会均等について新たに規定された。
・すべて国民は、ひとしく、その能力に応じた教育を受ける機会を与えられなければならず、人種信条性別社会的身分経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
・国及び地方公共団体は、障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない。
・国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学が困難な者に対して、奨学の措置を講じなければならない。

教育基本法 文部科学省 https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/mext_00003.html

ちょっと引用が長すぎましたが,この教育基本法を読めば,日本の公教育の役目は「こどもたちの学力を保障すること」だということがわかります。教育基本法では,難しい言葉で「人格の完成」というふうに書いていますね。その教育の最終的な目的である人格の完成を達成するためにたくさんの目標をクリアしていく必要があり,その手段としては”学校教育しかない”ということなのでしょう。たしかに国を担うのは国民なので国民一人ひとりを教育して素晴らしい人材に育てれば,国力は大きくなっていくはずですね。
こうやって改めて学校教育法を読んでみると,教育の偉大さ,可能性を感じます。

では,この日本の教育システムでの起きている問題はどんなものがあるだろう。


ポイントは,「みんな同じ」です。

・落ちこぼれ問題
・吹きこぼれ問題
・習熟度別指導
・小1プロブレム

引用;「学校」をつくり直す 苫野一徳


当たり前ですが,子どもはみんな同じではありません。親,家庭環境,発達段階,経験の有無など,全く同じ子など存在しません。しかし,日本では昔ながらの画一カリキュラム,一斉授業です。教員も保護者も,「みんな同じ」全員平等にやっていないとなぜか不安を感じているんですね。でも,そんな「みんな同じ」教育の弊害が,現場でも起きています。

・落ちこぼれ問題 

→授業についていけなくて,学びへの自信,自分自身への信頼やプライドがズタボロになってしまう問題。
これは,学級の平均的な学力よりも学力が低い子に起こります。

学力(運動能力も)の違いは,その子の「発達段階」と密接に関係しています。
たとえば,小学校1年生だと6歳ですが,同じ6歳でも4月生まれの6歳と,3月生まれの6歳だとわかりやすく発達段階に違いがでます。必ずしもではありませんが,3月生まれの6歳は4月生まれの6歳よりも11ヶ月後に産まれているので,当たり前に経験の差が11ヶ月分あります。大人になれば年齢が大きくなるので誤差なのですが,6歳児にとっては1年とは自分の生きた時間の15〜20%にあたるので大問題です。ここで,どうしても4月生まれの6歳児の方が勉強の理解度が早かったり,運動ができたりするのに対し,3月生まれの6歳児は勉強も運動も相対的にできなかったりするのです。

そして,できないことに対して,子どもは敏感です。「周りはできているのに,何で自分だけできないのか」と落ち込む子が多いです。学校全体がみんな同じにをスローガンにするので,周りと違うことには過敏に反応してしまうわけです。そして,その「みんなよりもできない」ことを隠すために挑戦できなくなっていきます。音痴だから歌わない,足が遅いから運動しない,計算が遅いから算数をしない,字が下手だから漢字の書き取りをしない,などです。

・吹きこぼれ問題

→既にわかっていることを,何度も繰り返し勉強させられることで勉強がイヤになってしまう問題。
これは,学級の平均的な学力よりも高い子に起こります。

学校での授業は「一斉授業」です。ここで少し小学校の授業を思い出してみましょう。

https://www.sumida.ed.jp/sanazumasho/shokai/kanendo/sanazumakenkyu.files/2nenshidoan.pdf

引用;第2学年 算数科学習指導案

上の指導案は,Google検索エンジンで「算数 指導案」と検索したら出てきた,誰が書いたかもわからない指導案です。(内容は「算数科の見方・考え方」を課題解決型の授業で習得させる手立ての提案です)
小学2年生だと,45分の授業でこれくらいの学習をします。

指導案を見ていくと,導入部分で既習事項の確認をし,本時の目標(めあて)を確認,写真を提示し問題に取り組ませる,,,といった流れになっています。
この指導案だけだと,どのような写真を見せて,子どもたちにどんな思考を期待しているのかこちらで推察することはできませんが,工夫を凝らした授業であることは確かです。

しかし,このように教員が100%の工夫を凝らした準備された授業でさえ,「できる子」にとっては一瞬でやるべきことや問題の答えがわかってしまう,ということはよくあります。

だから,課題解決型の授業や,グループで協働的に問題に取り組む活動を入れたりして,生徒自身の主体的で対話的な深い学びを促すための授業を教員は素策するのですが,教員の仕事は授業だけじゃないので,なかなかこのような準備された授業を展開するのは難しいのが現状です。

できる子にとって,ドリルのようにできる問題を解かされる授業を延々と繰り広げられる苦痛は計り知れないでしょう。

・習熟度別指導

→学校などで授業の際に子どもの学習の効率を上げようとする授業法で,学力層でクラスを分けて授業を行うこと。

落ちこぼれ問題,吹きこぼれ問題を解消するために,「習熟度別指導」を行う学校が多いです。私の高校では,英語と数学のクラスは習熟度別指導を導入しています。どちらも教科もレベル別に順々に学習していかないと伸びないですよね。

私は,あまり馴染みがなかったのですが,小学校でも習熟度別指導を行っている学校が多いようです。↓

文部科学省

今回の調査結果においては、習熟の遅いグループに対する少人数指導を多くの時間で行った学校ほど、少人数指導を行っていない学校よりも学力層Dの児童生徒の割合が少ない学校が多い傾向が見られ、習熟の遅いグループに対する少人数指導が児童生徒の学力の底上げに関連があると考えられる。
 また、習熟の早いグループに対する発展的指導を多くの時間で行った学校ほど、発展的指導を行っていない学校よりも学力層Aの児童生徒の割合が多い学校が多い傾向が見られ、習熟の早いグループに対する発展的指導は児童生徒の学力を伸ばすことに関連があると考えられる。

文部科学省 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/zenkoku/08020513/001/003.htm

習熟度別指導の問題点は,「学力」というたった一つの評価軸において「できる子」「できない子」という分断が生まれ,過度の優越感や劣等感を感じてしまう傾向があることです。アフターフォローを教員がどうするかでこれは防げそうですね。

習熟度別指導は,このように学力の面では一定の効果が出ているものの,子どもたちのメンタル面のケアは必要かもしれません。

・小一プロブレム

→小学校に入ったばかりの1年生が,集団行動ができないだとか,黙って座って授業を受けられないといった問題。

これは,小学校教員の同僚がすごく苦労している問題です。教員側は,集団行動ができなかったり,黙って座っていられない子供に対して,「ちゃんとしなさい」としつけをしますね。(教員の仕事ではなく,家庭教育の仕事になってほしい笑)

しかし,これは良くないことかもしれません。何が良くないかというと,この指導が「子どもたちを過度に管理・統率する」ことになっているかもしれないからです。子どもたちに言うことを聞くように言いすぎると,子どもたちの自主性が失われ,言われなければできない子供になってしまいます。これでは,子どもたちの成長を著しく損なうことにつながりかねません。

子どもたちを大人が決めた規律で縛り付けること。それは子どもたちを規律正しくしているように見えて,実は命令されたことしかできない「無力」な存在にしてしまっているだけだ。

モリア・モンテッソーリ『モンテッソーリ・メソッド』

たえず何か教えようとする権威に全面的に従っているあなたの生徒は,何か言わなければなにもしない。腹が減っても食べることができず,愉快になってもなにも笑うことができず,,,そのうちには,あなたの規則通りにしか呼吸することができなくなるだろう。

ジャン・ジャック・ルソー『エミール』

・教室という閉鎖空間

学校は,「同質性の高い空間」です。みんな同じを強要されています。
これは,時に人間関係にも悪い影響を与えます。

1クラスだと大体40人ほど。このクラスを基本単位として子どもたちは学校生活を過ごします。
だから,教員は子どもたちに平和で仲良く学校生活を送ってほしいので,過度に『みんなで仲良く』を求めがちです。
すると,「仲良くできない子」(協調性のない子)=「問題児」という方程式が成り立ちます。このような少しの隙に人間の所属欲求による排他的な行動が入り込むことで,「いじめ」や過度に「空気を読み合う人間関係」が発生していきます。

親も教員も表面的に見える「友達の多さ」に目が行きがちです。「みんなは友達と遊んでいるのに,うちの子はいつも一人でいる」と親だったら心配になるでしょう。

しかし,友達と話すのが苦手な子,一人で居たい子がいたっていいのです。教員は生徒一人一人を見て,その子を理解することが最も大事です。私の学級では「無理に仲良くする必要はない」でも「排他的な言動はやめよう」ということを絶対4月の時点で言っています。「この学級ではみんなの自由を最大限尊重するよ!でもその代わり,自由には責任を伴うんだよ!」ていうことを生徒と共通理解をもってスタートするとトラブルも少ないと思います。

最後に

今回は,日本の教育システム「みんな同じ!」についてみていきました。でも,日本の教育も変わりつつあります。学習指導要領の改訂と,社会情勢を鑑みて,学校教育のあり方というものも日々刻々と変化しているのです。この流れに取り残されないために,何をすべきかは,逆にこれはやっちゃダメなことを学ぶと見えてきます。今回は,これはダメだから新しくしていこうねっていう話でした。

 教育基本法や学習指導要領にはめちゃめちゃいいことが書いてあります。
でも,「これからの社会で活躍する人材ってどんな資質・能力を持っている人なのか」,とか,じゃあ,「社会で活躍できる人材ってどんなプロセスで育てられるの?」っていうのは,現場の教員も考えていかなきゃいけないことです。何故なら,こどもは一人一人違って再現性は低いからです。目の前のこどもに対して,どんなアプローチで,どんなことを伸ばしたいのか,考えてサポートしていく。「みんな同じ」じゃダメなんです。ダイバーシティな教育者となりましょう。

おわり。

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